中部・北陸旅行 2日目 北陸本線撮影その1
2015年2月12日 日常 コメント (2)6時前に起床。そこそこ良く眠れたか。
今日から3日間、北陸本線の撮影に充てる。運用がどうなるかわからないので、サブプランとして氷見線、城端線も視野に入れていたが、昨晩の時点で何とK1・T18とも北越ローテに入っているという。それにこの3日間は8001・8002レも毎日運転なので、夕方にも主産物があることになる。まず初日は勝手知ったる東滑川付近で調査を兼ねて撮影しつつ、午後の作戦を立てる事にした。
0623富山 クハ412-5
0654越中中村 富山地鉄 車番記録忘れ
日の出が遅いので、春夏の訪問時よりも遅い列車でスタートする。
水橋付近の車窓には積雪も見られたが、常願寺川を渡ると積雪量が一気に減った印象である。微妙な気候の差がここにも垣間見れる。
東滑川で降りた後、距離を減らすために、越中中村駅から西魚津駅までの一駅、地鉄を使う。これも知恵の一つ。
■撮影リスト
・524M(A19+A26)
・1051M・北越1号(T18)
・526M(A21+A18)
・8002レ
・427M(A10+A25)
・536M(同上)
ほか、413系など
まずは昨年5月・9月に訪問した築堤区間。思ったほど積雪が無いのだが、これはこれでリアルな冬の姿なのかもしれない。
冒頭の524Mの時刻を直前まで数分勘違いしていて、危ういところだったが、とりあえず狙い通り仕留める。
その後も順当に撮影を重ね、築堤区間でもろもろを撮影。
その後、413系(新北陸色)の鈍行と北越2号(R編成)を早月川で撮影し、東滑川駅に戻る。
1130東滑川 モハ412-5
1219富山 521系(車番記録忘れ)
ここで一気に転戦。EF81牽引の1083レ、北越4号(K1)を、高岡西高岡で仕留める計画。しかしこの列車のみ16分も遅延してきて、移動時間がキツキツになる。タクシーを使うか否か、葛藤の車内。
■撮影リスト
・1085レ(EF81 735牽引)
・1054M・北越4号(K1)
結局、西高岡から歩くことにした。まず貨物は西高岡駅から1kmくらいのところで、どうにか編成を撮れる(あわよくば首カックン気味に)場所があるであろうことを空撮などから確認したので、ここで待つ。
列車は10分ほど遅れ、これ以上遅れると北越4号に間に合わなくなるので場所を去らなければならないという予定時刻・13:05ちょうどに通過した。EF81 735牽引。相変わらず高岡着発の貨物は牽引機の後ろがスカスカなので、望遠で切ってごまかすw
そしてここから徒歩鉄の艱難辛苦の真骨頂といった25分間。酷烈な冬の向かい風と冷雨、それでも時速5km以上で正しい道を歩き続けなければ1054Mに間に合わないというプレッシャー。何だか途中で泣き出しそうになった。「これ、つらすぎるっしょ」と自分の決断を恨む。そして完全防水の靴についに限界が来たのか、浸水してきた。泣きっ面になんちゃらである。それでも何とか足を運び、1054M通過の4分前に現地に到着。
画角の計算が充分に出来なかったこともあり、負けた。やってしまった。ひとまずどうにかジャスピンでは撮れているので大丈夫と自分に言い聞かせないと精神的にやっていられなかった。一人旅の徒歩撮影の辛きことよ。
そして次はどうするか。この区間は、思ったよりも美しくない。残る主産物は8001レと1057M(K1)、両方とも下り列車である。下りの撮影地というと、やはり津幡~倶利伽羅が頭に浮かんだ。決断。なんとも中途半端な1054Mの1枚を得たのみで、この道を再び3kmほど歩く。
帰りは幾分風雨も弱まり、助かった。しかし心身ともに傷だらけである。
1447高岡 521系(車番記録忘れ)
相変わらず521系の車番は記録する気が起きないw
■撮影リスト
・1074レ(EF81 715牽引)
・8001レ
・1057M(K1)
二駅移動し、倶利伽羅駅で初めて下車する。相変わらずの雨。まずは駅から1.5kmほどの定番ストレートで、まず逆を向いて1074レ、次いで正しい向きで8001レを仕留める。15時台とは思えない露出。とにかく暗かった。
ここで築堤の斜面の泥濘に足を取られた際、折り畳み傘の柄を折ってしまった。そこから折れるのか!という場所、持ち手側の先端から10cmくらいの所であった。
8001レを仕留めた後は、駅近くのアウトカーブの撮影地に移動。その道中、雷鳴。さらに撮影地に着いた直後に、稲光と雷鳴。どうやら3~4kmの範囲に落ちているようだ。流石にこれは危険なので、跨線橋の下に避難。大学1~2年生と思しき撮影者(あまりこの路線に慣れていなかったようなので、関東からの旅行者か)と少し話す。親切心?で、1057Mが国鉄色ですよ、1056MはR編成ですよと教える。何となくの思いつきで、関西弁風のイントネーション(普段関西人と多く接することもあり、もはやお手の物であるw)でしゃべって、「こっちの人」を演じてみたw ええ、バリバリの関東人ですとも。
そしてとにかく酷い露出の中、1057Mを撮影。大雨であった。駅まで数百メートルなのだが、また跨線橋で雨宿り・避雷。雨雲レーダーとにらめっこし、最適と思しきタイミングで駅舎に駆け込んだ。
1758倶梨伽羅 クハ455-60
息を落ち着け、もろもろを片付け、駅舎にて飼われている蘭鋳を眺める。毎日眺める水槽の景色は退屈なのか。魚の悲哀を題材に歌とか小説とかを創りたくなる気持ちが良く分かる。
そして倶利伽羅から魚津まで、A19編成惜別乗車。各駅の停車の風景を出来る限り絵にすることを目標とした。
今回の撮影行では「叙情的と叙景的」というある種の「裏テーマ」を設定してみた。点景として鉄道車両を自然の中に配置して切り取れば、それは基本的に叙景的な鉄道風景写真となる。昨日の高山本線は間違いなくそうである。鉄道写真はだいたいこうなってしまう(あるいはもっと記録写真的になってしまう)ので、そこで「叙情的」な絵を撮りたいと思うに至る。そうするとやはり乗客、乗務員などの人間と鉄道車両の日常の交錯とか、そういう部分により注力して狙っていくことになる。鉄道写真のある種の単調さに少々飽きが来つつある今、新しいことを取り入れる良いチャンスかとも思った次第である。
暗い駅が続いたが、高岡の1分停車、富山の3分停車、そして何より魚津の特急退避長停を中心に、越中大門・小杉・滑川でも撮影。時間が良かったからか、思ったよりも人の乗降が激しい。とにかくシャッターを切りまくった。
やはりこの色、窓の列、顔は、とにかく絵になる。
魚津では乗務員とのカットも納め、糸魚川行を見送る。ここからの区間は乗降客も少なく、駅も暗いだろうから、乗車区間として最終日に残しておこう。
「また明日」なのは分かっていながらも、走り去るA19の尾灯が闇に消えるまで、2番ホームに暫く立ち尽くしてしまった。
1933魚津 クモハ413-8
これで富山に戻る。
夕食は昨日の店の隣にて、ささやかに富山尽くし・パート2。
ホテルに戻り、洗濯。今回の旅程は長いのでここで選択しないと荷物過多になりそうで、結果この策に落ち着いた。
翌朝は気を取り直して高岡西高岡再挑戦と行こうか。石動倶利伽羅の峠・定番に行こうか。しかし後者は今日の嵐の印象が強くて、訪問が怖い。しかも明日は大雪の予報である。どうなるか…当日判断にすると決め、眠りに就いた。
3430文字
今日から3日間、北陸本線の撮影に充てる。運用がどうなるかわからないので、サブプランとして氷見線、城端線も視野に入れていたが、昨晩の時点で何とK1・T18とも北越ローテに入っているという。それにこの3日間は8001・8002レも毎日運転なので、夕方にも主産物があることになる。まず初日は勝手知ったる東滑川付近で調査を兼ねて撮影しつつ、午後の作戦を立てる事にした。
0623富山 クハ412-5
0654越中中村 富山地鉄 車番記録忘れ
日の出が遅いので、春夏の訪問時よりも遅い列車でスタートする。
水橋付近の車窓には積雪も見られたが、常願寺川を渡ると積雪量が一気に減った印象である。微妙な気候の差がここにも垣間見れる。
東滑川で降りた後、距離を減らすために、越中中村駅から西魚津駅までの一駅、地鉄を使う。これも知恵の一つ。
■撮影リスト
・524M(A19+A26)
・1051M・北越1号(T18)
・526M(A21+A18)
・8002レ
・427M(A10+A25)
・536M(同上)
ほか、413系など
まずは昨年5月・9月に訪問した築堤区間。思ったほど積雪が無いのだが、これはこれでリアルな冬の姿なのかもしれない。
冒頭の524Mの時刻を直前まで数分勘違いしていて、危ういところだったが、とりあえず狙い通り仕留める。
その後も順当に撮影を重ね、築堤区間でもろもろを撮影。
その後、413系(新北陸色)の鈍行と北越2号(R編成)を早月川で撮影し、東滑川駅に戻る。
1130東滑川 モハ412-5
1219富山 521系(車番記録忘れ)
ここで一気に転戦。EF81牽引の1083レ、北越4号(K1)を、高岡西高岡で仕留める計画。しかしこの列車のみ16分も遅延してきて、移動時間がキツキツになる。タクシーを使うか否か、葛藤の車内。
■撮影リスト
・1085レ(EF81 735牽引)
・1054M・北越4号(K1)
結局、西高岡から歩くことにした。まず貨物は西高岡駅から1kmくらいのところで、どうにか編成を撮れる(あわよくば首カックン気味に)場所があるであろうことを空撮などから確認したので、ここで待つ。
列車は10分ほど遅れ、これ以上遅れると北越4号に間に合わなくなるので場所を去らなければならないという予定時刻・13:05ちょうどに通過した。EF81 735牽引。相変わらず高岡着発の貨物は牽引機の後ろがスカスカなので、望遠で切ってごまかすw
そしてここから徒歩鉄の艱難辛苦の真骨頂といった25分間。酷烈な冬の向かい風と冷雨、それでも時速5km以上で正しい道を歩き続けなければ1054Mに間に合わないというプレッシャー。何だか途中で泣き出しそうになった。「これ、つらすぎるっしょ」と自分の決断を恨む。そして完全防水の靴についに限界が来たのか、浸水してきた。泣きっ面になんちゃらである。それでも何とか足を運び、1054M通過の4分前に現地に到着。
画角の計算が充分に出来なかったこともあり、負けた。やってしまった。ひとまずどうにかジャスピンでは撮れているので大丈夫と自分に言い聞かせないと精神的にやっていられなかった。一人旅の徒歩撮影の辛きことよ。
そして次はどうするか。この区間は、思ったよりも美しくない。残る主産物は8001レと1057M(K1)、両方とも下り列車である。下りの撮影地というと、やはり津幡~倶利伽羅が頭に浮かんだ。決断。なんとも中途半端な1054Mの1枚を得たのみで、この道を再び3kmほど歩く。
帰りは幾分風雨も弱まり、助かった。しかし心身ともに傷だらけである。
1447高岡 521系(車番記録忘れ)
相変わらず521系の車番は記録する気が起きないw
■撮影リスト
・1074レ(EF81 715牽引)
・8001レ
・1057M(K1)
二駅移動し、倶利伽羅駅で初めて下車する。相変わらずの雨。まずは駅から1.5kmほどの定番ストレートで、まず逆を向いて1074レ、次いで正しい向きで8001レを仕留める。15時台とは思えない露出。とにかく暗かった。
ここで築堤の斜面の泥濘に足を取られた際、折り畳み傘の柄を折ってしまった。そこから折れるのか!という場所、持ち手側の先端から10cmくらいの所であった。
8001レを仕留めた後は、駅近くのアウトカーブの撮影地に移動。その道中、雷鳴。さらに撮影地に着いた直後に、稲光と雷鳴。どうやら3~4kmの範囲に落ちているようだ。流石にこれは危険なので、跨線橋の下に避難。大学1~2年生と思しき撮影者(あまりこの路線に慣れていなかったようなので、関東からの旅行者か)と少し話す。親切心?で、1057Mが国鉄色ですよ、1056MはR編成ですよと教える。何となくの思いつきで、関西弁風のイントネーション(普段関西人と多く接することもあり、もはやお手の物であるw)でしゃべって、「こっちの人」を演じてみたw ええ、バリバリの関東人ですとも。
そしてとにかく酷い露出の中、1057Mを撮影。大雨であった。駅まで数百メートルなのだが、また跨線橋で雨宿り・避雷。雨雲レーダーとにらめっこし、最適と思しきタイミングで駅舎に駆け込んだ。
1758倶梨伽羅 クハ455-60
息を落ち着け、もろもろを片付け、駅舎にて飼われている蘭鋳を眺める。毎日眺める水槽の景色は退屈なのか。魚の悲哀を題材に歌とか小説とかを創りたくなる気持ちが良く分かる。
そして倶利伽羅から魚津まで、A19編成惜別乗車。各駅の停車の風景を出来る限り絵にすることを目標とした。
今回の撮影行では「叙情的と叙景的」というある種の「裏テーマ」を設定してみた。点景として鉄道車両を自然の中に配置して切り取れば、それは基本的に叙景的な鉄道風景写真となる。昨日の高山本線は間違いなくそうである。鉄道写真はだいたいこうなってしまう(あるいはもっと記録写真的になってしまう)ので、そこで「叙情的」な絵を撮りたいと思うに至る。そうするとやはり乗客、乗務員などの人間と鉄道車両の日常の交錯とか、そういう部分により注力して狙っていくことになる。鉄道写真のある種の単調さに少々飽きが来つつある今、新しいことを取り入れる良いチャンスかとも思った次第である。
暗い駅が続いたが、高岡の1分停車、富山の3分停車、そして何より魚津の特急退避長停を中心に、越中大門・小杉・滑川でも撮影。時間が良かったからか、思ったよりも人の乗降が激しい。とにかくシャッターを切りまくった。
やはりこの色、窓の列、顔は、とにかく絵になる。
魚津では乗務員とのカットも納め、糸魚川行を見送る。ここからの区間は乗降客も少なく、駅も暗いだろうから、乗車区間として最終日に残しておこう。
「また明日」なのは分かっていながらも、走り去るA19の尾灯が闇に消えるまで、2番ホームに暫く立ち尽くしてしまった。
1933魚津 クモハ413-8
これで富山に戻る。
夕食は昨日の店の隣にて、ささやかに富山尽くし・パート2。
ホテルに戻り、洗濯。今回の旅程は長いのでここで選択しないと荷物過多になりそうで、結果この策に落ち着いた。
翌朝は気を取り直して高岡西高岡再挑戦と行こうか。石動倶利伽羅の峠・定番に行こうか。しかし後者は今日の嵐の印象が強くて、訪問が怖い。しかも明日は大雪の予報である。どうなるか…当日判断にすると決め、眠りに就いた。
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コメント
「叙情的」鉄道写真、なるほどと思いました。これからそういうのを開拓していくのは面白いかもしれないっすね。「叙景的」なものに関しては自分の中である程度の方法論が確立された感もあるw
今までも叙情的な絵は無意識に撮ってたと思うんだが、はっきりとそう意識して撮ると狙い・意図が明確になるし、まだまだいろいろ新しい事が出来そうだなーと。方法論、やっぱそうっすよねw 解がススッと定まっていく感じか。