12日・13日は、土日であったが、完全に自宅作業に充てた。明らかに平日扱いであった。流石に疲れたが、ようやく作業にケリがついた。
いろいろと溜息の出ることが多い。ふと思ったのが、自分は日本人ではないのかもしれないということ。もちろん日本の風土や文化、歴史(近現代産業史など)を愛しているのだが、これらはあくまで外から傍観し、俯瞰して好んでいるように思うのだ。逆に日本の文化、風習や日本人の民族性の中で忌み嫌う部分は、欧州人と比較して圧倒的に欠落している倫理観であったり、農耕民族らしさに起因する排他律であったり、そんな部分ばかりなのだ。根本的にこの国のマジョリティとは相容れないのだが、根本的に自分が明らかに異質な存在であるように、別に悲劇のヒーローぶるとかそんなつもりは毛頭なく、自然かつ理論的な考察の結果としてそう思う。
もう一つ。散り際を好む習性について。新しいものが好きな人間は、本当にそれが天性として恵まれていることを自覚してほしいと、逆の立場から常々思う。失われゆくものを、失われゆくからではなく、本質として愛することが多いので、はっきり言っていちいち心が揺さぶられて辛い。
さらにもう一つ。冷静に考えて、カメ、梨沙子、あっきゃんとか、3人とも芸能界からスッパリ居なくなろうとしてるじゃないか。この「3連単」の引きはパッと見では恐ろしいものがあるが、実際これは必然なのかもしれない。というのも僕自身、過去のコミュニティに対して同じような身の振り方をしているからだ。中核に近い部分に居たコミュニティで、である(排他的に扱われたコミュニティには端から近付こうとしていないのでこれは関係ない)。
結局、青春の長いスパンで継続的にハロプロを好きでいて面白いのは、明らかに自分に似た部分を持つ人間を好きになること、そして自分があまり好かない人間の中には自分に似た部分があること、だと思う。類は友を呼ぶ、というか、ヲタは推しに似る、とか、犬は飼い主に似るのは実際最初に買う時に自分に似た犬を無意識に選んでいるからだ、とか、そんな話と近いのだと思う。複数事例を相手にすると、そこから共通項を見出して仮説を立てることができて面白い。その中での例外処理、時系列的変遷の分析なども可能になる。
鞘師の卒業にあたって、彼女の中に、自分の中にある自分で嫌いな部分との共通性を感じて、また改めてこう思った。
こうしてまた博愛への道を歩めれば良いね、なんて、あまり思ってはいないけれど、結果的にそうなってこそ正しい大人なのではないか、などと思ったり。
何事も「師」であると日々思う。それが現実である限り。
いろいろと溜息の出ることが多い。ふと思ったのが、自分は日本人ではないのかもしれないということ。もちろん日本の風土や文化、歴史(近現代産業史など)を愛しているのだが、これらはあくまで外から傍観し、俯瞰して好んでいるように思うのだ。逆に日本の文化、風習や日本人の民族性の中で忌み嫌う部分は、欧州人と比較して圧倒的に欠落している倫理観であったり、農耕民族らしさに起因する排他律であったり、そんな部分ばかりなのだ。根本的にこの国のマジョリティとは相容れないのだが、根本的に自分が明らかに異質な存在であるように、別に悲劇のヒーローぶるとかそんなつもりは毛頭なく、自然かつ理論的な考察の結果としてそう思う。
もう一つ。散り際を好む習性について。新しいものが好きな人間は、本当にそれが天性として恵まれていることを自覚してほしいと、逆の立場から常々思う。失われゆくものを、失われゆくからではなく、本質として愛することが多いので、はっきり言っていちいち心が揺さぶられて辛い。
さらにもう一つ。冷静に考えて、カメ、梨沙子、あっきゃんとか、3人とも芸能界からスッパリ居なくなろうとしてるじゃないか。この「3連単」の引きはパッと見では恐ろしいものがあるが、実際これは必然なのかもしれない。というのも僕自身、過去のコミュニティに対して同じような身の振り方をしているからだ。中核に近い部分に居たコミュニティで、である(排他的に扱われたコミュニティには端から近付こうとしていないのでこれは関係ない)。
結局、青春の長いスパンで継続的にハロプロを好きでいて面白いのは、明らかに自分に似た部分を持つ人間を好きになること、そして自分があまり好かない人間の中には自分に似た部分があること、だと思う。類は友を呼ぶ、というか、ヲタは推しに似る、とか、犬は飼い主に似るのは実際最初に買う時に自分に似た犬を無意識に選んでいるからだ、とか、そんな話と近いのだと思う。複数事例を相手にすると、そこから共通項を見出して仮説を立てることができて面白い。その中での例外処理、時系列的変遷の分析なども可能になる。
鞘師の卒業にあたって、彼女の中に、自分の中にある自分で嫌いな部分との共通性を感じて、また改めてこう思った。
こうしてまた博愛への道を歩めれば良いね、なんて、あまり思ってはいないけれど、結果的にそうなってこそ正しい大人なのではないか、などと思ったり。
何事も「師」であると日々思う。それが現実である限り。
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