これから

2014年2月22日 日常
捧ぐ物もなければ、

認め合えるものもなければ。


究極の完結系に入ったら、

そっくりそのまま、何処かにオミットされてしまいそう。


ここに居ることも必要なのだと、

自分に言い聞かせて、

小さな三角形を幾つも幾つも描くこと。

それでいい。


いつかかならず。

順回転

2014年2月19日 日常
歯車がガチッと噛んだようだ。


攻めすぎず、ゆるゆると。

それでも充分、良いマシンだろうと、

自分に言い聞かせること。


どっちが良いか、終わってみればきっと分かるだろう。




涙が出るほどうれしいんだな。

もう一度

2014年2月19日 日常
息を吹き込んでくれた。

月曜日。

陽だまり。

康寧。




島梟に光を落すレグルスは、

昼を生きる物の太陽に同じ。

だからもう、これ以上の何も欲していない。



また雲が掛かって、白夜がレースコースへと姿を変え、

己の中に繰り返し描くべき小さな三角形が時とともに大きくなったとしても、

幸い白夜であるから、雲上に飛べばまたそこで、

レグルスは僕を照らすだろう。


遠く小さく、儚い光であるが、

どこまで飛んでも必ずそこにあるその星の、

変わらぬ色で在り続けることに、

この上ない安寧を抱くことができる。



ここが、きっと聖地なのだ。

そうであるなら、

今を享受して、

一つ微分したところで、

もう一度ピースを組み上げればよいのだろう。



この心の、どこかで捻じ曲がることのないように。


最愛の恒星、

永劫とは行かずとも、

いつまでも、そこにあらんことを。

レグルス

2014年2月13日 日常
80光年でも遠いのか。

サダルスウドは612光年だぜ。



サダルスウドなぁ。






メロディを描けるようになりたい。
センスが足りないか。

時間軸

2014年2月12日 日常
綺麗に折り畳まれたかのように、退行が見られる。
あの頃。


10日後の指定は乗変かな。

太陽

2014年2月7日 日常
晴天の陽だまりを欲するは本能か。

曇りでも良い、雨も構わない。
これでも、仄かに空は明るいのだ。
いつかきっと、太陽は姿を現すだろう、
そう信じてしまうのも、愚かな性であるか。

ひょっとすると、生まれ落ちた場所の北緯が高すぎるのかもしれないが、
それを確かめる術もない。
期待も推測も意味は無い。
ただ薄ら寒い時を過ごそう。




十月の安寧の陽光の下で、眠りながら餓死したい。
とてもちっぽけで、叶う事もなく叶える気もない夢である。

雑記

2014年1月21日 日常
目標だとか抱負だとか、こういった類の物のうち近接未来における物は、自分の実行可能な領域の外縁かつ近傍に設定するのが殆どである。しかしこの歳にもなってくると(というには未だ早いのかもしれないが)、現在の自分の実現可能な領域の形状というのが、自分の持ち合わせる性質そのものを表すようになっているのではないか。そうすると、自分の行動の型にフィットしないような物を誤って据えてしまうと、大きな自己矛盾を抱える事になる。惨憺たる結末へ至るのは不可避である。
そもそも、漠然とした理想像というのが己の中にあって、これとの不一致がこうした物の設定の大きな根拠・動機になるのは間違いない。その理想というのが果たして自分の中のどういった価値観により形成されているのか。何しろ価値観などという代物は一人の人間の中に幾つでも存在出来る。何かに感化されたことに因る物すら恰も自分の物であったかのように錯覚することも可能である。これを否定するつもりはない(否定すれば自分の進化の道を自分で閉ざすに等しい)が、「オリジナリティの比率」が至要たるパラメータである事は忘れてはならないだろう。純度高く自分に根付いた価値観(この「価値観」というふわっとした単語は元来好きではない。コミュニケーションに於いて相応しいとは到底思えぬ言葉の一つである)に逆らえば、ただ自縄自縛に陥るのみである。

自身の中で、大別して2つ、理性と感性は常日頃から強く併存している。どちらも引く事を知らず、非日常に於いてそれらを同時に満たす事は可能であるが、日常に於いては対立構造から脱する事が出来ない。恐らくこの構造こそが己の人生という逍遥を鬱然たるものに変容させてしまっている。こればっかりは仕方がない。こんな事を公然と言っても誤解を生むのみで何の生産性も無いどころか誰も幸せにならないから発するのは初めてかもしれないが、「皿に対して料理が過密」とでも言おうか、己を俯瞰してみるとそんな様相である。
(荷が重いという表現はよく用いられるが、これは敢えて用いる気が起きない。「悲劇のヒーロー」と思われるのが全くもって納得が行かないしそんなつもりも毛頭ない、そして私は自身の重さに耐えられないと思った事は一度も無いからである。なお、その強度・靭性を恨んだことは数知れない。)
大別せずともこの過密な状況を表現するのは簡単で、単に品数が多いという事である。当然ながらその全ては現時点で未熟な仕上がりであるが、幸か不幸かその全ての進むべき道を私は悟っているように思う。その羅針盤が例の「価値観」である。悪い癖で文章がつい回り道をしてしまったが、つまるところ価値観も過密なのだ。その何れを「主題」とするか。

大要のみ触れるとするなら、学問の分野における指標を人生に提示する事は「怠惰」という人間のある種の本質を根本から否定する事に他ならないということ、そして感性を隅に追い遣る事は自身の料理の半分を未完のまま皿に載せ続けることに等しいということか。つい日常は学問(すなわち究極の「理性」的な分野である)により構成されるため、この部分の価値観に沿った指標を設定をしてしまうが、これで本当に良いのか。かといって感性方向に設定したところで日常は何処へ向かうのか。

まず第一に、何処に向かいたいのか。もしこの前提が覆れば、その上に乗る全ての物を(少なくともその配置や比重は)変えねばならない。
そんな事を考えず近視的に生きるのも決して面白くなくはないだろうが、下調べの資料や時刻表を片手に車窓を眺めるほうがやはり面白い。近視的に生きては、恐らく歪んだ線路の上を進む、或いは環状線の上をぐるぐる廻り、そのうちに命が潰えてしまうかもしれない。まどろっこしい比喩を捨てて言うなれば、音楽、美術、その他感性の掌る部分をもっと人生と関連付けていかねば、私は私として生きられないまま一生を終える事になりかねないと思うのだ。

…高慢と思われても仕方がない段落であった。贅沢な悩みをひけらかしていると、後ろ指を指されても仕方がないかもしれない。そっくりそのまま秘密日記に持っていってもいい程だが、敢えて残そう。基本的に「皿の上の料理」は金や道具と同じで、持ってるだけでは満たされず、使って初めて意味が出る。ただし、人生の時間や機会は限られている。これでもう、説明は良いだろう。

結局、年始に据えた「フットワーク」は、その理想像としての完璧さゆえに自身に縄を括りつける結果となったようだ。この根源となった主因も、ある程度「一過性」を持ち合わせた、オリジナリティの比率の低い価値観であったようにも思う。そして捉えようによっては人間の根本原理に刃向かう要素を含んでいた事、また己のオリジナルの価値観に背反する事に、3週間で気付くに至った。
さて、年始にも思った事であるが、この言葉は実に軽便である。捉えようを変えてしまえば全く異なった指向性を示すのだ。そんなものを据えた事に己の軽薄さが垣間見えるのはさておき、残る49週へ向けて微修正を加えるとするならば、ある種1回微分してやって、
「日常を変化させるフットワークを軽くする」、
「3者(ここで詳細は割愛)の価値観のバランスを保ち、日常の質を向上する」
とでもしてやればよいだろう。ともすれば90度ほど設定を変えた事にもなるかもしれないが、これで歪みは無くなったであろう。


蛇足。幸せなんてものは恐らく無い。ある種の欲求が満たされたときにそれを幸福と錯覚するのみである。だから、己を満足させればそれでよいのだ。無論、これは自身の倫理観などを全て信用した上での極論である。
蛇足その2。僕は表現者でありたい。なお、承認欲求が自身の満足の構成要素の一つである事を認めない程、高貴さにしがみ付こうとは思わない。
一番最後に、ちょっと面白い事が書いてある。

http://www014.upp.so-net.ne.jp/tetsurobozyoki/topphoto_collection_2010.html

「四季のおりなす鉄道風景」は分かるが、
自身の信条やら動機やらとは若干異なる感はある。

その時代性や非定常性、地域性や原風景の存在など、いろいろ考えるべきだと思うが、
「絵作りがしやすい~」は素直に認めなければならないかもしれない。
さて、何故撮影行が好きか、という根本的な問いに対して、
一度しっかり整理して解を求めておきたい。


(1)国鉄デザインの虜になった
→生まれた時代に因るものか。←「今頻繁に行く理由」に繋がる
→デザインそのもの、色彩。
→そもそもの嗜好はレトロスペクティブ。(cf. 持ち物、専攻分野など)
→失われゆく物(全般的に)への「慈愛」に似た感情。

(2)日本の風土、景色に強い愛着がある
→(1)とも関連して、我々の心の片隅にある「原風景」を追い求めたい。
→色彩的に調和する点景としての車両は、絵にとって価値の高い存在だと思っている。
→車両自体が地域性や時代性という要素を兼ね備えている。独特な点景。

(3)外界の「日常」を自身の非日常から捉える行為の面白さ
→対象は(2)の「風土」と似ているか。
→先述のとおり、そもそも非・都心地域の日常的風景にノスタルジーに似た愛着をおぼえるから。←(1)最後にも通ずる

(4)「美」への感性
→大きく出過ぎた感はあるが(w)、美しいものに出逢いたいという根本的欲求は強い。
→自身の感性をもってしての挑戦とでも言おうか、自己肯定・自己満足の要素が入ってくる。

(5)パズルを解くような感覚の面白さ
→ダイヤ、運用、撮影地、光線、その全ての計画など。
→限られた時間の中で最善の収穫を得るために知識と経験を総動員する独特の感覚。

(6)成功・失敗のある面白さ
→(5)とも近いが、撮影自体の成功失敗があるため、成功時の喜びも一際大きい。
→独特の緊張感。最終的成果物は、その一連の心身の運動と共に結晶となる。

(7)撮影地で対象と対峙する独特の感覚
→SLに代表されるが、場は「体験すべきもの」である。
→主目的である写真は、時に副次的な物に変わる。

(8)鉄道システム自体への興味
→今でこそ機械化・単純化されてきたものの、システム自体に面白さを感じる。
→「A列車へ行こう」が広く親しまれているのに通ずるかもしれない。

これで、
・鉄道、とりわけ鉄道撮影への執着
・写真撮影自体への愛着
・自身の写真のコンセプト
・何故自らの足を運びファインダーを覗くのか
・それが何故今なのか

このあたりは一通り説明出来ているだろうか。
写真の色の問題は難しい。

自分が毎日見ている液晶が絶対であるように自ずと思っている気はして、それでも世の中には多種の液晶があり、紙焼きするにしても会社毎に違うし、確証を持って「ゴール」を定めるのが難しい。
ゴールそれはすなわち信条であり、それに背けば僕の場合「写真」が「真」でない状態になる。

おそらく今使っているPCのスクリーンは、比較的地味な色合いで、コントラストも淡め。色調の偏りはほぼ無いだろう。
対照的とも言えるのはアップル系の液晶画面、えげつないほどにvividでコントラストも強く、常に紙焼きしているような色彩で表現してくる。
(恐らく世のスマートフォンという奴らはこういう液晶なのだろうか。スマホを通してみれば、僕の写真も嘘吐きに見えているのかもしれない。)

写真において何を「真」と設定するか、これも人其々であるのもまた確か。

(そもそも写真は世界を「切り取る」ことで成り立っている。被写体深度次第では、有り得ない絵が出来上がったりもする。その時点である種の補正が掛っている、これもまた確かである。しかしこれは穿った見方だろう、そもそも切り取る行為は写真の醍醐味でもあり、撮影行為そのものにも通ずる部分である。こんなことをもし否定などしたら、今後一切望遠写真が撮れなくなってしまうw)

やはり、「景色を見た瞬間に脳内に描かれたイメージ」が写真を撮るモチベーションというか、これが写真をどう撮るか決めている訳だ。このイメージ自体に嘘は存在しない(嘘になるも何も、常に眼前に存在しているので、どんなに嘘をつこうとしても常時真実に塗り替えられている)。
このイメージに対して嘘を付かないように撮るのが信条。これに今更変わりはない。
(そのうえで勿論、コンセプト、コンテクストが見えるような「芯」は保ちたい。これはどちらかというと構図が担う部分だが。)


実物より褪せた色に写して魅力を失わせるのは折角の美的被写体が台無しになるので、可能な限り避けたい。これはこれで「残念な嘘」だと思っている。
オールオートで勝手にカメラに撮らせると、色んな嘘をついている(それでも正直で居られるのは最上位機種くらいだろう)。WBを適当に変えればあっという間に嘘が出来上がる。真実を狙ったとしても、イジリすぎては訳の分からない(くはね氏の言う「塗り絵」か)が出来上がる。


先ずは己が今現時点で信じている「ゴール」の正しさを確かめて、
そこからは確実に狙いを定め、一貫性を持って精度高く撮影する、これに尽きるだろうか。


眠くなったので打ち切り。
また備忘録。ツイートには到底収まらないので、こちらに残しておこう。


過去に撮った写真を見て下手だなぁと思ってしまう瞬間は実に虚しい。
「一期一会」という言葉を、くはね氏がよく用いていたと記憶している。まさしくその通りである。それを逸してしまった事を、後から振り返って思い知らされるのは、それは厳しい苦行である。
(無論写真が全てな訳ではない。全くもってそうではない。空気感とかそこに自分の身が不思議に置かれている感覚とか、そういう物は無論2次元の記録には残らないし、一連の記憶が断片化したとしても鮮明に要素として残るだろう。)

もともと、写真に「着飾らせる」事はしないのが信条である。それは写真芸術というか何というか、全く別なものである。絵を描く感覚で写真を撮る人とは、はなから思想が違うし、目的も全く異なる。私にとっては、どちらかと言えば「記憶装置」であるのだろうか?確かに写真は常に過去を映しており、「追憶の手掛かり」となるものである。だから(という安直な順接で結べる訳ではないのだが)、なるべく見たままに、鮮明に明瞭に、そして美しく撮るように心掛けている。いや、心掛けるまでもなく、そのように撮っている。
(多少露出アンダーにして撮るようなケースもあるが、これはそこに漂う空気感の露出がアンダーであるとも言えようか。人間の目で見ているというより、脳で捉えた一連の景色を、写真に落とし込んでいるような感覚。いずれにせよ上の文に漏れる事無く収まる。)
ただ、もし追憶の手掛かりとしてのみの存在ならば、音声まで入るビデオを回していればいいじゃないか。では何故写真に惹かれ、そこに拘るのか。やはりそこに絵画としての要素が存在しているからだろうか?
やはり正直に胸に手を当てて考えれば、記憶装置なんて後付けの目的に過ぎないかもしれない。音楽を演ることが好き、野球が好き、ファッションも面白い。それと同等の次元の欲求が、写真撮影という行動で満たされているのだ。

もちろん絵画として、バランスの良い写真を撮る事ももちろん快感であるが、しかしそれだけでは心は満たされていない筈だ。では何故こうも惹かれているのか。「絵になっている」物の奥には何があるのかを考えると、そこにもう数歩深い意味合いが見えてくる。そこには、その瞬間に自身が直面したその空間・空気の中にある何かである。それは対象次第で如何様にも変わるが、一番しっくり来る単語は「文脈」「コンテクスト」であろうか。それを静止画の中に、操作することなく美しく収める事、これはおそらく自分に限りない「快感」をもたらすだろう。きっとここまで含んでいるから写真が趣味となっている。ちょうど上手い比喩を見つけた時の快感と似ているかもしれない。
「何を撮るか」という部分にはここまで含まれてきて、そこに嗜好・思考、大きく言えば自分自身までが繋がっているから、一種の自己表現として成立する。表面的には美的要素のみでありながらもそこにこの一連の「繋がり」が存在する、これこそが私を虜にする主因だろうか。

ところで、何事においてもそうなのだが、自分は「拘りのスイッチ」がオンになるのが若干遅い。(そもそも世間からすれば「そんなスイッチねぇよ」なのだろうが。)ある程度経ってから本当に面白くなってきて、とことんやらないと気が済まなくなっていく、そんな性格である。写真趣味もそのご多分に漏れず、スイッチが入ったのは遅かった。まぁ、そんなスイッチは無理やり押せる物でもないので仕方ないといえば仕方ないのだが。幸い今はそこに存在する殆どのファクターを認識しているつもりであり、それでもいろいろな思考を巡らせて毎回悪戦苦闘している。
「当たり前のように絵になってしまう物」を撮っていても、きっと写真というのは上手くならないし、そもそも浅いし、真の面白みに触れる事が出来ない。初めのうちはこれに気付けなかったのだろう。撮ることが面白くなってきた頃に「絵にならないものを撮る」こと・それを吟味すること・そこでとにかく何かを模索すること。これらがとにかく必要だったのだろう(またそのうち必要な時が来るだろう)。

今でもそうだが、絵にならない物を撮るのは難しい。絵になっている物を撮るのでも、コンテクストが無いままに撮っていては全く虚しい(その場ではいい絵に見えているかもしれないが帰宅してみると惨憺たるものである)。それでも足掻いてみる事で、何かを見出すことができて、次にヒット量産、なんてこともある。
数やれば上手くなる、というのは暴論であり全く思想に合わないが、アウトローからインハイまで直球変化球とも撃てるようにしておけば、甘く入った球は逃さなくなる、まずはただそれだけのことなのかもしれない。
(今となっては、アウトローのカーブが得意、みたいなのが出てきた訳だ。鉄道写真で例えれば、中長編成のアウトカーブ構図が得意、望遠の正面打ちが好み、とかかw しかし井の頭の18.5m×5両はいい練習だった。)

さて、プロ野球選手も素振りをするように、今の時点でも日常的に怠ってはいけない事が他にある。少し技術的な側面を含んできてしまうのだが、当たり前すぎるが「そういう目で世界を見ること」と「妄想すること」だろうか。


真っ向から向き合ってみたが、まだまだ浅はかだ。

ただ、何故こうも惹かれる・満たされるのか、といった部分は、時に頭でっかちになって見失うこともあり、そしてしっかり見詰めるべき部分でもある。
決めに行く写真と、気軽な写真。前者は技術がついてくれば大体において上手くいくが、後者はボーっとしていたらどうしようもない物しか生まれない。コンテクストに目を向け耳を傾け、楽しみながら妄想する事、これが間違いなくプラスに働くだろう。深みとか個性とかセンスとかその頃の生活で考えていた事とか、結局は後者に出て来ているのかもしれない。


本当は2:3に拘る理由とか、もっといろいろな事を考えるべきなのだろう。とりあえずこのへんで、続編があるかも分からないが第一回は終わる。
盛夏の高山本線
盛夏の高山本線
盛夏の高山本線
4時半に起床。すんなり目が覚めた。というか夜中30分毎には目覚めていた気がする。というのも何やら廊下を出入りする音が結構聞こえるのだ。まぁ人の気配があるのは嫌なものでもないので、適当なBSチャンネルを付けて気を紛らせていた。

起床しすぐに準備を終え、チェックアウト。チェックインの時の中年夫婦とは全く異なり、茶髪の25歳くらいの女性が応対してくれた。何だこんな人いたのか(だからどうする訳でもないがw)と思いながら朝の空気に飛び出した。
案の定、昨夜見た「ねぐら」が騒々しい。中には飛び立っていく者もいる。ちょうど列車と同じタイミングである。朝方、車両区で気動車のエンジンが掛かっている様とよく似ている。
駅には4時40分頃に着いてしまった。準備が早すぎたようだ。まだ改札が開いていない。東の空は十分に明らんできており、遠くの電波塔の背景が橙に染まっている。夕景色は勿論この上なく愛しているが、朝焼けの独特な淡い色合いも実に美しい。数枚写真を撮ったあたりで改札が開き(4時45分に開くようだ)、18きっぷに捺印を貰いホームへ。


美濃太田500 キハ48 6815
2時間気動車に揺られる旅の始まりである。進入時は5両連なって来た気動車を2+3に分離させ、3は岐阜、2が猪谷へと向かう。広島での似たような光景を思い出す。テールランプ同士がお互いを照らし合うのだ。
橙の朝焼けは見えていたが、空にはその後しばらくは朝霧が白く広がった。昨日運転規制が掛かっただけあり、飛騨川の水量は非常に多い。途中ダムを右手に眺めるところではゴウゴウと白濁して激流となっていた。飛騨金山駅での交換待ちでは少し撮影、朝霧が山に掛かり、如何にも夏の朝といったショットとなった。
飛騨川の流れを見ながら、青モケットの国鉄型気動車に揺られる夏の朝、実に贅沢である。
飛騨小坂では交換列車が国鉄色。車中で当日分の予測などを全て把握しておいたので、本日の撮影は盤石である。そこから1駅間、営業キロにして7.1km、前面展望でロケ地を確認し、渚駅にはちょうど7時に到着。

ホームに停車するキハ48を撮影。ここでは朝霧は抜け、青空が広がっていた。とても色の濃い空色、奈良線の朝を思い出す。C-durよりはD-dur、少し脂っこいくらいの青である。


■1枚目(1710D、渚738→小坂746)
最初の1枚は小俯瞰構図。国道41号線は岐阜から富山まで高山本線沿いを走っている幹線であり、渚駅付近では線路よりも2~30mほど高い場所を走っている。そこのカーブ区間を上から見下ろす構図がある。直接急斜面を登る道は全く無いので、1.5kmほど歩いて渚駅から地図上の距離にして300mほどの地点に向かった。
国道41号線、この区間は歩道が無かった。波久礼が脳裏に浮かぶ。朝一番からいきなり過酷である。幸い側溝に水がたまっていない区間が殆どであり、車両が来た時はここに逃げ込んで歩いていくことで危険を冒さずに撮影地に着くことが出来た。
しかし一番危険なのが撮影地であった。側溝は山側に掘られており、撮影地は崖側。ガードレールを跨ぐと残す道の幅は30cmほどであり、その先には20mほどの垂直な崖、下にはこんもりと軽く高さ3mほどはあるであろう藪が広がっている。そんなところに立っているのも国道を走る車の運転手からしてみれば恐ろしい話であるので、せめて撮影時までは目立たぬようにとガードレールを超えた30cmの幅のところにちょこんと座ってガードレールに体を隠していた。待つこと10分、光線状態が朝の雲の影でころころと変わっていく中で露出などを調整し、本日1枚目の撮影は上り列車の後追いである。ちょうど列車のあたりにスポットライトのように強い光が落ち、純白の列車を輝かせる。ほぼ終日逆光の撮影地なので、夏の朝のみ絵である。危うく露出オーバーであったが、夏の鬱蒼とした黄緑色の藪、3重になる山が雰囲気を出していた。


■2枚目(1705D、渚819←小坂806)
来た道を帰り、さらに飛騨小坂側へと歩いていくと、鉄橋をちょうどその延長線上から見下ろす事の出来る場所がある。この構図は結構珍しい。ここで朝食(2度目)を取り、次の下り列車を撮影。これまた順光であり、このあたりは計画通り。予想以上の強い日差しに、非常にコントラストの強い1枚となった。


■3枚目(1709C、渚834←小坂825)
次の下り列車が連続しており、撮影間隔20分と短いのだが、ここは撮影地が未定であった。想像よりも遥かに光線が強いので、とにかく光で撮影地を決めようと、従来の漠然とした計画とは逆に線路の東側へと進んでみると、なんとも美しく橋と川、山を絡められる構図があるではないか。しかも恐ろしいほどの順光。そしてそう、次に来るのは国鉄色+標準色である。舞台が揃った。
遠くの猫に挨拶をし、これまた10cm幅のコンクリートの防波堤のようなものの上に立ち、撮影。この1枚は全く予想外の収穫であり、予想外にして最大という、実に素晴らしいものとなった。「夏すぎる夏」といったところか、など、撮った時には既に題名をどうしようかと考えを巡らす程であった。


■4枚目(1711C、渚819←小坂806)
次の撮影まではここからブランクが開くため、移動に充てる。途中「女男の滝」に寄ってみる。この滝は41号線沿いにあり、滝自体は木々に隠れてその全貌を拝むのは難しいが、その滝を落ちた水が流れゆく渓流が実に涼しく美しい。41号線のアスファルト上と渓流沿いは気温にしておそらく5度程度の差があり、実に心地よい。木漏れ日が流れや滝壺を照らしており、その様を撮影していたら時間があっという間に経っていた。移動計画がぎりぎりになりかけていたので、さらに先を急ぐ。

一気に山間の区間を通り抜け、定番ポイントであるシェルター付近まで移動する計画である。渚駅から3.5kmほどのポイントに、予定通りに到着。途中自転車1台、歩行者2人(畑仕事の方)、釣り人1人を見掛けたのみ。残りは自動車。まぁ、こんな場所歩いている人間がいる筈もない。
既に9時を回っており、太陽は高くなってきた。飛騨川は川幅が比較的豊かで、あちらこちらで青鷺を見掛ける。川を横断している電線のちょうど中央に烏が止まっており、あたりを眺めまわしていたのが微笑ましい。直射もあって暑かろうに、それでもそこからの眺めが素晴らしいのだろうか。烏という鳥は考えがありそうな行動を取り、実際そこに考えがあるようだから面白い。

定番ポイントは撮り方を迷うも、遠くの橋、中央、後追いの3枚を、シェルターを抜きにして撮る事に。結局これでほぼやりたいアングルを網羅してしまったw 渓流と列車が接近する場所だけあり、撮影は申し分なく成功。
水量も豊か、陽射は水面を海のような青に染める。木々はハイコントラストを演出し、空は突き抜けて真っ青だ。そこに純白の国鉄型が音を立てて走ってくる。じりじりと肌を焼かれる感覚、歩道からの照り返し、かすかに聞こえる蝉の声、それを掻き消す渓流のゴウゴウという流音。どれ一つとっても申し分のない夏模様であり、あまりにも出来すぎているように思った。


■5枚目(1714C、渚1052→小坂1100)
さて次の列車も同様のポイントで(先程の列車から1時間半経っている)、先程の構図をマイナーアレンジして撮影。光線状態も微妙に変わってくるので、先程後追いは顔が半逆光だったのが今度はほぼ順光になってくる。そのあたりも計算しながらの撮影。これで基本構図は未練なく決める事が出来た。

水辺に降りられるポイントがあるかと必死で探すも、現実的な構図は見当たらない。というのも水量が多すぎて、川岸というものが殆ど無く、すぐに岩、そして藪、といった状態なのだ。本当は水飛沫と同じレベルまで降りて行って撮るというイメージが出来ていただけに、少し残念。これはまた別の機会に出来るだろうか。

さらに少し進んだところで41号線の上を線路がクロスする場所があり、ここは終日日陰が出来る。ここに陣取り、昼食。そして川を見るとカワガラスがいた。彼らも昼食時であったようで、獲物を求めて秒速3mはあるであろう渓流にスポッと飛び込み泳ぎ回り、ほぼ同じ場所にスッと顔を出す。カモは勿論、ウを凌ぐ泳ぎの能力に思わず見入ってしまった。脱帽である。

次の普通列車が14時半頃なので、3時間ほど暇であるw 特急列車を遊び半分で撮ろうにも、あまり遊ぶ構図も無いので、練習に充てる。撮影が終わったら日陰へ移動。日陰も刻一刻と動いていくので、荷物もそのたび動かしていかなければならない。しまいには撮影ポイントには全く影がなくなってしまった。しかしこの体験で、11時から13時までに太陽が大きく方角を変え、その前後はあまり横には動いていかないという、自身の持つ感覚との大きなズレを感じることが出来た。10時と11時では、さほど太陽光線の回り込み方に差が出ないのだ。とても不思議であるが、帰宅して計算してみればすぐ分かるのだろうか。しかし太陽位置の計算では三角関数の合成がやたら出てくるので、個人的には好きではない。


■6枚目(1717C、渚1438←小坂1429)
さて、半ば考える事もなくなり呆然としていたころに、ようやく撮影対象がやってきた。この1枚はシェルターに入るところを望遠で切り抜く事に。それなりの距離があるのでピン合わせも少々難しいのだが、問題なく決める事が出来た。特急で練習していたのが大きいだろう。水から離れた写真でも十分、十二分に夏らしいコントラストが出て、太陽光というのはすごいものだ。この区間は線路500mほどを眺めることが出来るので、初めに見えたところで遊びショットを決め、十分な調整をして本命の1枚、という撮り方が出来た。遊びはフル望遠で手前の木々をぼかして撮影。


■7枚目(1718D、渚1515→小坂1523)
さて次は4連が目当て。4連を美しく撮れる場所はこのスポットには無く、その次の2連を撮るイメージの構図もあまり無かったので、ここは予定より1本早くこの場所を去り先へ向かうことに。さらに1.5kmほど歩き、直線の鉄橋を国道から少し俯瞰する構図。4連には向いていることは事前の調査で把握済である。準備というのは成果物に直結する。昼下がりの完全なる順光の下、真っ白な4両編成が駆け抜けていった。この過疎区間をこの壮大な編成が走っていくのは実に違和感があるが、完全なる夏の絵である。とにかく空に雲がない。


■8枚目(1719D、渚1611←小坂1602)
次の列車は40分後、逆向きがやってくるので、これまた少し先に移動し、大垣内の橋へ。橋渡りを真横から捕えられる有名スポットであるが、この時間帯は完全に逆光。このあたりは線路が南北に走っており、下り列車の顔は必ず逆光になってしまう。逆光で遊べないかとこの構図で工夫を凝らし、こんな形でいってみようかと思った瞬間、列車がやって来た。なんと8分も時刻を間違えていたのだ。危ない所であった。通常画質で撮ってしまったり若干ピン甘であったりと、幾つかミスの代償を払うこととなったが、とりあえず絵にはなっただろうか。いやはや危ない。


■9枚目(1722D、渚1650→小坂1658)
さて、次の一本は岐阜方に国鉄色という順光の上り列車。これをどう仕留めるか考えると、このあたりに構図があまりないことから、2本前の4連を仕留めた鉄橋に戻り、2両用のバランスで斜光線の下撮影するというプランに決めた。既に山の端に太陽が近付いており、斜陽が山向こうに隠れてしまうかもしれない…そのギリギリの攻防、おそらく駄目であろうと最初から分かってはいたが、その地点では先行通過であり渚駅で交換する下り特急が5分遅延したのにはさすがに苛々した。結局、この特急には申し分の無い斜光線が降り注いだが、お目当ての普通列車の通過時には太陽は山の向こうへ行ってしまい、空と奥の集落のみが黄系の色に染まっていた。何とも残念であるが、撮影とはこのようなものである。十分絵にはなっているし、そう全てが上手くいくものではない。そもそも晴れているだけで幸せなのだ。


■10枚目(1721C、渚1743←小坂1734)
これで本日9本の撮影が終了。残す1本は、どの場所ももう日も当たらないので、適当に飛騨小坂の近くで撮ることに。たまたま私道の踏切で、少し強引ながらも田圃と線路を絡めて撮れる構図があった。暗くもなってきていたため、ここに三脚を立てて列車を待つ。初めは列車側にピンを置いて若い稲穂をぼかす構図を考えていたのだが、途中で考えを改めこれを逆転。若い稲穂の奥に列車の顔とヘッドライトがぼけて写る構図に。これが裏目に出て、なんと稲の向こうから運用差し替えの国鉄色がやってきてしまった! 三脚付きなので臨機応変にも撮れず、何とも「高い遊び」をやってしまった。

最後2本、なんてオチだ!!と思いながら、残り1.5kmの道を歩く。途中で猫の写真など撮りながら、ようやく一日をかけて長い道のりを歩み、飛騨小坂駅に到着した。何とも言えない達成感である。

今日は12kmは歩いたであろうか。駅入口の道にゲート状に掛かる「温泉郷」の看板が閑寂を煽る。駅から山側に車を走らせると3つほど温泉があるらしい。特急も止まる駅であるので待合室は非常に広いが、がらんどう。やたら大きいガが十匹以上入っており、ソワソワするのも束の間、一日の疲労がどっと出て来たので、眠気まで催してしまった。列車が来るまで1時間強、この誰もいない日没前後の駅で過ごす。

1927飛騨小坂 キハ48 6809
2123 美濃太田 キハ11 101

1911発の下り列車を撮影し、そのままホームに滞在していると、上り列車は思ったよりもすぐにやって来た。日中の3時間を潰した後であるので、短く感じられたのかもしれない。ちょうどマジックアワーが終わり、夕闇が駅を包みこもうという日没30分後、列車は飛騨川沿いの寂れた駅を去った。
一日の疲れがここでも出て、乗り換え時に国鉄色を目撃したので撮影した以外は、ほぼ岐阜まで爆睡であった。

岐阜駅ではムーンライトながらまで1時間弱。コンビニを探して放浪するも駅前に無い!大垣よりも酷い駅の作り(いかにもJR東海らしい)に苛立ちながら、もう良いと自販機でお茶を2本ほど買い、ぼんやりと時間を潰す。眠くてもう頭があまり回らないのだ。

2259 岐阜 ムーンライトながら クハ189-11
東海道線の遅延の影響で、7分ほど遅延して岐阜駅に国鉄特急型の10連が滑り込んできた。最後尾の1号車に乗車。車内はかなり空いていて、隣の男性は英文法の教科書を読んでいたが、私よりも先に眠りに誘われたようで、名古屋のあたりで落ちていた。そんな事を思う私も昨秋泊まった尾頭橋のホテルリブマックスを見送った後は、熱海停車中まで記憶が無い。

次に起きれば横浜駅前の放送がかかり、また寝て品川、そして東京到着。こんなに快眠した夜行は初めてかもしれないというくらいに、ぐっすりと休んだ。それだけ疲れていたのだろう。
あけぼのを撮影しに行くプランも立てていたのだが、いろいろな思惑(w)よりこれを断念し、朝方帰宅。
昨日はあの日本らしい自然の夏景色の中に身を置いていたのに、その翌朝の朝食を自宅で食すというのは、計画通りとはいえ実に不思議であった。


かくして真の非日常はあっというまに終わって行った。計5.5リットルの水、18きっぷ+奈良井→美濃太田の乗車券、ながら指定券、これだけの出費でこんなにも夏を味わえるのだ。前日の岐阜県南の雨や猛暑で一時は取り止めも考えた計画であったが、適切な判断で安全にすべてを回る事が出来たのも一つ評価出来るところか。しかしまた同時に近年の異常気象を考えるといつどこで自然災害に見舞われるか分からない。このような撮影行が出来るのも、そう長くはないのだろうか…。
旅行中はとにかくがむしゃらであったので、何か沈思するという事は無かったかもしれない。帰ってきて写真を見返すところで、あれこれと思索が続いた。ただ一つ間違いないのは、この上ない「夏の日常」を映し出す事が出来たということであろう。


写真
1枚目:1709C
2枚目:1711C
3枚目:1722D
木曽福島、そして奈良井
木曽福島、そして奈良井
さて、今回は少し新たな取り組みとして、「旅行記のように撮影行記録を書く」というものをやってみようかと思う。何とも撮影記録は「記録」に留まる事が多く、酷い時はただの撮影地ガイドのような物で終わってしまう事すらある。しかし撮影行は歴としたひとつの非日常であり、その感覚を残さずして終わりにするのは非常に勿体ない事である。所詮は帰宅後数日経った後の感覚でしか語れないものではあれど、こうして形にしてみる事で何か見えるかもしれない。

(そんな前置きをしながら、きりが悪いので撮影行の前日、8月6日、合宿から一人離脱した部分をスタートとする旅行記から始めよう。)

13:30 pm。
木曽福島の豆腐屋「和幸屋」で昼食を済ませた。非常に美味であった。ここから単独行動を開始。照り付ける日差しが今回の合宿の中では最も強い。上の段地区の路地は予想していた物よりも無機質であったが、これはこれで好みである。保存などの視点で捉えられていない、自然発生的な街区や路地が至った自然な現在であろうか。表通り側には木造建築や海鼠壁が残っており、こちらは保存の風合いが強かった。路地のあるエリアは比較的狭かったので、存分に廻り尽くした。照り返しが「暑い」というよりも「熱い」。
ここから移動し、木曽川の崖家造りを見る。1棟が改修されてしまっていたので、少し迫力に欠けるが、川面に下りて見上げてみれば夏空を背景に競り出してくる様が実に不思議である。地震国日本でこのような構成にしようと思う神経をまず疑ってしまうのだが、単純に「もの」として見るとこれはなかなかに素晴らしい絵である。
時計を見ると14時50分。ちょうど良い時間であったので、暫く歩いていき、合宿組のバスの出発を見送った。窓越しの合宿参加メンバーに手を振る事よりも、バスの運転士との会話のほうが心に熱く残った。運転士は非常に人柄もよく、合宿中に幾度か話をしていた。出発を見送るためバスの斜め前方に立っていると運転士は窓を開け「どうぞ乗ってください」と言ったが、私がここで「離脱」するのを車外から告げると少し残念そうにしていた。バス旅は非常に慣れないものであり、疲れがかなり溜まったのは確かであるが、この運転士は非常に好い印象であったし、複雑な道のりの中でも信頼出来る運転であった。私の中にもここで離脱する事を残念に思う気持ちが芽生え、まさかこんな心境になるとは思いも寄らなかったため驚きながらも「お世話になりました」と伝え、右折して中山道を上りゆく中型バスを見送った。不思議な形で本当の非日常がスタートした。
木曽福島はかねてより訪れたかった地である。以前は中央西線は完全に移動経路として使い、多治見以外は途中で全く下車をしなかった。中山道の宿場町はやはり魅力的であるので、今回は非常に良い機会であった。しかし合宿行程では1時間半と非常に短い滞在時間の予定であり、これではどう考えても満たされないので、ここでの離脱を決意し、翌日には高山本線の撮影を連続させるという行程を思い付くに至ったのである。

単独行動をスタートし、まずは興禅寺へ。あまり行く気は無かったのだが、日本で最も広い面積を誇る重森三玲作の枯山水庭園「看雲庭」があるので、主にこれを見に行く。枯山水庭園はあまりインスピレーションを掻き立てられた事も無く、正直に言えば「枯れてない山水」のある庭園のほうが好きであるが、実はそれが自分の中では腑に落ちていなかった。そこに広がる物から何かを見出すことが出来ないのが、明らかに自身の内部に存在する「ノイズ」の所為ではないかと思うのだ。
興禅寺は古刹ではあるが建物はさほど古くない。宝物館はなにやらとても新しくなっており少々不気味なほどであった。何故ここにこんな財力が…?などと、また邪念が心の中を埋め始めるころ、看雲庭へ。
確かに非常に広いのだが、見渡すという広さではない。思ったよりも造作は少なく、至ってシンプルである。重森三玲というともう少し造り込んだ印象のものなのかと思っていただけにこれは意外であった。この造作の少なさに加え、庭の外に連続して植えられている松、その上を塗る青空、それらに落ちるトップライト、これは今まで枯山水庭園で見た事のない光景であった(単純に言えば、非常に美しい絵になっていた…)。物が少ない分、何かを見出そうと頭が過敏に動く事も無く、今思えば平らかな心持ちに近付いていたのかもしれない。20分ほど滞在すればきっと何かしら自分の内部との対話が生まれただろう。結局旅行は忙しないもので、その瞬間を待たずして今回も枯山水庭園を後にしてしまった。

列車までは時間があるので、ぶらぶらと歩きながら市街地へと戻る。崖家造りをもう一度見にいったところ、ちょうど斜光線が雰囲気のいい色彩を与えてくれる時間帯となった。意外と早い時間帯、16時前後からこのような光になるのだ。思うよりも1時間ほど早い。先程までの力強いトップライトの下とはまた表情を変え、不思議なくらいに有機的に見えてくる。斜光線の力は面白い。
燕のヒナの撮影などをして、木曽福島駅に到着。横に平たい木造駅舎の上に、ベタ塗りにされたような青空が広がる。不思議なくらいに平面的な絵である。

木曽福島 1633 車番忘れ
列車移動とはこうも安心できるものなのか!安定した軌道を安定した速度で走る列車というものが(基本的には)いかに安心感があるか。バスの直後に乗るとこうも強く感じられるのかと驚く。その驚きも束の間、乗車時間25分弱で奈良井に到着。

奈良井は曇天であった。17時を回り、観光施設は悉く閉まっていくので、街並みを眺めるくらいしか出来る事は無い。保存の歴史すら在るこの街並みは1kmほど続いているが、道幅が思ったよりも広いので絵にするのが難しい。あまり絵にならないなぁと思いながら歩いて行くと気付けば街並みが終わる所まで来てしまい、鎮神社で折り返して線路際を歩いて帰ってくる事に。ここで小雨が降り出した。奈良井の橋を撮影しそのまま暇を潰しているといよいよ雨が強くなってきて、黄昏の街並みの撮影でもしようかと思っていたのだがこれを断念、駅舎に逃げ込んだ。
駅舎に入るとたちまちあたりは暗くなっていき豪雨が始まった。50ミリ級の豪雨であった。そんな中駅にはEF64の重連で牽引される下りのタンク貨物が進入し、停止。見間違いでなければ国鉄色であった。特急と下り普通を待避し、暫くすると音も無く走り去って行った。
晴れていればちょうど日没時の夕焼けが雲を染めている頃、豪雨の奥の雲が黄色く染まり、あたり一面が不気味な雰囲気に包まれた。その数分後にはその色が急に紫へと変わり、数分で灰褐色の黄昏へ。こんな天気とはいえ、太陽の力が垣間見えた瞬間であった。
ちょうど列車の入線時には雨も殆ど止んできた。

奈良井1906 クハ312-1314 → 木曽福島 1948 しなの24号(車番忘れ)
列車で木曽福島まで戻り、木曽福島からはしなの24号へと接続。木曽福島では乗継に20分以上の時間があるため、駅前の土産屋の片隅で売られているパンとお茶を購入し、特急内で慎ましやかな(いや、貧相な)夕食とする。駅前は既に暗闇が広がり、いよいよ非日常らしい非日常がやってきている事を実感する。やはり夜と非日常の幕開けは切っても切れぬ物なのか。奈良井であれほど降っていた豪雨はこちらでは完全に止んでおり、近年の雨雲のスポット的な一面を肌で感じる。
山は漆黒、かすかに山際の空が蒼く光っており、今日の眩しい日中の名残といった様相。特急は2分ほど遅延してホームに滑り込んできた。しかし、先程まで乗っていて、隣の上松駅までこの特急を先行する普通列車が、ちょうど木曽福島と上松の間で鹿と衝突したらしい。鹿トラブルといえば、昨秋9月の関西本線でも当該列車が接触したのを思い出す。いずれにせよこの接触(アナウンスでは「鹿と衝撃」という言葉を用いていた)により車両点検が行われているらしく、しなの24号は34分の遅延をもって木曽福島を出発することとなった。
列車は回復運転は出来なかった。そもそものダイヤがかなりの高速ダイヤなのだろう。ほぼそのままの遅延を持ったまま、多治見に到着。

多治見2132 キハ11 101
さて3度目の太多線である。キハ11はほぼ自分と同世代の気動車であり、平成の産物なのだが、車内の化粧板はすべて黄色く染まっており、モケットは焦げ茶。その内外の風貌からは時代を感じる事すら出来る。ああ自分も古い人間になったものだと、キハ11と束の間の「嘆きの対話」をし、気付けばそのロングシートでうつらうつらと。美濃太田には40分ほどで到着した。
美濃太田には高山・太多の気動車群の車両基地がある。太多線車窓ではちょうど沢山の気動車が見え、そこからさらに少し走ると駅に到着するといった格好である。基本的に1車両に1つ以上の顔が付いている気動車が集結して夜を迎えている様はまさしく「巣」や「ねぐら」といった表現が相応しい。しかし駅を降りるとそれを上回る「ねぐら」が展開されていた。
この駅は非常に大きく新しい。駅前はロータリーが構えられ、コンビニなどはなく人通りもない、非常に無機質な(いかにもJR東海管轄の)駅前といったところ。一度降りているので知ってはいたものの、夜見るとその寂しさがさらに引き立つ。
道だけは一丁前に太いので、電線は黒い空に張り巡らされているのだが、その電線に何かギザギザとしたエレメントが付随している。まぁそういう電線もよく見かけるので今回もそれだろうと思ったのだが、どうも様子がおかしいので二度見すると、そのすべてが雀であった!ほぼ10cm間隔でぎっしりと、全ての電線という電線につかまり、夜を越そうとしているのだ。商店の看板の上面には雀よけのギザギザの針のようなものが付けられているのだが、平気でその上にも掴まっていて、彼らに怖いものは無いようだ。軽く1万羽は超えていたのではないだろうか…美濃太田の雀基地はなかなかの大規模であった。一番列車と同時くらいに出発するのだろうか。

ホテルはステーションホテル美濃加茂。これが何とも歓楽街(といっても店は数軒)の一つ裏の路地のようなところにあり、3Fがフロントで2Fはスナックという構成。チェックインしてからコンビニの所在を聞くと案内図を渡してくれて、こういくと良いという道を教えてくれたのだが、ホテルを出てその道を見ると、いやはや見たこともないような漆黒が広がっている。これは剣呑、何かあっても誰も何も助けてくれやしない、というか全く見えないので、それでも充分に暗い大通りを通りながら迂回してコンビニへ向かい、翌朝・翌昼分の食料と水を調達。なんという危ない道を案内してくれたものだと、苦笑が止まらない。
そんな立地の古めのホテルではあったが嫌な感じは全くせず、ただ体が熱かったからか、あまり睡眠をとった感覚は無い。それでも充分に休息を取れた。


思ったよりもつらつらと筆が進んだ。撮影行に入る前に一度ページを改めよう。

写真
1枚目:木曽福島の路地
2枚目:崖家造り
3枚目:奈良井宿
7月が去ってゆく。久々に更新でもしてみるかとキーボードを叩いたのが3週間前と考えると、いや恐ろしい。
演習の提出、振動論の大レポや農学部科目のシメ、次から次へと続いていく地震研タスク、200通を超えるハガキと100通を超えるメールでの異動通知をデータベースに反映させていく名簿管理のタスクに追われ、挙句の果てに昨日のソフトボール大会は雨天順延に終わり幹事としての手間が3倍に膨れ上がった。何だったんだ。

NASCARやツールドフランス、名古屋場所などを見ていたのがつい此の間。
久々に57期に会う機会が2度もあり、合計すれば20人弱の顔を見ることが出来た。旅程など組む時間も僅かながら生まれてきたが、ファインダーは1ヶ月以上覗いていない生活である。これでも6月に比べれば幾分マシであり、土日には人間らしい生活をする余裕も出来ている。

極端に日常に追われ過ぎると、本当に良くないことであるとつくづく思うのだが、頭が痺れていく感覚がある。無論、オーバーヒートにならぬ範囲での高速回転を続け、高いパフォーマンスを保っているのだが、結局一番大切にすべきである大局観を欠く事にも繋がりかねない。
物事の本質を見極めるべくあれこれ思索する余地もない日常では、過去に考えていたことすら古臭い引き出しの中に仕舞われていくようで、反芻することもままならなくなっていく。千代田線で逆向きの列車に乗ろうとした事はさておき(w)、こういった側面に関して今月は一種の「ピンチ」を感じた。
パフォーマンスを高めていく術は身についていく。その実感は十分にあり、大口を叩くなら「ドライビングテクニックならまかせろ」といったところまで来つつある。しかし同じことをルーティーンワークとして処理しているのみでは、何か考えるキッカケを得られる事もなく、それだけで一周回が完結してしまう。
今月などは「外交的」であり、自身のコンディションははっきり言えば好調であったが、どうも内なる自分との対峙が不足した感がある。それが果たして何になるのか明確には分からないものだが、これを欠くと次第に「己が己である意味」を見失いそうになる(というとこれまたビッグマウスではある)。まあ写真の1枚2枚撮ればそれがきっかけとなり、何かしらの思考が働くのであろうが。そして内なる自分との対峙は大概において自身の不調時に行う傾向にあることも確かなのだが。

7月を1日残しながら考えるのも31日に申し訳ないのだが、8月はどうなるのであろうか。好調は維持しながら、少し生活に揺り戻しを与えられれば素晴らしい。非日常に日常が挟まれるような形になるだろうか、エッジを立たせてキレのある日々を演出したいところである。

M1生活が想像の5倍以上厳しいものになっている。


ぼちぼち旅程など詰めていきたいのだが。

8/04-06 研究室合宿
(白川郷、郡上八幡、木曽福島も行ける!)
+α 撮影行+和歌山行(くっつけて高山・紀勢撮影とか?)

8/26-9/03 学会という名の旅行
(まず撮影計画立てないと宿が取れない。。)

8-9月中に単発撮影行×2(烏山・両毛ほか)
足尾銅山も行きたい。

9月九州行(鹿児島40攻略)
…どうしませうね。

…暇やん!と言われそうだが、この隙間が全てギッシリ研究室通いで埋まりそうだ。気付いたら今年終わってそうだなw

今の9割くらいのペースで刻んでいければいいのにと切に願うが、今年は無理そうだな。。
まぁ十分に専門知識は身に付きつつあるので、それはそれで良いのだが。

焦らずに淡々とこなしていくしかあるまい。北斗のようにエンジンに穴が開いたらおしまいである。
気楽に過ごせた7月って殆ど無い気がするが、まあどうせやるにしても楽に構えていかないと、気疲れでやっていられぬ。


世界の片隅で一人踏ん張ろう。
清秋の秩父鉄道~その2~
清秋の秩父鉄道~その2~
清秋の秩父鉄道~その2~

1154 上長瀞発→1157 親鼻着 1523レ(7500系)

<親鼻~上長瀞間>
 A地点:1532レ(1003F オレンジバーミリオン)
 B地点:1525レ(7002F)
     1534レ(7500系)
     1527レ(7500系)
     1536レ(1010F リバイバル)

1404 上長瀞発→1419 波久礼着 1538レ(7500系)

<波久礼~樋口間>
 A地点:1533レ(1003Fオレンジバーミリオン)
     1540レ(7002F)
     1535レ(7502F)
 B地点:1542レ(1001Fスカイブルー)
     5002レ(201号機牽引・パレオエクスプレス)
 C地点:1539レ(7504F)

1656 波久礼発→1712 上長瀞着 1541レ(7500系)

<親鼻~上長瀞間>
 C地点:1548レ(1003Fオレンジバーミリオン)



<上長瀞駅周辺>
 1530レ乗車で到着すると同時に、交換の1521レにリバイバル塗装が入線しているのが見えた。また読み違えた。羽生では直後の折り返しだったようだ。
 激しく落胆して駅前でボーっとしていると、5001レのパレオが通過。SL不調と聞いていたが、ELプッシュプルで代走するとは知らなかった。ウヤだと思い込んで確認を怠ったのはミス。上長瀞から長瀞側に3分歩けば正面から撮影可能な場所があることは知っていたのに。

…さて、悔やんでいてはこのまま最低な撮影になってしまう。今三峰口にはオレンジとブルー。そしてリバイバルも三峰に向かっている。これを荒川で仕留めれば流れも変わってくるだろう。
(まだ24レが熊谷止であることにも気付いていないので、標準塗装の折り返しが1527レで帰ってくると思い込んでいた。)
今から直後の三峰口行に乗れば、親鼻橋下の河原でオレンジを仕留められよう。よし、移動だ。


<親鼻~上長瀞>

A地点:言わずと知れた名所。人は少なく、空も水も澄んで、川面はトップライトを浴びてキラキラと輝いている。そこに予想通りオレンジがやって来た。広角気味の撮影で決めて、気分を盛り返す。
次の1525レが練習列車になることは分かっていたので、ここで思い切ってまた早めの継投。B地点へと移動。

B地点:これはなんとも言えない場所である。親鼻橋を上長瀞方向に渡り、140号線から右斜めに浅く入っていく細めの舗装道を進むと、とある畑の左奥に、河原へと降りる獣道がある。ここを下りると、先程とは反対側から橋梁を狙える。
1525レは7002F。ブルーを期待していた1534レは、なんと7500系。ブルーが三峰口で眠ってしまった!!そして1527レも7500系。標準塗装も帰ってこない!

どうもリズムを掴み切れないままの撮影であるが、ブルーが眠ったなら1536レでリバイバルが帰ってくるのは間違いないだろう(あるいはブルーが帰ってくる)。ということで、昼ご飯を河原で食べながら1536レを待つ。
予想通り、リバイバル塗装がやって来た。黄色を美しく出すのは難しく、敢えてホワイトバランスも調整しながらの撮影。暖かみのある色調で纏めてみた。

さて、後続の1538レで移動しよう。どうやら羽生は直後で折り返してくるようなので、1532レのオレンジは1533レに入る。そうすると、波久礼に到着して走れば、順光で撮影可能になりそうだ。


<波久礼~樋口間>

A地点:波久礼から2つ目の第4種踏切。歩けば20分弱かかるところを、12分で走って到着。交通量が非常に激しく、路側帯が20cmも無いところが400mほど続いていたので、車の切れ目で全力疾走。いやぁ怖いし疲れる。到着後、3分ほど準備し構図を固めると、予想通り1533レでオレンジが到来。初秋の山々の緑にオレンジが映える。秋の日差しがどちらの色も引き立たせてくれて、暖かい一枚に。
この場所で1535レを待つ(まだ標準色が帰ってくると思い込んでいるw)が、結局7500系。踏切で比較的離れて撮影しているのにやたらと警笛を鳴らされて、すぐさま引っ込む。読みは外れるわ鳴らされるわで、またリズムには乗れない。

次は1542レと5002レのパレオが逆方向から来るので、場所を移動。

B地点:A地点すぐそばの陸橋を超え、線路際の細い道を進むと線路を若干見下ろせる場所がある。この近辺でアングルを半ば強引に構成。
1542で、何故かスカイブルーが復活してきたw もともと逆光なので大した収穫を狙っていなかっただけに、ちょっと適当すぎて残念。無いより良い。
パレオも同じあたりから少しアングルを変えて撮影。機関車を含む6連がギリギリ。逆光なので白と茶色の銀塩写真のようなイメージで撮影。それにしては構図が強引w

続く1537レも同位置から陸橋下のカーブを曲がって来たところを狙うものの、7500系。しかも信号の影が顔に激しく重なり絵にならなかった。

日差しが非常にいい感じになって来た。あたりを暖かな色に包んでいる。秋ならではの色に、日本ならではの景色。風景写真などを撮りつつ移動。

C地点:波久礼から一つ目の踏切をアウトカーブで。3連ならギリギリで障害物をかわして綺麗に撮れる。最後の望みを1539レに賭ける。1536レのリバイバル塗装が、一本置いて1539レで帰ってきたりしないかと思ったのだが、結果帰って来たのは7504F。最高の舞台、最高の光線に、被写体が来なかった。

波久礼の収穫は想像より遥かに少なく、落胆しつつ帰路を考える。

波久礼駅に到着する前に(また全力疾走して車をかわすw)太陽は山向こうへと沈んでいった。1541レで移動。ここにもしや1000系が…という思いも外れる。


<上長瀞~親鼻、再び>

C地点:シルエット写真が撮れる、橋の東側の撮影地。上長瀞駅から、駅前の大通り?をそのまま進み、T字路を若干左に行ったあたりで、木々がまばらになっていてベンチなども置いてあり、河原方面へ抜けられる小道がある。ここを下りると河原に出られるのだ。
正直着けるかどうか分からなかったのだが、上長瀞駅に1711着、1723頃通過の1548レがオレンジバーミリオンであるという最後の読みに賭け、これをシルエットで収めようと考えた。案外撮影地は分かり易かったが、あたりはもうマジックアワーが終わろうとしている。列車通過5分前にアングルを固め、空の色よ変わってくれるな、と願いながら待つ。
警笛を一声鳴らして、重いジョイント音を響かせて、鋼鉄の車両がやって来た。
空のグラデーションと川面の色、窓灯り、想像以上の一枚になった。今日のハイライトである。

喜んでいるとあたりが真っ暗になっていき、駅へ帰る道を見失いそうになった。危ない危ない。

帰路の1543レは予想通りスカイブルー。これに乗って御花畑に戻り、三峰口へ見送った。


あっという間の一日、読みは当たったり外れたりを繰り返し、ミスも重なり、総じて苦しい展開ではあったが、終わってみると収穫物はなかなか良いかもしれない。一番最後に、狙ってもなかなか撮れないであろう素晴らしいシーンに巡り合えただけでも、今日一日非常に楽しめた。

次はもう少し冷静かつ確実に列車運用を読めるはずであるw


<写真>
1枚目:1532レ@親鼻~上長瀞
2枚目:1533レ@波久礼~樋口
3枚目:1548レ@親鼻~上長瀞

…全部オレンジバーミリオンですねw
清秋の秩父鉄道~その1~
清秋の秩父鉄道~その1~
清秋の秩父鉄道~その1~
10月17日の水曜日、くはね氏と秩父鉄道を訪問する当初の計画は、体調等の事情が重なり見送られた。
23日の火曜日に一人リベンジを目論んでいたのだが、20日の昼頃天気予報を見ると、どうやら23日は低気圧の影響で荒れ模様らしい。替わりという訳ではないが、翌21日が降水確率ゼロの終日快晴予報だった。

このタイミングで天気予報を見たのも何かの運の巡り合わせかもしれない。21日には特別に予定も入れていなかったので、決行することに決めた。

土休日は手元に貨物の運行情報が無かったため、貨物は全て無視することに決める。今回は老い先短い1000系をしっかり追うだけで十分に内容の濃い撮影行になることが期待されていたので、思い切って割り切った。

***

0515 吉祥寺発 中央線
 日の出前の下り列車は、土曜夜のオール組が多かったからか、それなりの混雑。
 実に6年ぶりだろうか、西国分寺で武蔵野線に乗り換える。ほんのりと東の空が明るい。

0537 西国分寺発 武蔵野線
 こちらはガラ空き。205のフカフカなモケット。
 8分で新秋津に到着。ここから歩いて西武線秋津駅へ。

0604 秋津発 西武池袋線
 秋津で、ちょうど6時頃に建物の屋根横から「日の出」。朝一番ながら強い日差し。
 飯能で乗換も済ませ、0724西武秩父着。往路で撮影計画を考えようかとも思っていたのだが、完全に爆睡だった。


***以下、秩父線内***

0752 御花畑発→0758 浦山口着 1505レ(7000系)

<浦山口~武州中川間>
 A地点:1518レ(7504F 紅葉HM付)
 B地点:1507レ(7002F)
     1520レ(1007Fリバイバル塗装)

<浦山口~影森間>
 撮影:1509レ(1010F標準塗装)


0910 浦山口発→0927 和銅黒谷着 1522レ(7002F)

<和銅黒谷~武州原谷間>
 A地点:1513レ(1003Fオレンジバーミリオン)
 B地点: 24レ(1010F標準塗装)
     1515レ(5002F)
 A地点:1517レ(1001Fスカイブルー)
 C地点:1528レ(5002F)

1125 和銅黒谷発→1135 上長瀞着 1530レ(7502F)



<浦山口~武州中川間>
 まずは朝一番の撮影を浦山口近辺で行うことに。これは当初からの計画通り。

A地点:浦山口駅で下車し、左に伸びる細い階段を下り、そのまま橋をくぐって廃屋の横を通り過ぎると橋を若干下から斜めがちに望むことのできる場所に出る。
ここで1本撮影。7504Fは紅葉のヘッドマーク付。

B地点:A地点のすぐ目の前の舗装道に出て、そのまま中川方面へと少し歩けば、キャンプ場へ下る道が右手に見えてくる。ここを下ると人気のないキャンプ場の河原に出る事ができ、朝の静謐な雰囲気の中赤い鉄橋を渡る列車を水鏡に映して撮影出来る。定番撮影地なのだろう。

ここで1本7002Fを撮影した後、朝食を食べ河原の風景などを撮って待っていると、1520レにレモンイエローのリバイバル塗装がやって来た。水鏡の色を黒く潰さないように撮ると本体の列車が若干白くなってしまい、バランスが難しい。生憎川魚の影響で水鏡が若干崩れてしまったのが残念。しかし秋の朝模様はしかと収めた。

さて、非常に良い撮影地であるのだが、ここで量産しても仕方がないので、撮ったと同時にこの場を去り、影森方面へと向かう。


<影森~浦山口間>

影森に近い、引込線との分岐近くのカーブはSLの撮影でも有名なので、そこまで向かってもよいかと思っていたのだが、浦山口駅から140号線に出て影森方面へ向かう1つ目の信号を右に曲がるとすぐに線路が見える。ここを見てみると、正面からバシッと決める事が出来そう。さらに少し浦山口側へ登れば直線を浅い角度から仕留められそうだったので、ここで撮影。浦山口から400m程度。

いきなり1509レで標準塗装がやって来た。これを仕留めるが、若干列車のサイズの目測を誤ってしまった。ここは正面からの撮影のみの場所かもしれない。
後追いが柔らかい朝の光を浴びて撮れたので、むしろ羽生行の撮影にも良いかもしれない。

この1本を撮影して、とりあえず浦山口近辺はこれで終わりにすることに決めた。今日は場所に捉われず、早め早めの移動策を心掛けると決めていたから、判断はスムーズ。野球の継投と同じで、引っ張ると代え時を失うように、長く滞在すると移動が出来なくなる可能性があるのだ。


<和銅黒谷~武州原谷間>
 橋梁があり、原谷方には畑が広がりどうにか撮影出来そうだと読んで、ここに来てみた。
 しかし橋梁を撮ろうと思うと今日のこの強い太陽の下では完全なる逆光、空が白く飛んでしまい、良い絵にはなりそうもない。ならばと心を決め原谷側へひた歩く。

A地点:和銅黒谷駅を出て140号線を原谷側へ進み、和銅大橋前の次の信号(駅から2つ目か)で斜め右方向に分岐するそこそこ太い舗装道がある。この道に入りしばらく行くと川を渡る。渡って100m行かないうちに少し形の崩れた十字路があり、ここを右に入る。直後のT字路も右。あとは道なりに400mほど進むと、最後に舗装道が切れて獣道のようになり、やがて第4種踏切に到着する。この踏切の線路西側から黒谷側を望む。
到着して間もなくやって来た1513レは、なんとオレンジバーミリオン。時間もあまり無かったのでフレーミングを少しミスしてしまったのが悔やまれる。

標準塗装が三峰口から1526レで帰ってくると読んでいたので、まだ時間があると思った。そこでさらに原谷側へ移動。


B地点:A地点の次の踏切。A地点から400m程。道は細いが線路西側を進むと早い。
ここで24レ…に標準塗装が入っていた!!読み違えてしまった。冷静に見れば浦山口B地点で撮影したのが7002Fだと写真から読み取れたので、こんなミスはしないで済んだのに、、と思いながらもB地点で撮影。後追いが順光で、こちらが良い絵になった。結果オーライか。
しかしこの24レが熊谷止まりで車庫入りであることに帰路に着くまで気付かないという更なるチョンボをこの先で犯すことに。ダイヤグラムの見間違いである。甘い。
旧三田線を撮影し、ふらふらと黒谷駅方向へ戻る。


再びA地点:帰路なので再び通る訳だ。オレンジでフレームミスがあったので、今回は広めに取り山と空も入れてみようということで1517レを待つと、なんとスカイブルーが登場。久しぶりに8連写などしてみたが、これが結局大正解。ようやく狙った絵で仕留める事が出来た。

すぐさま黒谷駅方向へ移動。


C地点:黒谷駅からすぐの第4種踏切で1528レを正面から狙おうと考え。しかしここも見間違いを犯し、帰ってくるのがオレンジバーミリオンと思い込んでしまう。実際に来たのは当然5002F。これは完全に浮かれて起こした失態。何をやっているんだ…

気を取り直し、コンビニで昼食を購入し、1530レで移動。これにオレンジが入っていなかったのが救いで、83レの折り返しだった。


ということはオレンジは1532レ。ブルーは1534レか…?
リバイバルは1523レで帰ってきてくれるのか。
この読みを総合的に考えると、午後に波久礼に向かっても順光では何も得られないことになる。そこで急遽計画を逆転させ、次の列車では波久礼までは向かわずに上長瀞に向かって、1523レを仕留めてから荒川橋梁でオレンジ達を待つことに決めた。

気を取り直して、移動。


<写真>
1枚目:1520レ@武州中川~浦山口
2枚目:24レ@武州原谷~和銅黒谷
3枚目:1517レ@和銅黒谷~武州原谷
9月5日

0623 飯田発 飯田線 クハ312-3018
 飯田の朝。まずは初電を掴まえて、早朝の天竜峡を散歩。完全な曇天で、緑と灰色の世界だった。天竜峡は渓谷というほど狭い感じではなく、その規模の大きさに圧倒される。吊橋は想像していたより遥かに高い。アマガエルが一匹、吊橋の上に居た。一度に20人は乗って欲しくないような印象だった。ヒヤヒヤしながら渡り切る。天竜峡では地元のランナー1人にしか会わなかった。

 8時半前に叔母が車で来てくれた。ここからはドライブ。古墳、小笠原書院をメインに見る。
小笠原書院は懸造の書院で、1624年創建。開口部が非常に多く開放的で、雲障子がある。また雨戸を用いているのは当時の最新技術の一つといえるようだ。格天井で格式の高い一の間と、そうでない二の間があり、その境の部分の廊には杉戸が設けられている。付書院の位置は少し不思議な場所にある。柱は非常に良質な檜が用いられていて、節は何処にも見当たらない(昭和の修理の1本が実に節だらけで対照的であった)。唐破風の曲線も美しく、初期書院の特徴をしっかりと持っていると言えるだろう。
御門坂ではヤマカガシ?が我々の前を横切り(長寿寺でも蛇に出会ったのでこの旅行2匹目)驚く。
そしてアキアカネが居たのも印象的。懸造部分では追掛大栓継が実用されているのを見つける。アザミの花が綺麗に咲いていた。

 さらにドライブを楽しみ、時間はあっという間に経っていった。駅近くのスーパーでソフトクリームをご馳走になったところでタイムリミット。飯田線に乗車、北上を再開する。

1131 飯田発 飯田線 クモハ213-5006
 213というマイノリティ?に乗車。相変わらず長い路線であり、最後の区間は眠る。
 岡谷に到着してから中央線の接続がひどく悪いので、暫く待つ。

1427 岡谷発 中央本線 クモハ115-1070
 下諏訪へ移動。一駅。
 下諏訪の観光は昨晩の叔母達との食事の際に決定したプランである。諏訪大社をメインに、幾つか寺があり、古い街並みもあるというので、行く事に。
 まずは慈雲寺。禅寺であり、山門は美しい禅宗様、鐘楼も組物が非常に多い造り。八角堂を新築しており、大工2人が作業していた。たまたま中を見せてもらうことが出来た。「材料半分手間半分」というらしく、やはり面倒なプロセスは全ての部材を造るところだという。なるほど一つとして直線の部材は無い。垂木ですら一本一本が曲線を描いているのだ。国有林産の樹齢300年もののヒノキをふんだんに使っている未だ壁の無い八角堂からは、森の中よりも強烈に森の香りがした。
続いて諏訪大社春宮。こちらは大隅流。いやはや物凄い彫刻である。幣拝殿という形を持つ。18世紀の建築。
そしてぐるりと歩いていき、来迎寺に立ち寄り、秋宮へ。こちらは立川流、手水舎から既に鳩の彫刻が美しい。植物のようなモチーフが象徴的で、木鼻には象と虎が90度ずれて飛び出している。どこを切り取っても豪華な彫刻の数々であった。

 さて、見るところは見た。駅方向に歩いていくが、特に何も無いので、比較的時間を余して到着。

1713 下諏訪発 中央本線 クハ115-1136
 車窓の遠く、山々の向こうに太陽は沈んでいった。ここに来てようやく旅の終わりを認識することになった。未だ帰りたくない、その思いとともに身体は無情にもモハに押されていくのだ。

1952 大月発 中央線特別快速 サハE233-521
 233の車内の記憶は全くといっていいほど残っていない。気付けば三鷹、寝ぼけ眼で快速に乗り換える。

2115 三鷹発 中央線快速 サハE233-516
 最終的には、突然吉祥寺に帰着。ぽいっと非日常から日常の海に投げ入れられたような、いつもと真逆の錯覚に陥った。


 振り返ればあっという間の旅行、駆け抜けた。序盤の撮影は体力と頭脳、そして撮影技術のみを駆使しながら感性に頼る楽しい時間であった。とりわけ奈良線の撮影は良かった。ウグイスなら夏の緑と、という思いが強くあったので、その達成という意味でも大きい収穫であった。
 今回は定位置的観光はほぼ無かったので、今までの旅行とは動き方なども大きく異なっていた。良いものに巡り合う事は出来たが、偶然性というものは比較的殺してしまったかもしれない。これが難しいところである。計画のみ消化するのは一定以上の面白みは生まない。
 103系各色との再会を果たし、大事な友人との再会を果たした。古建築の魅力を、勉強後に見ることにより改めて再認識した。多少薄味ではあるのだが、それでも大きな意味を持ち、それまでの非日常的な日常をリセットしていくかのような旅行であった。教訓としては、ビジネスホテルは無難なところに宿泊すべき、そして都心の駅撮りの撮影はもうそろそろやめておこうかということか。
 12日から再度旅行が待ち構えている。こちらに向けて、教訓にせよ腕にせよ知識にせよ、今回得たものを上手く生かしていきたいところだ。



以上、関西旅行記のコピペ連載を終わろう。
9月4日

 名古屋近辺の建築を見て、豊川に寄って、飯田に入る。比較的ノンビリな一日の計画である。

0535 尾頭橋発 クハ312-305
 早朝に武豊線を乗り潰してしまおうという計画。朝一番の列車からずいぶんと混雑。

0556 大府発 キハ75-402
 車窓には雨。寝不足の目はなかなか開かず、気づけば武豊。

0632 武豊発 同上
 折り返し。こちらも何も無く寝続けている。なんなんだこれは。車窓が異常なほどに単調なのだ。

 金山に戻ってきてからは駅から歩き、東別院へ。建築は新しくRCのように見受けたが、プロポーションなどは意外と美しい。雨が今にも降りそうな天気。メーテレ本社の前ではアナウンサー二人が生放送らしきことをやっている。その後ろをぼけーっと歩いて抜けて行った。
 東別院からは地下鉄に乗り、八事駅へ移動。
ここでは八事山・興正寺という寺へ。1688年建立の真言宗寺院で、江戸後期(1808年)の五重塔が立つ。この五重塔は細くて規模も小さく、庇も相輪も短い、江戸後期の特徴がしっかりと出ている。近くから見ると綺麗に見えるように思う。
ここで雨に見舞われ、退散。金山駅に戻り、一路岡崎へ。当初は国府宮へ行こうと考えていたのだが、ここは体力的にパスする。

0912 金山発 東海道本線 モハ313-5302
 この列車の中でいきなり天気が一転、少し晴れ間すら見えてきた。昼からどうなるのだろう。ぼんやりしながら、気づけば岡崎に到着。
 岡崎からバスに乗り換え30分乗車し北へ、向かうは大樹寺。この禅寺には室町時代の多宝塔や江戸時代の山門などが残る。山深いということは全く無いが、なかなかの古寺の印象。広大な墓地も持ち、この地域の檀家との結び付きも強いのだろうか。
 大きな山門の詰組はなかなかの迫力を持っていた。すぐ目の前を街道が通り車通りも多く、道の反対側には小学校がある。その姿全てを見るのが難しいほどにギリギリの位置に聳え立っていた。多宝塔は細身で檜皮葺きと実に自分好み。こちらは純和様のようだ。
 ここでトイレがギリギリ限界になりかなりパニックに陥る。境内にあったのが救いであった…。

 再びバスで岡崎に戻り(バスを捕まえるのにバタバタしたが)、一路豊川へ向かう。

1217 岡崎発 東海道本線 クハ312-9
 この区間で既に太陽が姿を見せ、気温もぐんぐんと上がってきた。

1242 豊橋発 飯田線 クハ212-5009
 乗り換えて、豊川へ。

 豊川到着。まずは三明寺へ。ここには三重塔があるが、これが1・2層が和様、3層が扇垂木・しのぎのある尾垂木の禅宗様という非常に全国的にも珍しい構成。いざ行って見てみると、初めは違和感を覚えるのだが、少し離れて見てみるとそのプロポーションや反りの具合が美しく見えて来た。なかなか面白い。
 そして今度は線路を跨ぎ、豊川稲荷へ。途中の和食処「松屋」で稲荷寿司を4つほど買ってから境内へ入る。誰も山門や鐘楼には目もくれず、殆どの人は大鳥居から本殿へと向かっていた。山門は16世紀のもので境内最古、小さいながらもなかなかの貫禄を見せていた。セミの抜け殻が複数付いていたのが印象的であった。鐘楼は昭和に作られたというが、その様式やプロポーションは非常に完成度が高く、周囲にしっかりと溶け込んでいた。これはなかなか素晴らしい。法堂、本殿、奥の院と見てまわり、一巡が終わったところでみこし殿の横のベンチで稲荷寿司を食す。空腹にしみる美味さである。わさび入りのものが実に気持ちの良い食べ心地であった。
 豊川稲荷を後にし、豊川進雄神社、徳城寺と巡って、豊川駅に着いた頃にはまたしっかりと肌を焼いてしまっていたようだ。暑さに汗が腕を流れ落ちる。駅中でクーリッシュを購入し、溶かしながら列車に乗り込んだ。

1455 豊川発 飯田線 クモハ313-3021
 この列車で一路飯田までで向かう。豊橋発岡谷行という恐ろしい列車である。新城から中部天竜あたりは睡魔に屈していたが、そこからは起きていた。丁度景色の良くなる区間である。西に傾く太陽の光はもう渓谷・川には落ちて来ない。「大嵐」「中井侍」「為栗」など難読駅が続く。鶯巣の駅ではホームにかわいらしい猫がちょんと座っており、列車を見送っていた。
 天竜峡のあたりで丁度日没。飯田に着くと叔母夫婦が迎えてくれた。

 櫻井京子さんの営む「アートハウス」にて、談笑しつつの夕食。ホテルは弥生という駅前の宿を予約してあったのだが、ここが実に雰囲気良く綺麗だった。この日は良く寝られた。つるかめ助産院はやはり見た。


旅行記2日目のコピペ。

***

9月3日
 
 5時に起床。荷物を纏め10分でチェックアウトし、コンビニで食糧調達し、朝焼けの奈良駅に到着。人がいない。

0547 奈良発 モハ103-484
 日中奈良駅で眠ってしまう50A運用だった。ブタ鼻ライトの列車はこの後巡り合えなかったので、少し残念。この列車で玉水駅まで行き、ロケハンしつつ棚倉へ歩き撮影していくプランである。

 棚倉到着時は未だ朝焼けの余韻が空に残っていた。かなり暗く、望遠での撮影はブレが出る。盛夏の早朝の田圃を用いた構図で、広角、ぼかしの撮影をする。ふと水路に辿り着き、ここが実に美しい景色だった。昨晩を知る月が朝に残り僕を見下ろしており、その月も鱗雲に混ざって水面に映っていた。
 ここで朝食を食べつつ(巨大なクモを眺めながら)、下りの103を待つ。ちょうど産まれたての朝日が柔らかく黄色い光を放ち始め、それがウグイスの顔を有機的に染めた。4連・低運の愛らしさが引き立つ。
 さらに棚倉方向へと歩くと跨線橋に着く。上りは逆光であるが撮影を敢行、朝の陽射をどうにか絵にしてみようと思った。セイタカアワダチソウを初めとする雑草が朝の白い光に照らされて薄緑に光る様はこの場所の夏模様を良く表しているか。
 さらに移動すると有名撮影地に到着。しかし雑草が本当に身長を超える高さまで育っており、列車の足回りが見えないどころか車体まで隠されてしまう。少し横がちに撮りたかったが断念、顔メインの撮影を2枚ほど。逆方向はアウトカーブの撮影が可能で、光は当たらなかったがさほど逆光も酷くない。猫が線路を横断していった。
 8時の鐘が鳴った。ちょうど小学生が集団登校をしており、僕のいる踏切を渡っていった。田圃の間を黄色い帽子がちらちらと動いていく様は何とも微笑ましい。暫くすると学校のチャイムが聞こえる。
 おそらく今日が始業式であろうか。長閑な日常風景が心に染み入る。

 さらに少し移動すると、短い隧道(跨線橋だろうか)のある場所に。下り列車はアウトカーブで撮影可能、上り列車はトンネルから出た瞬間をフルズームで狙うことの出来る場所である。この季節ならではの色とりどりの緑がトンネル周りを覆っており、その真ん中をウグイスがやって来る。構図として申し分無い場所である。隧道の向こう300mくらいが棚倉駅であり、車掌がホームに降りている様子などがファインダー越しに見えるのも面白い。

 棚倉駅に到着。今日も朝から良く歩いた。しかしまだ撮影に割ける時間もあるし、体力も余裕はある。そこで棚倉をパスし、上狛駅方向へ少し歩いてみることに。すると緑を背景に緑の大きな築堤を駆けるところを広角で見上げる構図に出会った。太陽も高度を上げ始めているので、空の色も深みを増し、夏景色が徐々に出来上がりつつある。ここで2本ほど撮影し、棚倉駅に戻った。


0955 棚倉発 奈良線普通 クハ103-252
 棚倉駅から超望遠で入線を撮影してみたがやはり逆光のためピンが揺れたように甘くなる。くねくねと曲がった線路を力走してくる様はなんとも人間味があって可愛いのであるが。
 この列車で一路東福寺駅まで移動。ここで下り列車をカーブで仕留める。京都まで一駅なのでギリギリの時間まで粘ることも可能であるから、好都合なのだ。
 城陽で快速に抜かされる。これに乗っておけば早く着くのだが、やはり103に乗るのも醍醐味と思い、普通列車のままのんびりと行くことに。早起きと運動が相俟ってか、気付けば眠りに落ちてしまい、東福寺を発車する瞬間に起きるという失態。京都駅に着いてしまった。
 先程まで乗っていた103を撮るため、向かい側のホームに止まっている快速列車に乗り換えて先回り。ドジにより練習列車を失ったが、東福寺駅で無事撮影成功。この後もう1列車の撮影を決め、今回の長大な撮影行は幕を閉じた。

1132 東福寺発 モハ103-422
 去る時も、103。普通列車は基本的に103の牙城なのだが、既に普通運用の1つに221が入っている。贅沢な構図で撮影出来る時代も、そう長くは無いかもしれない。


 東海道線は早朝の人身事故の影響で列車が乱れていた。引きずりすぎだろと言いたい所だが、せんかたなし。直通の新快速や乗り入れ列車が複雑な形態を取る西の幹線は一度何かあると必ず歪が残り続けるのだろう。都心でも相互乗り入れが次々と実現されて行くが、正直こればかりはばかばかしく思えるのだ。乗り換えの手間が惜しいような余裕の無い人生を送って何とする。経済効果の問題も無論大きいのだろうが、何でもかんでも利便化すればいいという物ではないだろう・・・

 などと考えながら京都駅で駅弁「京都牛膳」を立って食す。実に美味なのだが、なんともみすぼらしき食べ方に自ら情けなさを感じる。「黒七味」が旨みを引き立てる。
 湖西線の115が抹茶色のような一色のカラーリングになっている。これまた不気味でセンスを感じない。


1153頃 京都発 東海道本線 車番忘れ
 列車は遅延してやって来た。窓が雨に濡れている。西のほうでは今朝は降っていたのだろうか、大和路の朝模様からは想像もつかない。この列車で草津まで。

1225 草津発 草津線 モハ112-7701
 学生列車に石部まで乗車、ここからは湖南三山を見て回る建築の旅である。
 炎天下の石部駅に到着し、コミュニティバス「めぐるくん」に乗車。15分ほどすると阿星山長寿寺に到着した。ろくな案内看板も無く、遠回りしてようやく門に辿り着く。拝観受付には人は居らず、向かいの寺が本坊になっているので仏像の案内はこちらまでお申し付けくださいと貼り紙がある。折角来て本堂の中が見られないのは寂しいので、依頼することに。おばちゃんが対応してくださった。
 国宝である本堂の建築はかねてから写真で見ていた通り質素な和様で、思ったよりも色合いは白い。しかしその独特の地に伏せたようなプロポーションは絶妙な美しさを持っている。その横に佇む弁天堂も重要文化財で、夏の花に彩られちょこんと立っている姿が愛らしい。
 仏像はそれは素晴らしい物であった。阿弥陀如来坐像をはじめ、藤原時代の仏像がしっかりと残っていた。本尊の春日厨子は秘仏、今年の11月にご開帳となるようだ。50年に一度というこの機会、逃したくは無いのだが。 
 
 40分程の拝観の後、1km強ほど歩いて、拝観予約をしておいた常楽寺へ。ここでまた滝のように汗をかき肌に日を受ける。到着直後に買ったペットボトルの飲料をあっという間に飲み干すほど、この1kmは激しい道程だった。
向拝が三間付いた本堂はこれもまた檜皮葺きの中世和様本堂で、実に美しいプロポーションを持つ。そしてその左後方に見える三重塔がまた実にすばらしい。本堂は1360年、三重塔は1400年の建築であり、どちらも国宝。紅葉のシーズンはさぞかし美しかろう。午後からは逆光になる向きなので、11月あたりの朝が「見頃」なのだろうか。
 仏像は風神雷神そして二十八部衆など非常に多くの古仏が暗く涼しい堂内に安置されていた。かつて盗難の被害があったようで、セキュリティに異常なまでの機器類が設けられており、なんだか寂しい。
 40分程拝観ののち、再びコミュニティバスに乗車。このバス停がまた田園地帯の真ん中にぽつんと佇むもので、いやはや待つのも暑い。坂道を学校帰りの中学生が今にも止まりそうなスピードになりながらもこぎ続けて登っていった。
 石部駅に戻り、ここから一駅草津線に乗り甲西駅へ。湖南三山の3つ目・善水寺は長寿寺・常楽寺とは距離があるのだ。


1535 石部発 草津線 モハ112-7701
 先程乗った列車の、全く同じ車両に期せずして乗る事になった。行って帰って、来たのだ。

 甲西に到着し、ここでまたバスに乗車。駅近くの甲西中学校に掛かる横断幕「人権の 薫り漂う 甲西中」が妙にツボに入った。その薫り、嗅いでみたい。
 バスに乗車して「善水寺」バス停で下車する。しかし地図と道が全く合わない。自分が何処にいるのか、全く分からなくなってしまった。本来は一つ前の岩根バス停で下車すべきだったようで、地図はそこからのものを準備していたのだ。ではなんでこのずれた場所にあるバス停が「善水寺」なのだと苛立ちつつ、セブンイレブンを何とか見つけ、「この道をずーっと行ってもらってそのあたりでもう一度人に聞いてもらえれば」というざっくりとした道案内を受ける。時刻は既に16:10頃。入山は16:30までなのでピンチである。何とか歩き続け、ようやっと案内看板を見つけ、残り300mほどになり、時刻は16:23。間に合った、と思った。
 しかし残りの300mが、恐ろしい上り坂だったのだ。意を決し走っていったが、途中で心肺が限界。これだけの荷物を持っているので、そう簡単に駆け上がれる山ではなかった。
 それでもボロボロになりながら脇目も振らず登り続け、受付に16:28に到着。間に合った……
 ゼイゼイと息を切らしながらインターホンを鳴らし、拝観に。
 善水寺というだけあり水に関する逸話が残っており、元明天皇・桓武天皇らとのゆかりのある古寺。国宝本堂の前庭には池があり、昔は自然に湧いていたようなのだが、最近はポンプで汲み上げているとのこと。しかし数日前からポンプが故障しているらしく、かなり「水不足」となっていた。
 1366年再建の本堂は三山の他2寺本堂と比べると、向拝が無く比較的四角く纏まった印象。七間×五間と数字にそれは現れていないが、プロポーションは縦横ほぼ1:1に見える。組物等も控え目で、斜めの地面に建てている為、片側が少し懸造のようになっている。
 仏像はここにもたくさんの素晴らしいものがいらっしゃる。延暦寺との縁も深かったこの寺、天台密教ならではの諸仏のようだ。東大寺二月堂を髣髴とさせる構成だが、その一つ一つの規模は大きすぎない。時代は1000年は遡るようで、その造り細やかさに目を見張る。しかしより小さな仏像たちは、手が折れてしまったり欠けてしまったり、修復が待ち望まれる状態となっていた。国宝とはいえやはり人がぞろぞろ大挙して来る場所ではないので、苦しいのだろう。心痛みながら、僅かながら浄財を。

 17時頃、本堂は閉じた。蔀戸だった。ここで「平井聖「蔀を閉じて」」という下らない小ネタを思い付き一人ニヤリとする。今度は岩根バス停に向けて歩いて行くと、嗚呼なんと近いことか。
 待ち時間はかなり長かった。蔵の目の前がバス停となっていた。なにやら蔵と心の錠はしっかり掛けろというような標語があったのだが、心の鍵を掛けてしまって本当によいのだろうか。
 このバス停で40分程待っただろうか、バスに乗車し甲西の駅に戻る。バス車中、乗ると間もなく日は沈んだ。


1830 甲西発 草津線 クハ111-7704
 さて夜はやることが無いので、関西本線経由で名古屋入りを目指す。草津線で、南へ。

1927 柘植発 関西本線 キハ120 303
 関西本線、非電化区間。今回発の気動車である。柘植駅が思ったよりも何も無い。余目などと同じ、分岐駅でみどりの窓口はあるが町が無いパターンである。ホームの端はもう真っ暗闇なのだ。ふっと智頭駅が頭に浮かんだ。
 キハ120はなかなか快走を続けたが、頻繁に警笛を鳴らして走っている。第四種踏切の通過時なのだろうか、と思っていると、やがて本当に警笛を鳴らし続けて非常ブレーキ・急停車。しばらくすると運転士の放送により“鹿”の影響と判明する。衝突はしていないようだ。少しした後再出発となった。その後も警笛が鳴るとビクビクとしてしまった。若干の遅れが生じたため亀山到着直前は120の本気を見ることが出来たが、Z軸方向の軸に対して回転するような揺れがあり、あまり気分良くはなかった。

1955 亀山発 関西本線 クモハ211-1
 JR西日本区間を去り、東海区間へ。なんと211のトップナンバーである。これはなかなか珍しい。
 ロングシートでの旅は爆睡。今日も一日中太陽に当たり、疲れが溜まっていただろうか。

 名古屋に到着。夕飯が中途半端になっていたので何か軽く食べようと思うものの、レストラン街に入るほどでもないので駅前を適当に歩く。するとスパゲティー屋「チャオ」を見つけた。なんとも名古屋らしいちょっと変わったメニューがあるので、丁度良いと思い入店。カツがスパゲティーに載っているなんとも不思議なメニュー「コートレット」を選んでみた。面白き味。

2200 名古屋発 東海道本線 サハ313-5302
 一駅乗って、ホテルのある尾頭橋へ。

 駅から徒歩一分のホテルリブマックスは、マンションの改造のようで、部屋というよりはアパートのような室内。キッチンや洗濯機、靴箱、衣装棚まであり、トイレと風呂も別。なんだか落ち着かず、そして窓の外を東海道本線と名鉄が通る音がかなり大きい。しかもプランが「ツインの一人利用」で安いという、ちょっと訳アリなのかと思わせるようなものだったことも相俟って、一向に眠くならない。失敗したな、という印象。終電が終わって鉄道が減るかと思いきや、東海道本線の貨物列車はむしろ増え、20分に1本ほど通過して行くではないか。その調子で気分が落ち着かず、適当にテレビを見て(つるかめ助産院とかw)、ぼんやりとしていた。おそらく眠れたのは2時間程度であっただろう。

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