木曽福島、そして奈良井
木曽福島、そして奈良井
さて、今回は少し新たな取り組みとして、「旅行記のように撮影行記録を書く」というものをやってみようかと思う。何とも撮影記録は「記録」に留まる事が多く、酷い時はただの撮影地ガイドのような物で終わってしまう事すらある。しかし撮影行は歴としたひとつの非日常であり、その感覚を残さずして終わりにするのは非常に勿体ない事である。所詮は帰宅後数日経った後の感覚でしか語れないものではあれど、こうして形にしてみる事で何か見えるかもしれない。

(そんな前置きをしながら、きりが悪いので撮影行の前日、8月6日、合宿から一人離脱した部分をスタートとする旅行記から始めよう。)

13:30 pm。
木曽福島の豆腐屋「和幸屋」で昼食を済ませた。非常に美味であった。ここから単独行動を開始。照り付ける日差しが今回の合宿の中では最も強い。上の段地区の路地は予想していた物よりも無機質であったが、これはこれで好みである。保存などの視点で捉えられていない、自然発生的な街区や路地が至った自然な現在であろうか。表通り側には木造建築や海鼠壁が残っており、こちらは保存の風合いが強かった。路地のあるエリアは比較的狭かったので、存分に廻り尽くした。照り返しが「暑い」というよりも「熱い」。
ここから移動し、木曽川の崖家造りを見る。1棟が改修されてしまっていたので、少し迫力に欠けるが、川面に下りて見上げてみれば夏空を背景に競り出してくる様が実に不思議である。地震国日本でこのような構成にしようと思う神経をまず疑ってしまうのだが、単純に「もの」として見るとこれはなかなかに素晴らしい絵である。
時計を見ると14時50分。ちょうど良い時間であったので、暫く歩いていき、合宿組のバスの出発を見送った。窓越しの合宿参加メンバーに手を振る事よりも、バスの運転士との会話のほうが心に熱く残った。運転士は非常に人柄もよく、合宿中に幾度か話をしていた。出発を見送るためバスの斜め前方に立っていると運転士は窓を開け「どうぞ乗ってください」と言ったが、私がここで「離脱」するのを車外から告げると少し残念そうにしていた。バス旅は非常に慣れないものであり、疲れがかなり溜まったのは確かであるが、この運転士は非常に好い印象であったし、複雑な道のりの中でも信頼出来る運転であった。私の中にもここで離脱する事を残念に思う気持ちが芽生え、まさかこんな心境になるとは思いも寄らなかったため驚きながらも「お世話になりました」と伝え、右折して中山道を上りゆく中型バスを見送った。不思議な形で本当の非日常がスタートした。
木曽福島はかねてより訪れたかった地である。以前は中央西線は完全に移動経路として使い、多治見以外は途中で全く下車をしなかった。中山道の宿場町はやはり魅力的であるので、今回は非常に良い機会であった。しかし合宿行程では1時間半と非常に短い滞在時間の予定であり、これではどう考えても満たされないので、ここでの離脱を決意し、翌日には高山本線の撮影を連続させるという行程を思い付くに至ったのである。

単独行動をスタートし、まずは興禅寺へ。あまり行く気は無かったのだが、日本で最も広い面積を誇る重森三玲作の枯山水庭園「看雲庭」があるので、主にこれを見に行く。枯山水庭園はあまりインスピレーションを掻き立てられた事も無く、正直に言えば「枯れてない山水」のある庭園のほうが好きであるが、実はそれが自分の中では腑に落ちていなかった。そこに広がる物から何かを見出すことが出来ないのが、明らかに自身の内部に存在する「ノイズ」の所為ではないかと思うのだ。
興禅寺は古刹ではあるが建物はさほど古くない。宝物館はなにやらとても新しくなっており少々不気味なほどであった。何故ここにこんな財力が…?などと、また邪念が心の中を埋め始めるころ、看雲庭へ。
確かに非常に広いのだが、見渡すという広さではない。思ったよりも造作は少なく、至ってシンプルである。重森三玲というともう少し造り込んだ印象のものなのかと思っていただけにこれは意外であった。この造作の少なさに加え、庭の外に連続して植えられている松、その上を塗る青空、それらに落ちるトップライト、これは今まで枯山水庭園で見た事のない光景であった(単純に言えば、非常に美しい絵になっていた…)。物が少ない分、何かを見出そうと頭が過敏に動く事も無く、今思えば平らかな心持ちに近付いていたのかもしれない。20分ほど滞在すればきっと何かしら自分の内部との対話が生まれただろう。結局旅行は忙しないもので、その瞬間を待たずして今回も枯山水庭園を後にしてしまった。

列車までは時間があるので、ぶらぶらと歩きながら市街地へと戻る。崖家造りをもう一度見にいったところ、ちょうど斜光線が雰囲気のいい色彩を与えてくれる時間帯となった。意外と早い時間帯、16時前後からこのような光になるのだ。思うよりも1時間ほど早い。先程までの力強いトップライトの下とはまた表情を変え、不思議なくらいに有機的に見えてくる。斜光線の力は面白い。
燕のヒナの撮影などをして、木曽福島駅に到着。横に平たい木造駅舎の上に、ベタ塗りにされたような青空が広がる。不思議なくらいに平面的な絵である。

木曽福島 1633 車番忘れ
列車移動とはこうも安心できるものなのか!安定した軌道を安定した速度で走る列車というものが(基本的には)いかに安心感があるか。バスの直後に乗るとこうも強く感じられるのかと驚く。その驚きも束の間、乗車時間25分弱で奈良井に到着。

奈良井は曇天であった。17時を回り、観光施設は悉く閉まっていくので、街並みを眺めるくらいしか出来る事は無い。保存の歴史すら在るこの街並みは1kmほど続いているが、道幅が思ったよりも広いので絵にするのが難しい。あまり絵にならないなぁと思いながら歩いて行くと気付けば街並みが終わる所まで来てしまい、鎮神社で折り返して線路際を歩いて帰ってくる事に。ここで小雨が降り出した。奈良井の橋を撮影しそのまま暇を潰しているといよいよ雨が強くなってきて、黄昏の街並みの撮影でもしようかと思っていたのだがこれを断念、駅舎に逃げ込んだ。
駅舎に入るとたちまちあたりは暗くなっていき豪雨が始まった。50ミリ級の豪雨であった。そんな中駅にはEF64の重連で牽引される下りのタンク貨物が進入し、停止。見間違いでなければ国鉄色であった。特急と下り普通を待避し、暫くすると音も無く走り去って行った。
晴れていればちょうど日没時の夕焼けが雲を染めている頃、豪雨の奥の雲が黄色く染まり、あたり一面が不気味な雰囲気に包まれた。その数分後にはその色が急に紫へと変わり、数分で灰褐色の黄昏へ。こんな天気とはいえ、太陽の力が垣間見えた瞬間であった。
ちょうど列車の入線時には雨も殆ど止んできた。

奈良井1906 クハ312-1314 → 木曽福島 1948 しなの24号(車番忘れ)
列車で木曽福島まで戻り、木曽福島からはしなの24号へと接続。木曽福島では乗継に20分以上の時間があるため、駅前の土産屋の片隅で売られているパンとお茶を購入し、特急内で慎ましやかな(いや、貧相な)夕食とする。駅前は既に暗闇が広がり、いよいよ非日常らしい非日常がやってきている事を実感する。やはり夜と非日常の幕開けは切っても切れぬ物なのか。奈良井であれほど降っていた豪雨はこちらでは完全に止んでおり、近年の雨雲のスポット的な一面を肌で感じる。
山は漆黒、かすかに山際の空が蒼く光っており、今日の眩しい日中の名残といった様相。特急は2分ほど遅延してホームに滑り込んできた。しかし、先程まで乗っていて、隣の上松駅までこの特急を先行する普通列車が、ちょうど木曽福島と上松の間で鹿と衝突したらしい。鹿トラブルといえば、昨秋9月の関西本線でも当該列車が接触したのを思い出す。いずれにせよこの接触(アナウンスでは「鹿と衝撃」という言葉を用いていた)により車両点検が行われているらしく、しなの24号は34分の遅延をもって木曽福島を出発することとなった。
列車は回復運転は出来なかった。そもそものダイヤがかなりの高速ダイヤなのだろう。ほぼそのままの遅延を持ったまま、多治見に到着。

多治見2132 キハ11 101
さて3度目の太多線である。キハ11はほぼ自分と同世代の気動車であり、平成の産物なのだが、車内の化粧板はすべて黄色く染まっており、モケットは焦げ茶。その内外の風貌からは時代を感じる事すら出来る。ああ自分も古い人間になったものだと、キハ11と束の間の「嘆きの対話」をし、気付けばそのロングシートでうつらうつらと。美濃太田には40分ほどで到着した。
美濃太田には高山・太多の気動車群の車両基地がある。太多線車窓ではちょうど沢山の気動車が見え、そこからさらに少し走ると駅に到着するといった格好である。基本的に1車両に1つ以上の顔が付いている気動車が集結して夜を迎えている様はまさしく「巣」や「ねぐら」といった表現が相応しい。しかし駅を降りるとそれを上回る「ねぐら」が展開されていた。
この駅は非常に大きく新しい。駅前はロータリーが構えられ、コンビニなどはなく人通りもない、非常に無機質な(いかにもJR東海管轄の)駅前といったところ。一度降りているので知ってはいたものの、夜見るとその寂しさがさらに引き立つ。
道だけは一丁前に太いので、電線は黒い空に張り巡らされているのだが、その電線に何かギザギザとしたエレメントが付随している。まぁそういう電線もよく見かけるので今回もそれだろうと思ったのだが、どうも様子がおかしいので二度見すると、そのすべてが雀であった!ほぼ10cm間隔でぎっしりと、全ての電線という電線につかまり、夜を越そうとしているのだ。商店の看板の上面には雀よけのギザギザの針のようなものが付けられているのだが、平気でその上にも掴まっていて、彼らに怖いものは無いようだ。軽く1万羽は超えていたのではないだろうか…美濃太田の雀基地はなかなかの大規模であった。一番列車と同時くらいに出発するのだろうか。

ホテルはステーションホテル美濃加茂。これが何とも歓楽街(といっても店は数軒)の一つ裏の路地のようなところにあり、3Fがフロントで2Fはスナックという構成。チェックインしてからコンビニの所在を聞くと案内図を渡してくれて、こういくと良いという道を教えてくれたのだが、ホテルを出てその道を見ると、いやはや見たこともないような漆黒が広がっている。これは剣呑、何かあっても誰も何も助けてくれやしない、というか全く見えないので、それでも充分に暗い大通りを通りながら迂回してコンビニへ向かい、翌朝・翌昼分の食料と水を調達。なんという危ない道を案内してくれたものだと、苦笑が止まらない。
そんな立地の古めのホテルではあったが嫌な感じは全くせず、ただ体が熱かったからか、あまり睡眠をとった感覚は無い。それでも充分に休息を取れた。


思ったよりもつらつらと筆が進んだ。撮影行に入る前に一度ページを改めよう。

写真
1枚目:木曽福島の路地
2枚目:崖家造り
3枚目:奈良井宿

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