花束

2015年3月21日 日常
20日。ひたすら茨城の物件を調べていたら時間が矢のように過ぎ去っていき、何もタスクに着手しないまま夕方に。夜は研究室近くでコンパ。追い出される身ではないのだが、一つ節目であるということで後輩から花束を頂く。表では嬉しいと言いながらも心の内では完全に困惑するようになってしまったのはどうにも困ったものだ(いや困ってはいないけど)。労われるべき事を仮にしていたとしてもその自覚がないのだろうし、今回はそもそも…ねぇ。優しさも意外と怖いものだなと思ったり。完全にいつぞやの後遺症w

時折思うのは、アイドル趣味は意外とスピーチに役立つということ。複数人でいる時の出し入れはもちろん、その締め括り方だとか、要所に類型があって、それを駆使すると基本的に形は出来上がる。もっとも5分以上フリーな形でしゃべるような機会は最近まず無いのだが。

二次会は店を移動し、三次会は研究室へ。結局先輩とあれこれ語っていたら朝飯の時間になっていた。オールというものはいつ以来か?研究室に泊ること自体、約1年ぶりなのではなかろうか。
だいたい、偉そうなことを語れるほど中身が備わっている訳ではないが、ここから先は立場上、今までより幾分偉そうなことになっていく。コミュニティに入りたての頃の自分を思えば完全なるペーペーで、幸いにして持ち合わせている人一倍優れた学習能力でグイグイと…多角的な考え方だったり俯瞰的な視点だったりを手にした訳だ。これは後遺症を生んでいるいつぞやも同じ。ただ今回はこの地点に辿り着いてからまだ何年もこの世界が続いていく。いつぞやの断絶とは打って変わって、今回は「場に試されている」のかもしれない。教訓から学んだ事は山のようにあるし、上手く試していくことが必要なのかもしれない。もっとも、そればかりに気をやって研究が疎かになっていては話にならない。これもまたあの時と同じで。あの時以上に、メインのタスクに真摯に真剣に取り組まなければならない、というか出られない事になるw


21日は前夜の疲労を抜きながら過ごす。極端な睡魔にこそ襲われなかったが、特に何をするともなく時が流れて行った。勿体ないといえば勿体ないのだが、たまにはこういう日も必要だろう。長い目で見て考える事とする。
今場所は相撲が面白い。十両優勝のあたりから超注目していた照ノ富士が、ここまで来た。先々場所あたりに世間が逸ノ城と騒いでいる事に疑問を持っていたんだが、ふむ、やはり先見の明は我にありか。

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