9月4日

 名古屋近辺の建築を見て、豊川に寄って、飯田に入る。比較的ノンビリな一日の計画である。

0535 尾頭橋発 クハ312-305
 早朝に武豊線を乗り潰してしまおうという計画。朝一番の列車からずいぶんと混雑。

0556 大府発 キハ75-402
 車窓には雨。寝不足の目はなかなか開かず、気づけば武豊。

0632 武豊発 同上
 折り返し。こちらも何も無く寝続けている。なんなんだこれは。車窓が異常なほどに単調なのだ。

 金山に戻ってきてからは駅から歩き、東別院へ。建築は新しくRCのように見受けたが、プロポーションなどは意外と美しい。雨が今にも降りそうな天気。メーテレ本社の前ではアナウンサー二人が生放送らしきことをやっている。その後ろをぼけーっと歩いて抜けて行った。
 東別院からは地下鉄に乗り、八事駅へ移動。
ここでは八事山・興正寺という寺へ。1688年建立の真言宗寺院で、江戸後期(1808年)の五重塔が立つ。この五重塔は細くて規模も小さく、庇も相輪も短い、江戸後期の特徴がしっかりと出ている。近くから見ると綺麗に見えるように思う。
ここで雨に見舞われ、退散。金山駅に戻り、一路岡崎へ。当初は国府宮へ行こうと考えていたのだが、ここは体力的にパスする。

0912 金山発 東海道本線 モハ313-5302
 この列車の中でいきなり天気が一転、少し晴れ間すら見えてきた。昼からどうなるのだろう。ぼんやりしながら、気づけば岡崎に到着。
 岡崎からバスに乗り換え30分乗車し北へ、向かうは大樹寺。この禅寺には室町時代の多宝塔や江戸時代の山門などが残る。山深いということは全く無いが、なかなかの古寺の印象。広大な墓地も持ち、この地域の檀家との結び付きも強いのだろうか。
 大きな山門の詰組はなかなかの迫力を持っていた。すぐ目の前を街道が通り車通りも多く、道の反対側には小学校がある。その姿全てを見るのが難しいほどにギリギリの位置に聳え立っていた。多宝塔は細身で檜皮葺きと実に自分好み。こちらは純和様のようだ。
 ここでトイレがギリギリ限界になりかなりパニックに陥る。境内にあったのが救いであった…。

 再びバスで岡崎に戻り(バスを捕まえるのにバタバタしたが)、一路豊川へ向かう。

1217 岡崎発 東海道本線 クハ312-9
 この区間で既に太陽が姿を見せ、気温もぐんぐんと上がってきた。

1242 豊橋発 飯田線 クハ212-5009
 乗り換えて、豊川へ。

 豊川到着。まずは三明寺へ。ここには三重塔があるが、これが1・2層が和様、3層が扇垂木・しのぎのある尾垂木の禅宗様という非常に全国的にも珍しい構成。いざ行って見てみると、初めは違和感を覚えるのだが、少し離れて見てみるとそのプロポーションや反りの具合が美しく見えて来た。なかなか面白い。
 そして今度は線路を跨ぎ、豊川稲荷へ。途中の和食処「松屋」で稲荷寿司を4つほど買ってから境内へ入る。誰も山門や鐘楼には目もくれず、殆どの人は大鳥居から本殿へと向かっていた。山門は16世紀のもので境内最古、小さいながらもなかなかの貫禄を見せていた。セミの抜け殻が複数付いていたのが印象的であった。鐘楼は昭和に作られたというが、その様式やプロポーションは非常に完成度が高く、周囲にしっかりと溶け込んでいた。これはなかなか素晴らしい。法堂、本殿、奥の院と見てまわり、一巡が終わったところでみこし殿の横のベンチで稲荷寿司を食す。空腹にしみる美味さである。わさび入りのものが実に気持ちの良い食べ心地であった。
 豊川稲荷を後にし、豊川進雄神社、徳城寺と巡って、豊川駅に着いた頃にはまたしっかりと肌を焼いてしまっていたようだ。暑さに汗が腕を流れ落ちる。駅中でクーリッシュを購入し、溶かしながら列車に乗り込んだ。

1455 豊川発 飯田線 クモハ313-3021
 この列車で一路飯田までで向かう。豊橋発岡谷行という恐ろしい列車である。新城から中部天竜あたりは睡魔に屈していたが、そこからは起きていた。丁度景色の良くなる区間である。西に傾く太陽の光はもう渓谷・川には落ちて来ない。「大嵐」「中井侍」「為栗」など難読駅が続く。鶯巣の駅ではホームにかわいらしい猫がちょんと座っており、列車を見送っていた。
 天竜峡のあたりで丁度日没。飯田に着くと叔母夫婦が迎えてくれた。

 櫻井京子さんの営む「アートハウス」にて、談笑しつつの夕食。ホテルは弥生という駅前の宿を予約してあったのだが、ここが実に雰囲気良く綺麗だった。この日は良く寝られた。つるかめ助産院はやはり見た。


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