1日。しばらく遊んで、大学に寄って最終作業をしていたらかなりギリギリに。大荷物を抱えて東京駅へ。
そういえば、一昨日で国鉄色381の運用が終了したのだった。どこを探したところで、今日はもう国鉄色特急は無いのだと思うと、虚しさが拭えない。思えば、沿線にはいつも国鉄色183が走っていた。そういえば幼い頃に銚子へと家族で旅した時に当時3歳?の自分が記念撮影をしたのは183系しおさい号だった。その後も鉄道に魅了されてから、やはり花形といえば国鉄色の特急、485・381・183。これらが全て、定期運用から消え去ってしまったのだ。今まで幾度となく国鉄色特急の走る場面に立ち会ってきたが、どれも美しい情景ばかりであった。都市部はともかく、日本の風景は50年前のそれとあまり変わらない筈なのに、それに相応しい点景(まあ正しく言えば「線景」だが)が失われてしまった。あまりにも静かで悲しい、57年の歴史の幕切れであった。
さて話は戻り、東京駅には21:40頃に到着。ギリギリであった。慌ててNEWDAYSで買い物を済ませ、サンライズ瀬戸号に乗車。思えば1年ぶり、そう、ちょうど1年前、丹波の381を撮影しに行った時の往路、くはね氏と乗ったのだった。まさか1年で全編成が淘汰されるとは思っていなかった。
こうして公費の旅が9番線に始まった。いつも思うのだが、9番線と10番線の発車メロディーは変えるべきだと思う。
列車は丸の内を横目に軽快に出発。あっという間に鶴見川を越え、スカ線経由の251系の回送列車を追い越し、羽沢から来たカモレとすれ違う。そして横浜線の233を横目に、あっという間に横浜に到着。久々に飲むアサヒの缶が美味い。
381の事が頭にあるから、ふと客車に揺られた過去のことも思い出してしまった。ハイケンスのセレナーデが聴きたい。パブロフの犬の如く、涙が噴出しそう。
そして先日撮影で探訪した早川~根府川の撮影地を通過してゆく。ここの車窓はいつも好きである。突然視界が左に開け、漆黒の太平洋が眼下に広がる様はとても立体的で、鉄道ならでは。これを客車から見たかった…などと、やはり思ってしまう。
酒と疲労で、あっという間にうつらうつらしていた。熱海に停車しているのかと思ったら沼津だったw この後も、なかなか列車が力走していたようで、ちょくちょく目覚めはしたものの、ゆっくりとした夜であった。
そういえば、一昨日で国鉄色381の運用が終了したのだった。どこを探したところで、今日はもう国鉄色特急は無いのだと思うと、虚しさが拭えない。思えば、沿線にはいつも国鉄色183が走っていた。そういえば幼い頃に銚子へと家族で旅した時に当時3歳?の自分が記念撮影をしたのは183系しおさい号だった。その後も鉄道に魅了されてから、やはり花形といえば国鉄色の特急、485・381・183。これらが全て、定期運用から消え去ってしまったのだ。今まで幾度となく国鉄色特急の走る場面に立ち会ってきたが、どれも美しい情景ばかりであった。都市部はともかく、日本の風景は50年前のそれとあまり変わらない筈なのに、それに相応しい点景(まあ正しく言えば「線景」だが)が失われてしまった。あまりにも静かで悲しい、57年の歴史の幕切れであった。
さて話は戻り、東京駅には21:40頃に到着。ギリギリであった。慌ててNEWDAYSで買い物を済ませ、サンライズ瀬戸号に乗車。思えば1年ぶり、そう、ちょうど1年前、丹波の381を撮影しに行った時の往路、くはね氏と乗ったのだった。まさか1年で全編成が淘汰されるとは思っていなかった。
こうして公費の旅が9番線に始まった。いつも思うのだが、9番線と10番線の発車メロディーは変えるべきだと思う。
列車は丸の内を横目に軽快に出発。あっという間に鶴見川を越え、スカ線経由の251系の回送列車を追い越し、羽沢から来たカモレとすれ違う。そして横浜線の233を横目に、あっという間に横浜に到着。久々に飲むアサヒの缶が美味い。
381の事が頭にあるから、ふと客車に揺られた過去のことも思い出してしまった。ハイケンスのセレナーデが聴きたい。パブロフの犬の如く、涙が噴出しそう。
そして先日撮影で探訪した早川~根府川の撮影地を通過してゆく。ここの車窓はいつも好きである。突然視界が左に開け、漆黒の太平洋が眼下に広がる様はとても立体的で、鉄道ならでは。これを客車から見たかった…などと、やはり思ってしまう。
酒と疲労で、あっという間にうつらうつらしていた。熱海に停車しているのかと思ったら沼津だったw この後も、なかなか列車が力走していたようで、ちょくちょく目覚めはしたものの、ゆっくりとした夜であった。
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