朝6時に起床。カーテンの向こうは昨晩より十数cm分厚くなった積雪が広がるばかりで、降雪も昨晩から相変わらず続いているようである。絵になるものもすべて雪に埋まってしまっているであろうと判断し、漁港行きを断念。そして二度寝が深すぎて次に起床すると9時半、9時までのホテルの朝食を逃すw あわてて支度し、10時前の集合に間に合わせる。

今日も仕事。かなり順調に進む。昼食時には先方の学生とも談笑。コミュニケーションにおける「出し入れ」みたいなものは難しいが、こういう時には意外とアイドル趣味が生きたりするw むろん、類型から推定し、別なる事例に適用するための学習能力は必須だ。
午後も作業。一気に終わらせ、自分が大きく求められる部分をちょうど出発予定時刻前に完了。撤収の手伝いをし、おおかたケリがついた所で早くも皆々と別れる。つくづく自分は勝手な自由人であるw 元々北陸旅行が先に計画されていたので、こうなるのも御理解いただくとしよう。

現場を去る時には降雪も上がり、薄日が差してきた。気温が上がっており、歩道の積雪はみな一気に融解を始めている。それでも日陰はアイスバーン状になっているところもあり注意を要した。
出発からわずか30時間で復路の乗車券に入鋏(舞鶴・山陰・東海道・高山線・北陸・信越・長野新幹線経由であるw)。これより、下呂までおよそ5時間半の移動。

1627東舞鶴 まいづる12号 クモハ286-4
1833京都 ひかり532号 車番記録忘れ
1905米原 クハ312-19

B特急はとても安いので助かる。新幹線に乗り継ぎ、京都~米原のみ乗車し、この20分程度の駅間で駅弁を食すw 米原では特急の遅延にとばっちりを喰らい在来も少し延発したが、大垣の数分の停車をほぼゼロにしたため岐阜駅着はほぼ定時であった。

2010岐阜 キハ48 6813

高山本線に乗り換え。撮影していたら車内が満員になっていた。県庁所在地の平日の夜である。長森、那加、蘇原、各務ヶ原、鵜沼、坂祝、美濃太田と懐かしい駅名が並ぶ。1年半ぶりの乗車である。この向きでの乗車はこの区間は初めてであった。
鵜沼までに多くの客は下車し、ボックスを確保。ここからは落ち着いて旅路を楽しむ。
うつらうつらとしていたのだが、しかし美濃太田から居酒屋帰りのやたら声のでかいおっさん4人組がロングシートのほうでそれは大層迷惑な大騒ぎを始めた。やれやれ何だかなと思いつつ、体を青モケットに預ける。白川口で居なくなってくれて助かったw

下油井を過ぎると電波状況もいよいよ悪くなってきて、景色にも雪が見え始める。飛騨金山、焼石と進むと(駅間が長いのでそうポンポンとは進まないが)、気候が急変し、ぐいぐいと山岳線区に進んでいる事を実感する。ちょうど後閑・上牧のような。焼石からは車窓で翌日の撮影地を確認。木々への着雪もあるが、明日の日中の気温は3度ほどまで上昇してしまうらしい。せめて午前中は銀世界が拝めますようにと祈る。
程なくして閑寂の下呂駅に到着。貸切となっていた列車は無人となり、淡々と去っていった。「ぼく高山まで仕事があるんで。」といった感じでw

下呂温泉訪問は5年ぶりである。当時は八尾以北にキハ58がいた時代である。あの時わざわざネットで事前に調べて行った料理屋の人に、とてもよくしてもらった。駅近くの温泉まで車で送ってもらったのだった。今回は時間も遅いので再訪は叶わなかったが、またいつか行きたいものである。その頃にはキハ40はもう、この線区でも過去となってしまっているのか。

駅を出て跨道橋をくぐり、駅の西側に回ると、並木への着雪がナトリウムランプ風の街灯に照らされて美しく煌めいていた。今日誕生日の誰かさんにメールで写真でも送ってやろうかとも思ったが、何となくやめておいた。折角なのでホテルを一度通り過ぎ、温泉街の入口付近の風景も見て、写真に納める。5年前と基本的に変わらない景色。あの時は夕方に到着し、温泉寺から街を見下ろしたのだった。

ホテルは駅前の富喜屋。古さは感じるが、小奇麗な宿である。24時間入れる温泉というのはいかなるものかと思ったら、各階にユニットバスの風呂場が設けられ、その湯が温泉になっているというものであった。面白いw 温泉らしい温泉ではないのかもしれないが、その泉質に変わりはない。入湯で長い移動の疲れを癒し、ベッドとソファーのみの簡素な部屋(これがまた潔くて小気味いい)で日付の変わる頃に就寝。


1990文字

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