関西旅行記その2~9月3日~
2012年9月26日 日常旅行記2日目のコピペ。
***
9月3日
5時に起床。荷物を纏め10分でチェックアウトし、コンビニで食糧調達し、朝焼けの奈良駅に到着。人がいない。
0547 奈良発 モハ103-484
日中奈良駅で眠ってしまう50A運用だった。ブタ鼻ライトの列車はこの後巡り合えなかったので、少し残念。この列車で玉水駅まで行き、ロケハンしつつ棚倉へ歩き撮影していくプランである。
棚倉到着時は未だ朝焼けの余韻が空に残っていた。かなり暗く、望遠での撮影はブレが出る。盛夏の早朝の田圃を用いた構図で、広角、ぼかしの撮影をする。ふと水路に辿り着き、ここが実に美しい景色だった。昨晩を知る月が朝に残り僕を見下ろしており、その月も鱗雲に混ざって水面に映っていた。
ここで朝食を食べつつ(巨大なクモを眺めながら)、下りの103を待つ。ちょうど産まれたての朝日が柔らかく黄色い光を放ち始め、それがウグイスの顔を有機的に染めた。4連・低運の愛らしさが引き立つ。
さらに棚倉方向へと歩くと跨線橋に着く。上りは逆光であるが撮影を敢行、朝の陽射をどうにか絵にしてみようと思った。セイタカアワダチソウを初めとする雑草が朝の白い光に照らされて薄緑に光る様はこの場所の夏模様を良く表しているか。
さらに移動すると有名撮影地に到着。しかし雑草が本当に身長を超える高さまで育っており、列車の足回りが見えないどころか車体まで隠されてしまう。少し横がちに撮りたかったが断念、顔メインの撮影を2枚ほど。逆方向はアウトカーブの撮影が可能で、光は当たらなかったがさほど逆光も酷くない。猫が線路を横断していった。
8時の鐘が鳴った。ちょうど小学生が集団登校をしており、僕のいる踏切を渡っていった。田圃の間を黄色い帽子がちらちらと動いていく様は何とも微笑ましい。暫くすると学校のチャイムが聞こえる。
おそらく今日が始業式であろうか。長閑な日常風景が心に染み入る。
さらに少し移動すると、短い隧道(跨線橋だろうか)のある場所に。下り列車はアウトカーブで撮影可能、上り列車はトンネルから出た瞬間をフルズームで狙うことの出来る場所である。この季節ならではの色とりどりの緑がトンネル周りを覆っており、その真ん中をウグイスがやって来る。構図として申し分無い場所である。隧道の向こう300mくらいが棚倉駅であり、車掌がホームに降りている様子などがファインダー越しに見えるのも面白い。
棚倉駅に到着。今日も朝から良く歩いた。しかしまだ撮影に割ける時間もあるし、体力も余裕はある。そこで棚倉をパスし、上狛駅方向へ少し歩いてみることに。すると緑を背景に緑の大きな築堤を駆けるところを広角で見上げる構図に出会った。太陽も高度を上げ始めているので、空の色も深みを増し、夏景色が徐々に出来上がりつつある。ここで2本ほど撮影し、棚倉駅に戻った。
0955 棚倉発 奈良線普通 クハ103-252
棚倉駅から超望遠で入線を撮影してみたがやはり逆光のためピンが揺れたように甘くなる。くねくねと曲がった線路を力走してくる様はなんとも人間味があって可愛いのであるが。
この列車で一路東福寺駅まで移動。ここで下り列車をカーブで仕留める。京都まで一駅なのでギリギリの時間まで粘ることも可能であるから、好都合なのだ。
城陽で快速に抜かされる。これに乗っておけば早く着くのだが、やはり103に乗るのも醍醐味と思い、普通列車のままのんびりと行くことに。早起きと運動が相俟ってか、気付けば眠りに落ちてしまい、東福寺を発車する瞬間に起きるという失態。京都駅に着いてしまった。
先程まで乗っていた103を撮るため、向かい側のホームに止まっている快速列車に乗り換えて先回り。ドジにより練習列車を失ったが、東福寺駅で無事撮影成功。この後もう1列車の撮影を決め、今回の長大な撮影行は幕を閉じた。
1132 東福寺発 モハ103-422
去る時も、103。普通列車は基本的に103の牙城なのだが、既に普通運用の1つに221が入っている。贅沢な構図で撮影出来る時代も、そう長くは無いかもしれない。
東海道線は早朝の人身事故の影響で列車が乱れていた。引きずりすぎだろと言いたい所だが、せんかたなし。直通の新快速や乗り入れ列車が複雑な形態を取る西の幹線は一度何かあると必ず歪が残り続けるのだろう。都心でも相互乗り入れが次々と実現されて行くが、正直こればかりはばかばかしく思えるのだ。乗り換えの手間が惜しいような余裕の無い人生を送って何とする。経済効果の問題も無論大きいのだろうが、何でもかんでも利便化すればいいという物ではないだろう・・・
などと考えながら京都駅で駅弁「京都牛膳」を立って食す。実に美味なのだが、なんともみすぼらしき食べ方に自ら情けなさを感じる。「黒七味」が旨みを引き立てる。
湖西線の115が抹茶色のような一色のカラーリングになっている。これまた不気味でセンスを感じない。
1153頃 京都発 東海道本線 車番忘れ
列車は遅延してやって来た。窓が雨に濡れている。西のほうでは今朝は降っていたのだろうか、大和路の朝模様からは想像もつかない。この列車で草津まで。
1225 草津発 草津線 モハ112-7701
学生列車に石部まで乗車、ここからは湖南三山を見て回る建築の旅である。
炎天下の石部駅に到着し、コミュニティバス「めぐるくん」に乗車。15分ほどすると阿星山長寿寺に到着した。ろくな案内看板も無く、遠回りしてようやく門に辿り着く。拝観受付には人は居らず、向かいの寺が本坊になっているので仏像の案内はこちらまでお申し付けくださいと貼り紙がある。折角来て本堂の中が見られないのは寂しいので、依頼することに。おばちゃんが対応してくださった。
国宝である本堂の建築はかねてから写真で見ていた通り質素な和様で、思ったよりも色合いは白い。しかしその独特の地に伏せたようなプロポーションは絶妙な美しさを持っている。その横に佇む弁天堂も重要文化財で、夏の花に彩られちょこんと立っている姿が愛らしい。
仏像はそれは素晴らしい物であった。阿弥陀如来坐像をはじめ、藤原時代の仏像がしっかりと残っていた。本尊の春日厨子は秘仏、今年の11月にご開帳となるようだ。50年に一度というこの機会、逃したくは無いのだが。
40分程の拝観の後、1km強ほど歩いて、拝観予約をしておいた常楽寺へ。ここでまた滝のように汗をかき肌に日を受ける。到着直後に買ったペットボトルの飲料をあっという間に飲み干すほど、この1kmは激しい道程だった。
向拝が三間付いた本堂はこれもまた檜皮葺きの中世和様本堂で、実に美しいプロポーションを持つ。そしてその左後方に見える三重塔がまた実にすばらしい。本堂は1360年、三重塔は1400年の建築であり、どちらも国宝。紅葉のシーズンはさぞかし美しかろう。午後からは逆光になる向きなので、11月あたりの朝が「見頃」なのだろうか。
仏像は風神雷神そして二十八部衆など非常に多くの古仏が暗く涼しい堂内に安置されていた。かつて盗難の被害があったようで、セキュリティに異常なまでの機器類が設けられており、なんだか寂しい。
40分程拝観ののち、再びコミュニティバスに乗車。このバス停がまた田園地帯の真ん中にぽつんと佇むもので、いやはや待つのも暑い。坂道を学校帰りの中学生が今にも止まりそうなスピードになりながらもこぎ続けて登っていった。
石部駅に戻り、ここから一駅草津線に乗り甲西駅へ。湖南三山の3つ目・善水寺は長寿寺・常楽寺とは距離があるのだ。
1535 石部発 草津線 モハ112-7701
先程乗った列車の、全く同じ車両に期せずして乗る事になった。行って帰って、来たのだ。
甲西に到着し、ここでまたバスに乗車。駅近くの甲西中学校に掛かる横断幕「人権の 薫り漂う 甲西中」が妙にツボに入った。その薫り、嗅いでみたい。
バスに乗車して「善水寺」バス停で下車する。しかし地図と道が全く合わない。自分が何処にいるのか、全く分からなくなってしまった。本来は一つ前の岩根バス停で下車すべきだったようで、地図はそこからのものを準備していたのだ。ではなんでこのずれた場所にあるバス停が「善水寺」なのだと苛立ちつつ、セブンイレブンを何とか見つけ、「この道をずーっと行ってもらってそのあたりでもう一度人に聞いてもらえれば」というざっくりとした道案内を受ける。時刻は既に16:10頃。入山は16:30までなのでピンチである。何とか歩き続け、ようやっと案内看板を見つけ、残り300mほどになり、時刻は16:23。間に合った、と思った。
しかし残りの300mが、恐ろしい上り坂だったのだ。意を決し走っていったが、途中で心肺が限界。これだけの荷物を持っているので、そう簡単に駆け上がれる山ではなかった。
それでもボロボロになりながら脇目も振らず登り続け、受付に16:28に到着。間に合った……
ゼイゼイと息を切らしながらインターホンを鳴らし、拝観に。
善水寺というだけあり水に関する逸話が残っており、元明天皇・桓武天皇らとのゆかりのある古寺。国宝本堂の前庭には池があり、昔は自然に湧いていたようなのだが、最近はポンプで汲み上げているとのこと。しかし数日前からポンプが故障しているらしく、かなり「水不足」となっていた。
1366年再建の本堂は三山の他2寺本堂と比べると、向拝が無く比較的四角く纏まった印象。七間×五間と数字にそれは現れていないが、プロポーションは縦横ほぼ1:1に見える。組物等も控え目で、斜めの地面に建てている為、片側が少し懸造のようになっている。
仏像はここにもたくさんの素晴らしいものがいらっしゃる。延暦寺との縁も深かったこの寺、天台密教ならではの諸仏のようだ。東大寺二月堂を髣髴とさせる構成だが、その一つ一つの規模は大きすぎない。時代は1000年は遡るようで、その造り細やかさに目を見張る。しかしより小さな仏像たちは、手が折れてしまったり欠けてしまったり、修復が待ち望まれる状態となっていた。国宝とはいえやはり人がぞろぞろ大挙して来る場所ではないので、苦しいのだろう。心痛みながら、僅かながら浄財を。
17時頃、本堂は閉じた。蔀戸だった。ここで「平井聖「蔀を閉じて」」という下らない小ネタを思い付き一人ニヤリとする。今度は岩根バス停に向けて歩いて行くと、嗚呼なんと近いことか。
待ち時間はかなり長かった。蔵の目の前がバス停となっていた。なにやら蔵と心の錠はしっかり掛けろというような標語があったのだが、心の鍵を掛けてしまって本当によいのだろうか。
このバス停で40分程待っただろうか、バスに乗車し甲西の駅に戻る。バス車中、乗ると間もなく日は沈んだ。
1830 甲西発 草津線 クハ111-7704
さて夜はやることが無いので、関西本線経由で名古屋入りを目指す。草津線で、南へ。
1927 柘植発 関西本線 キハ120 303
関西本線、非電化区間。今回発の気動車である。柘植駅が思ったよりも何も無い。余目などと同じ、分岐駅でみどりの窓口はあるが町が無いパターンである。ホームの端はもう真っ暗闇なのだ。ふっと智頭駅が頭に浮かんだ。
キハ120はなかなか快走を続けたが、頻繁に警笛を鳴らして走っている。第四種踏切の通過時なのだろうか、と思っていると、やがて本当に警笛を鳴らし続けて非常ブレーキ・急停車。しばらくすると運転士の放送により“鹿”の影響と判明する。衝突はしていないようだ。少しした後再出発となった。その後も警笛が鳴るとビクビクとしてしまった。若干の遅れが生じたため亀山到着直前は120の本気を見ることが出来たが、Z軸方向の軸に対して回転するような揺れがあり、あまり気分良くはなかった。
1955 亀山発 関西本線 クモハ211-1
JR西日本区間を去り、東海区間へ。なんと211のトップナンバーである。これはなかなか珍しい。
ロングシートでの旅は爆睡。今日も一日中太陽に当たり、疲れが溜まっていただろうか。
名古屋に到着。夕飯が中途半端になっていたので何か軽く食べようと思うものの、レストラン街に入るほどでもないので駅前を適当に歩く。するとスパゲティー屋「チャオ」を見つけた。なんとも名古屋らしいちょっと変わったメニューがあるので、丁度良いと思い入店。カツがスパゲティーに載っているなんとも不思議なメニュー「コートレット」を選んでみた。面白き味。
2200 名古屋発 東海道本線 サハ313-5302
一駅乗って、ホテルのある尾頭橋へ。
駅から徒歩一分のホテルリブマックスは、マンションの改造のようで、部屋というよりはアパートのような室内。キッチンや洗濯機、靴箱、衣装棚まであり、トイレと風呂も別。なんだか落ち着かず、そして窓の外を東海道本線と名鉄が通る音がかなり大きい。しかもプランが「ツインの一人利用」で安いという、ちょっと訳アリなのかと思わせるようなものだったことも相俟って、一向に眠くならない。失敗したな、という印象。終電が終わって鉄道が減るかと思いきや、東海道本線の貨物列車はむしろ増え、20分に1本ほど通過して行くではないか。その調子で気分が落ち着かず、適当にテレビを見て(つるかめ助産院とかw)、ぼんやりとしていた。おそらく眠れたのは2時間程度であっただろう。
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9月3日
5時に起床。荷物を纏め10分でチェックアウトし、コンビニで食糧調達し、朝焼けの奈良駅に到着。人がいない。
0547 奈良発 モハ103-484
日中奈良駅で眠ってしまう50A運用だった。ブタ鼻ライトの列車はこの後巡り合えなかったので、少し残念。この列車で玉水駅まで行き、ロケハンしつつ棚倉へ歩き撮影していくプランである。
棚倉到着時は未だ朝焼けの余韻が空に残っていた。かなり暗く、望遠での撮影はブレが出る。盛夏の早朝の田圃を用いた構図で、広角、ぼかしの撮影をする。ふと水路に辿り着き、ここが実に美しい景色だった。昨晩を知る月が朝に残り僕を見下ろしており、その月も鱗雲に混ざって水面に映っていた。
ここで朝食を食べつつ(巨大なクモを眺めながら)、下りの103を待つ。ちょうど産まれたての朝日が柔らかく黄色い光を放ち始め、それがウグイスの顔を有機的に染めた。4連・低運の愛らしさが引き立つ。
さらに棚倉方向へと歩くと跨線橋に着く。上りは逆光であるが撮影を敢行、朝の陽射をどうにか絵にしてみようと思った。セイタカアワダチソウを初めとする雑草が朝の白い光に照らされて薄緑に光る様はこの場所の夏模様を良く表しているか。
さらに移動すると有名撮影地に到着。しかし雑草が本当に身長を超える高さまで育っており、列車の足回りが見えないどころか車体まで隠されてしまう。少し横がちに撮りたかったが断念、顔メインの撮影を2枚ほど。逆方向はアウトカーブの撮影が可能で、光は当たらなかったがさほど逆光も酷くない。猫が線路を横断していった。
8時の鐘が鳴った。ちょうど小学生が集団登校をしており、僕のいる踏切を渡っていった。田圃の間を黄色い帽子がちらちらと動いていく様は何とも微笑ましい。暫くすると学校のチャイムが聞こえる。
おそらく今日が始業式であろうか。長閑な日常風景が心に染み入る。
さらに少し移動すると、短い隧道(跨線橋だろうか)のある場所に。下り列車はアウトカーブで撮影可能、上り列車はトンネルから出た瞬間をフルズームで狙うことの出来る場所である。この季節ならではの色とりどりの緑がトンネル周りを覆っており、その真ん中をウグイスがやって来る。構図として申し分無い場所である。隧道の向こう300mくらいが棚倉駅であり、車掌がホームに降りている様子などがファインダー越しに見えるのも面白い。
棚倉駅に到着。今日も朝から良く歩いた。しかしまだ撮影に割ける時間もあるし、体力も余裕はある。そこで棚倉をパスし、上狛駅方向へ少し歩いてみることに。すると緑を背景に緑の大きな築堤を駆けるところを広角で見上げる構図に出会った。太陽も高度を上げ始めているので、空の色も深みを増し、夏景色が徐々に出来上がりつつある。ここで2本ほど撮影し、棚倉駅に戻った。
0955 棚倉発 奈良線普通 クハ103-252
棚倉駅から超望遠で入線を撮影してみたがやはり逆光のためピンが揺れたように甘くなる。くねくねと曲がった線路を力走してくる様はなんとも人間味があって可愛いのであるが。
この列車で一路東福寺駅まで移動。ここで下り列車をカーブで仕留める。京都まで一駅なのでギリギリの時間まで粘ることも可能であるから、好都合なのだ。
城陽で快速に抜かされる。これに乗っておけば早く着くのだが、やはり103に乗るのも醍醐味と思い、普通列車のままのんびりと行くことに。早起きと運動が相俟ってか、気付けば眠りに落ちてしまい、東福寺を発車する瞬間に起きるという失態。京都駅に着いてしまった。
先程まで乗っていた103を撮るため、向かい側のホームに止まっている快速列車に乗り換えて先回り。ドジにより練習列車を失ったが、東福寺駅で無事撮影成功。この後もう1列車の撮影を決め、今回の長大な撮影行は幕を閉じた。
1132 東福寺発 モハ103-422
去る時も、103。普通列車は基本的に103の牙城なのだが、既に普通運用の1つに221が入っている。贅沢な構図で撮影出来る時代も、そう長くは無いかもしれない。
東海道線は早朝の人身事故の影響で列車が乱れていた。引きずりすぎだろと言いたい所だが、せんかたなし。直通の新快速や乗り入れ列車が複雑な形態を取る西の幹線は一度何かあると必ず歪が残り続けるのだろう。都心でも相互乗り入れが次々と実現されて行くが、正直こればかりはばかばかしく思えるのだ。乗り換えの手間が惜しいような余裕の無い人生を送って何とする。経済効果の問題も無論大きいのだろうが、何でもかんでも利便化すればいいという物ではないだろう・・・
などと考えながら京都駅で駅弁「京都牛膳」を立って食す。実に美味なのだが、なんともみすぼらしき食べ方に自ら情けなさを感じる。「黒七味」が旨みを引き立てる。
湖西線の115が抹茶色のような一色のカラーリングになっている。これまた不気味でセンスを感じない。
1153頃 京都発 東海道本線 車番忘れ
列車は遅延してやって来た。窓が雨に濡れている。西のほうでは今朝は降っていたのだろうか、大和路の朝模様からは想像もつかない。この列車で草津まで。
1225 草津発 草津線 モハ112-7701
学生列車に石部まで乗車、ここからは湖南三山を見て回る建築の旅である。
炎天下の石部駅に到着し、コミュニティバス「めぐるくん」に乗車。15分ほどすると阿星山長寿寺に到着した。ろくな案内看板も無く、遠回りしてようやく門に辿り着く。拝観受付には人は居らず、向かいの寺が本坊になっているので仏像の案内はこちらまでお申し付けくださいと貼り紙がある。折角来て本堂の中が見られないのは寂しいので、依頼することに。おばちゃんが対応してくださった。
国宝である本堂の建築はかねてから写真で見ていた通り質素な和様で、思ったよりも色合いは白い。しかしその独特の地に伏せたようなプロポーションは絶妙な美しさを持っている。その横に佇む弁天堂も重要文化財で、夏の花に彩られちょこんと立っている姿が愛らしい。
仏像はそれは素晴らしい物であった。阿弥陀如来坐像をはじめ、藤原時代の仏像がしっかりと残っていた。本尊の春日厨子は秘仏、今年の11月にご開帳となるようだ。50年に一度というこの機会、逃したくは無いのだが。
40分程の拝観の後、1km強ほど歩いて、拝観予約をしておいた常楽寺へ。ここでまた滝のように汗をかき肌に日を受ける。到着直後に買ったペットボトルの飲料をあっという間に飲み干すほど、この1kmは激しい道程だった。
向拝が三間付いた本堂はこれもまた檜皮葺きの中世和様本堂で、実に美しいプロポーションを持つ。そしてその左後方に見える三重塔がまた実にすばらしい。本堂は1360年、三重塔は1400年の建築であり、どちらも国宝。紅葉のシーズンはさぞかし美しかろう。午後からは逆光になる向きなので、11月あたりの朝が「見頃」なのだろうか。
仏像は風神雷神そして二十八部衆など非常に多くの古仏が暗く涼しい堂内に安置されていた。かつて盗難の被害があったようで、セキュリティに異常なまでの機器類が設けられており、なんだか寂しい。
40分程拝観ののち、再びコミュニティバスに乗車。このバス停がまた田園地帯の真ん中にぽつんと佇むもので、いやはや待つのも暑い。坂道を学校帰りの中学生が今にも止まりそうなスピードになりながらもこぎ続けて登っていった。
石部駅に戻り、ここから一駅草津線に乗り甲西駅へ。湖南三山の3つ目・善水寺は長寿寺・常楽寺とは距離があるのだ。
1535 石部発 草津線 モハ112-7701
先程乗った列車の、全く同じ車両に期せずして乗る事になった。行って帰って、来たのだ。
甲西に到着し、ここでまたバスに乗車。駅近くの甲西中学校に掛かる横断幕「人権の 薫り漂う 甲西中」が妙にツボに入った。その薫り、嗅いでみたい。
バスに乗車して「善水寺」バス停で下車する。しかし地図と道が全く合わない。自分が何処にいるのか、全く分からなくなってしまった。本来は一つ前の岩根バス停で下車すべきだったようで、地図はそこからのものを準備していたのだ。ではなんでこのずれた場所にあるバス停が「善水寺」なのだと苛立ちつつ、セブンイレブンを何とか見つけ、「この道をずーっと行ってもらってそのあたりでもう一度人に聞いてもらえれば」というざっくりとした道案内を受ける。時刻は既に16:10頃。入山は16:30までなのでピンチである。何とか歩き続け、ようやっと案内看板を見つけ、残り300mほどになり、時刻は16:23。間に合った、と思った。
しかし残りの300mが、恐ろしい上り坂だったのだ。意を決し走っていったが、途中で心肺が限界。これだけの荷物を持っているので、そう簡単に駆け上がれる山ではなかった。
それでもボロボロになりながら脇目も振らず登り続け、受付に16:28に到着。間に合った……
ゼイゼイと息を切らしながらインターホンを鳴らし、拝観に。
善水寺というだけあり水に関する逸話が残っており、元明天皇・桓武天皇らとのゆかりのある古寺。国宝本堂の前庭には池があり、昔は自然に湧いていたようなのだが、最近はポンプで汲み上げているとのこと。しかし数日前からポンプが故障しているらしく、かなり「水不足」となっていた。
1366年再建の本堂は三山の他2寺本堂と比べると、向拝が無く比較的四角く纏まった印象。七間×五間と数字にそれは現れていないが、プロポーションは縦横ほぼ1:1に見える。組物等も控え目で、斜めの地面に建てている為、片側が少し懸造のようになっている。
仏像はここにもたくさんの素晴らしいものがいらっしゃる。延暦寺との縁も深かったこの寺、天台密教ならではの諸仏のようだ。東大寺二月堂を髣髴とさせる構成だが、その一つ一つの規模は大きすぎない。時代は1000年は遡るようで、その造り細やかさに目を見張る。しかしより小さな仏像たちは、手が折れてしまったり欠けてしまったり、修復が待ち望まれる状態となっていた。国宝とはいえやはり人がぞろぞろ大挙して来る場所ではないので、苦しいのだろう。心痛みながら、僅かながら浄財を。
17時頃、本堂は閉じた。蔀戸だった。ここで「平井聖「蔀を閉じて」」という下らない小ネタを思い付き一人ニヤリとする。今度は岩根バス停に向けて歩いて行くと、嗚呼なんと近いことか。
待ち時間はかなり長かった。蔵の目の前がバス停となっていた。なにやら蔵と心の錠はしっかり掛けろというような標語があったのだが、心の鍵を掛けてしまって本当によいのだろうか。
このバス停で40分程待っただろうか、バスに乗車し甲西の駅に戻る。バス車中、乗ると間もなく日は沈んだ。
1830 甲西発 草津線 クハ111-7704
さて夜はやることが無いので、関西本線経由で名古屋入りを目指す。草津線で、南へ。
1927 柘植発 関西本線 キハ120 303
関西本線、非電化区間。今回発の気動車である。柘植駅が思ったよりも何も無い。余目などと同じ、分岐駅でみどりの窓口はあるが町が無いパターンである。ホームの端はもう真っ暗闇なのだ。ふっと智頭駅が頭に浮かんだ。
キハ120はなかなか快走を続けたが、頻繁に警笛を鳴らして走っている。第四種踏切の通過時なのだろうか、と思っていると、やがて本当に警笛を鳴らし続けて非常ブレーキ・急停車。しばらくすると運転士の放送により“鹿”の影響と判明する。衝突はしていないようだ。少しした後再出発となった。その後も警笛が鳴るとビクビクとしてしまった。若干の遅れが生じたため亀山到着直前は120の本気を見ることが出来たが、Z軸方向の軸に対して回転するような揺れがあり、あまり気分良くはなかった。
1955 亀山発 関西本線 クモハ211-1
JR西日本区間を去り、東海区間へ。なんと211のトップナンバーである。これはなかなか珍しい。
ロングシートでの旅は爆睡。今日も一日中太陽に当たり、疲れが溜まっていただろうか。
名古屋に到着。夕飯が中途半端になっていたので何か軽く食べようと思うものの、レストラン街に入るほどでもないので駅前を適当に歩く。するとスパゲティー屋「チャオ」を見つけた。なんとも名古屋らしいちょっと変わったメニューがあるので、丁度良いと思い入店。カツがスパゲティーに載っているなんとも不思議なメニュー「コートレット」を選んでみた。面白き味。
2200 名古屋発 東海道本線 サハ313-5302
一駅乗って、ホテルのある尾頭橋へ。
駅から徒歩一分のホテルリブマックスは、マンションの改造のようで、部屋というよりはアパートのような室内。キッチンや洗濯機、靴箱、衣装棚まであり、トイレと風呂も別。なんだか落ち着かず、そして窓の外を東海道本線と名鉄が通る音がかなり大きい。しかもプランが「ツインの一人利用」で安いという、ちょっと訳アリなのかと思わせるようなものだったことも相俟って、一向に眠くならない。失敗したな、という印象。終電が終わって鉄道が減るかと思いきや、東海道本線の貨物列車はむしろ増え、20分に1本ほど通過して行くではないか。その調子で気分が落ち着かず、適当にテレビを見て(つるかめ助産院とかw)、ぼんやりとしていた。おそらく眠れたのは2時間程度であっただろう。
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