総括。

2015年12月31日 日常
30日。メダカの水槽に新たに隠れ家となりうるものをレイアウティングして、掃除して、写真整理して、ちょっと街に出たくらいか。
写真整理は、すべては追体験のため。そして記憶の風化を止め、かつ記憶の上書きも止めるためである。いいね乞食的投稿が並ぶニュースフィードにアナクロアルバムをブチ込むのも面白言っちゃ面白いw つくづく思う、このキ印っぷり。
街では15のシングルを買って、Gザテレビジョンの鞘師石田特集を見るために購入。ジュンク堂優秀。やっぱりハロ曲は高音質で聴くに限るね、とくにヒラショーとか大久保編曲はなおさら。
しかしつんくが関わっている曲はヴォーカルのヴォリュームが大きめになっていて、歌の「生感」が強くてとても良い。生きた感じがする。今年のハロ曲はほとんど音(とくにメロディライン)が籠っていて、正直聴き苦しかった。それだけに最後にこの名盤を手にできた喜びが大きい。
新体制に不満が募っているので書き始めると爆発しそうなので自制する。いずれにせよ、来年以降もつんくが娘曲には関わってくれることを祈るばかりである。


31日。ちょっと掃除して、写真整理して、くらいか。水島の工場夜景を除く全てのアルバムが完成した。今年は、23アルバム・934枚。1アルバムあたり40枚オーバーと、少々冗長になりがちだが、対象・物件の性格上仕方がない。鉄道写真よりもどうしても分量が多くなるものをたくさん相手にした1年だった。

そういえば明け方、服飾関係の仕事の就業人口の低下がニュースになっていたのを寝ぼけ眼で見たが、「自己表現としての服装」というのをできるほどの自己を、はたしてどれほどの人間が持ち得るのだろうか。大衆的な人間がそんなこと出来るわけもないのだから、必ずこれはマイノリティの特権ということになる。今減ってきているのか、それとも昔から変わらないのか。正直変わらないんだと思うが、もし差があるとするなら、自己を形成する経験や知というものが、誰かしらにより提供された、既存の画一的なものになっているからであろう。学ぶことも、遊ぶことも、誰かと何かすることも、全て先に軌条が敷かれたものばかりになっている現代で、自己などというものは生まれないだろう。ついでに、就業人口が減っているのは、もちろん中途半端な学歴を追い求める低~中流層の動きによるものだとは思う。

思えば一番病的に振れていた時期、自分の服装もなかなかピーキーで変なものになっていた。大学の保健センターの精神科に罹った時も待合室には変な服装のやつらがズラリと並んでいたのを思い出す。僕を含め彼らは皆、「自分が他者とは違う」ことを無自覚に、あるいはある程度は自覚的にかもしれないが、主張していたのだろう。集団内の同化を進んで行う一般的日本人とは正反対のベクトルである。これまた民族が違うんではなかろうかと思いたくなる。
いずれにせよ、生きていくために他者と迎合し調和を求む人間集団に、芸術的要素を求めることは無理だ。
でも、そうではない人間が、たかだか数十年で減ったとは思えない。
だからこそ思うのは、ノイズレベルの高さである。服装においてはファストファッションと呼ばれるものが、良いものに触れる機会を明らかに邪魔しているだろう。これにより、「本当はあるはずの世界」に興味を持てず、というか存在を認知できず、ありきたりな道を選択せざるを得ない(しかもその過程で環境的な物理力が追加される)。


思えば自分自身、この「ノイズ」というものに、必要以上に振り回された1年だったかもしれない。今年の自分は、圧倒的な自信という物がついに欠落して(まあ年とともにこんなものは無くならなければならない代物だと思うが)、自分が他者とは明らかに異質な存在でありながらもそれを肯定するために、自分の思考の中に理論武装を過剰に求める傾向にあったように思う。ひとたびノイズが気になるとセンサーが病的に過敏になり、悪循環に入ってしまったように思う。思えば勿体なかった気もするが、その一方で仕方がなかったとも思う。

今年は後厄だった。「喪失の年」であることを早々に気付き、その自覚と共に一年を過ごした。好きなもの、自分を安心させるものを、たくさん失ったと思う。2016年、何を糧に生きようか。いよいよ自分の「職」のためにさっそく1月から本格的に始動する訳で、それに奔走せねばならぬのは事実だが、それだけでは心が持たない。僕は仕事人間ではない。鉄道趣味はおそらく今年度、さっそく来週末に控えている旅でほぼピリオドが打たれる事になるだろう。B級物件めぐりも、案外季節が限られてくる。己の知的欲求のための実行動として、何をすべきだろう。座学ならばいくらでも出来るだろうが、それだけではやはり心が持たないのだ。僕は研究者には向いていない。長い息で生きていくために、さて何にフォーカスしてゆこうか。興味関心の対象へジャスピン、かつその構図的なバランスを的確に決めなければならない。
ああ、しかし本当にもう立ち止っていられないのだ。当たり前だ、お前何歳だ、という話だ。一体何の迷いがあるのだろうかと考えると答えは案外簡単で、自分の知的欲求をいい塩梅で満たす職というのはかなり限定されているから、そしてその欲求が満たされる頃には、僕の憧れた世界が消えてしまっているからだろう。未来へ希望を見出したい、と書くとなんだか自殺願望がありそうに聞こえなくもないが、そういうことではなく、純粋に前に進むための強い原動力が欲しいと思う(ただし外的な原動力には反力を働かせる悪い癖があるので、内的なものに限る)。

気付けば駄文を書き連ねてしまった。

来年の計は…まだなかなか定まりそうにないが、この流れで考えると、「ノイズ」を振り切り、自分の中での「迷い」を割り切って突き進む、といったベクトルの物になるのだろうが。
明らかに苦手意識のある題目になっている。人生のタスクに関しては明確なチェックポイントを作り、着実に一つ一つこなしていこうと思う。そして希望に関しては、フットワークを軽くして、善は急げ。一つでも賢くなれるよう、一つでも実物に触れられるよう、手遅れにならぬよう、喪失感を理由にアグレッシブさを失わぬようにしよう。


さて、あと2時間を切った。

1年間、隔日更新を続けてきた。途中で大幅に遅れたが、「フォロー0・フォロワー0」のアカウントのメモや、行動履歴になりうるメモ・データのおかげで、そこそこの純度を保って更新出来たのではないだろうか。意味がある記事、意味のない記事、後者のほうが圧倒的に多かったが、内容のある記事はそこそこあったように自分では思う。来年も隔日更新は継続してゆくことにする。

最後に。
こんな駄文ばかりのメモ書きを見に来てくださる皆様…といってもほとんどもう居りませんが(笑)、今年もありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。


PS.
鞘師里保、祝・卒業。
あなたにもグループにも、2016年そしてその先へ続く、明るい未来がありますように。

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