有明1日目

2015年2月28日 日常
何という偶然か。今日という日にこの機会を与えてくれたのははたして神様か誰か分からないが、とにかく感謝である。
簡単にレポ。


■1部

・ファクトリー
貴重な瞬間に立ち会えた。あやぱん流石、やはり未来は明るい。パフォーマンスにいきなり鳥肌が立った。長い目で見ていこう。変に工房を継ぐと気張りすぎずに頑張っていただきたい。

・カンガル
なるほど、うたちゃん人気の意味は分かったw どうにも路線がまっすぐにしか引かれないであろうこのグループが、バリエーションを持ちながら進化していくことができるのか。ハロらしからぬグループになるのか?このままつんく色が薄いまま進んでいくのだったら、ちょっと俺は好みじゃないのだが…
まなかんやっぱり可愛かったw ダンス、躍動感あっていいね。

・J=J
新曲のコレジャナイ感。このグループどこ向かってんだろう。本人たちがまず分かってない感?バラバラ感?あーりーの笑顔は不覚にもクラっと来たがw どうなるのかね…。

・アンジュルム
大器晩成。タケちゃん可愛い。まろの本気w 9人のバランスは確かに悪くないのかもしれないけど、6人のある意味地味だった時代のほうが個人的にはしっくりくるんだよな。りかこの首ほんと折れそうw

・’15
13人ついに揃った、と。山台近くて舞台狭そうだった。EDMは在宅的には面白いけど、ライヴだとパワーが少なく感じた。やっぱ人数多いな。。
今年どこに向かっていくのかな。

・℃
なっきぃの胸に目が行かざるを得ない衣装w 新曲のコレジャナイ感はライヴだと少し薄れたかなーといった感じ。舞美脚上がるなーと純粋に驚き、マイマイ腰細すぎるなーと純粋に驚くw 愛理の声がこのところ太くなってた印象だったが、聴いた感じまったく問題ないね。流石です。ちょっと完成されすぎている感?このまま真っ直ぐ行くのか、次の角を曲がるのか?


■2部前半

・甘酸っぱい恋にサクラサク
ベリキュー。この曲の、淡々と進む感じが、救いのような、逆に悲しいような。
超HAPPY SONGだったら膝から崩れ落ちたかもしれん。。

・白いTOKYO、正夢、記憶の迷路
そっちかぁーという感じw High-Kingがついに1人になるのは感慨深い。

・フォレフォレ、Party Time
読み的中w しかしDIYはそんなに大切なのか?w ガー4は3人で。大人になったなぁ…。

■2部後半
・わらぼー by カンガル
しっくり来すぎw やっぱりこれが路線なのかなぁ。

・噴水広場 by J=J
去年までのJJならしっくり来たんだろうけど、今年のJJとは少し合わなくなりつつある感。かなとものパートが少なかった印象。悪い意味で外向いてるんだよな。。あのイジ抱きの頃のワクワク感はどこいっちまったんだろう。

・もっとずっと一緒にいたかった by ℃
イントロで「なるほどー」と思っていたが、やっぱ℃だと清潔感というか、綺麗にまとまりすぎてる感というか、ドライな感じがしてしまう。ベリキューは本当に色が分かれたんだなあと改めてしみじみ。Aメロのなきまいは良かった。

・MADAYADE by ファクトリー&研修生
一番しっくり来たw れなこ・わださくみたいなタイプがこういうジャンルをやれるグループ環境を、今後もしっかり温めていってほしいものです。

・流星ボーイ by アンジュルム
まろが生き生きしてた。やっぱいい曲。

・愛いつ by ’15
なるほどな、と。だから狭そうw 落ちサビであゆみんのアップが長くて高まった。衣装の帽子が、赤にしっくり来て、これもなるほどな、と。なるほど感が強すぎた。

・Buono!
旅立ちのうたはどうにも来るものが。愛理が送り出す構図がやっぱり辛いな。ロッタラ出来たのはいい思い出でした。


■3部

・アジセレ、ハピスタ
そう来たか感。アジセレはやっぱ盛り上がるね。Go ahead!

・MGCS、サヨウソ、さぼり、素肌ピチピチ
(後々から分かったところだけど)日替わりだった4曲。サヨウソやっぱいい曲だなぁと。素肌ピチピチ誰が選んだんやw

・Be元気、コイセヨ、ヒーロー現る
高まる。Be元気は狭くて踊りづらかった。

・桜→入学式、ベリビュ、ありがとうおともだち
ふむ。ベリビュはやっぱり良いな。梨沙子のソロパートでグッと来た。一日通して、調子よくない説もあったけど、スッキリ細い息で出てた感じは好みだった。

・呪縛
最高。文句ない。フルでやったよね確か。最高。

・胸スカ
懐かしいなあぁ。

・弾丸、ヒロイン、抱き抱き、雄叫び、友情純情
神セトリ。一気に行ってしまったのが悲しいんだけど、でもそれを感じさせられないくらい高まった。ワンハーフとはいえヒロインまた聴けるとは。雄叫びは本当に最高のライヴ曲。

・友友、そのすべての愛に
ぎりぎりこらえきれず。涙ぐむ佐紀ちゃんをりーちゃんが支える構図、思い出してもグッとくる。


感情とMC抜きのレポ終了。
やっぱりベリは楽しくてナンボだなと。
きっとそうはいかないのだろうけど、明るいまま最後まで突っ走ってほしいなぁとつくづく思う。


帰路は半ば放心状態。
帰宅後は榮川のカップ酒(これ美味いよね)を飲んだだけでグデグデに酔って、もーじょを聴きながら寝落ち。
幸せな一日だった。

バタバタ。

2015年2月27日 日常
昨日は自宅で一日を過ごす。思えば大学受験からちょうど6年。おとといは受験生の帰路の群れにぶち当たってしまったが、何となくあの日の空気感が思い出される。

そして急遽、明日のチャンスが転がり込んで来た。昨晩そして今日はひたすら復習・予習に充てるw 夕方からは飲み会。ゼロがイチになったw
どうも中身があるような、ないような。


運用復帰。

2015年2月25日 日常
今日から運用復帰。といっても、通常運用ではないが。特に何事もなし。
久しぶりに街で買い物。35%割引、つい買っちまった。いや、定価から考えたら8割引くらいだし、超良い買い物。今月これでも赤字額は大したことがないだろう…w


こぶしファクトリーですか。
つんくっぽいような、ぽくないような。
藤丼みたいなキャラが居てくれるグループ、きっと未来は明るいと思います。がんばれ。
じわじわと推しながら長い目で見ていくとします。

快気祝いで、久々に飲む。昨日開けた君の井の山廃・純米吟醸と、やたら買い込んできたカップ酒の中から、まずは銀盤。美味。しかし2合程度で随分と酔った。この面でもリハビリしていくとしようw


C1、イベントに向け運用離脱ですか。11日とか…平日狙いで行ってこようかな。あさま色がどうしても未練として引っ掛かってしまう。かといって土日は戦場と化すだろうから、体験としてあまり良いものになるとは思えない。うーん。
比較的近距離だし、宿泊はさほど問題にならないだろうから、もう少し考えてから決めようか。

謹慎期間

2015年2月23日 日常
昨夜の時点で十分に恢復。まだ他人へ伝染する恐れがあるので、自室で引き続き謹慎。今度は羽越本線の歴史を調べたり、写真整理を引き続き行ったり。
夜からはついに謹慎解除。ようやくリビングで夕飯を親と共にする。だいぶ迷惑を掛けてしまった。せめて孝行せねば。

完治は遠い

2015年2月21日 日常
おとといはあれほどピンピンしていたのに、昨日は再び発熱し、体温は38.5℃まで再上昇。まあ、こういう風になるだろうと医師から聞いてはいたのだが、いざ実際になってみると精神的ダメージが少なからずあった。

土曜にはだいぶ楽になってきたので、写真整理を続ける。計5日間、ひたすら撮影に充てたので、分量がなかなか多い。特に注力したホーム撮りは選別に苦労を要する。咄嗟に撮っているので、やはり水平に若干の狂いがあったりする。厳密に回転補正するなど、手間を惜しまず「絵」として完成させてゆく作業をしながら、一つ一つの行程に意味付けが為されていくようである。たいへん手間で集中力を要するが、この時間もまた面白い。どうせ病気なら時間を惜しむ必要もないので、逆に気楽であるw

いつまで療養を続ければよいのだろうか。そろそろ終わりが見えてきてほしい頃。

小康状態

2015年2月19日 日常
解熱鎮痛剤は処方されたのだが、あまり使用せず。結局おととい昨日と39度台が継続した。昨晩は37℃程度まで恢復してきたので、よい傾向だと思い寝る。朝方には平熱まで戻ったので、写真整理を開始。今回は膨大である。
また病床では昨年の春先に買ったJtrainのあけぼの特集号の、あけぼの以外の記事を熟読したり、wikipediaで北陸本線の歴史などを調べたりして時を過ごす。関西本線敷設の経緯、柳ヶ瀬線や杉津付近の旧線など、うっすら知っていたが知識としては曖昧であった部分、日本の鉄道史の大切な出来事たちを学ぶ。
いやしかし柳ヶ瀬トンネルの「ヤスデの大量繁殖による車輪空転事故」というのはおぞましすぎるw

北陸新幹線開通に伴い思うのだが、これだけ日本国内でインフラが整備され、技術が進化した今、地理を学ぶ意味とは何なのだろうか。人間は風土の中で育つ一生物であるからだという、根本的な前提が崩れつつあるような気がするのだ。歴史を適切に理解するには地理・地勢への理解が必須であるし、現代でも第一次・第二次産業はそれでも重要な訳だから、教養として身に付けるのは当然と言い切っていいのかもしれないが、この問いを誰かに問われたとき果たして何と答えればいいのだろうかと思い、病床で深々と考え込んでしまった。

北陸から帰ってきて、鉄道唱歌の北陸編をよく聞いている。これはとても勉強になると思う。いきなり諏訪の台とか道灌山とか、今の開発されすぎた東京では埋もれつつある地名が出て来たり、それぞれの都市の地勢的な特徴、主産業などが実にコンパクトに纏められている。完成したのが1900年頃で、当時まだ富山から直江津の間が工事中なため、信越線で新潟に入り、汽船を使って富山(「伏木」が登場する)まで行き、米原へと向かうという行程が面白い。

鉄道趣味を持つ人間として、「一般教養」として持っておきたいことはまだまだたくさんある。時間を見つけてちょくちょく学んでいきたいものである。

インフル。

2015年2月17日 日常
昨日は某打合せにより夕方に研究室に出向く。
1時間半ほどの滞在に対して往復2時間を要しさらに復路はラッシュにぶち当たるのは少々気が滅入る。さて夕飯を食べて暫くしていると体調がおかしくなってきて、悪寒と倦怠感。思えば北陸から高田に移動するあたりからだろうか、空咳が出始めていたのだった。微熱が出てきたので、風呂に入らず就寝。

起床すると、38.5℃。ああこれはやられたな。その後もあまりの怠さに病院にも行けず横たわっているとあれよあれよと39度を超えた。午後に病院に行き検査してもらうと、A型インフルであった。イナビルを処方され、帰宅。その後も体温は安定せず最高で39.7℃まで行った。記憶にある中では最高記録かもしれない。38度台では何か眺めたり聞いたり出来るのだが、39度台はそれどころではないことを知る。

ただ寝るばかり。
高田にて一夜を明かした。新井発のくびき野がR編成なので、こちらは捨てることとした。そのため起床時間はなんと6時半頃、余裕の幕開けである。


0707高田 クモハ115-1521

当初計画では関山~二本木の撮影地で一日を過ごそうかと思っていた。脇野田、北新井、新井まではそうでもなかったのだが、新井を過ぎると気候が一気に急変するようで、たちまち沿線の積雪が尋常ではない高さになった。「軒まで雪の降り積むと聞きし高田はここなれや」鉄道唱歌北陸編の言うとおりではあるが、実際に凄まじいのは信越国境付近である。嘗てここで国が分かれていたのも頷ける。
そして今日も降雪が続いているので、視界がかなり不明瞭である。車内から見ると、関山付近の撮影地へのアクセスも恐ろしく悪そうで、スノーシュー無しでは到底辿り着けそうにない雰囲気であった。そこで今日の撮影は黒姫付近でどうにかする事に決める。


■撮影リスト
・2375M(115系)
・妙高1号(189系国鉄色)
・344M(115系)


黒姫駅で下車。相変わらず降雪が続く。鈍行2375Mで練習し、4本の妙高のうちの1発目となる1号はホーム撮りにした。乗降客も居て、それなりの絵にはなったか。逆向きの344Mもホーム撮り。雪の効果で、115系の側面が黒光りしたのは実に美しかった。鋼鉄車ならではの美しさである。

後から聞いた話によると、ここの駅そばも3月に無くなるという。構内の女子トイレから、換気口を通してホースで水を引き、使っているようである。このような日常の風景が無くなるのも、時代の流れとはいえ、本当に仕方のない事なのだろうか。何もかも低いほう、簡単なほう、楽なほうへと流れてゆくのは、文明の発展の中で本当に仕方のないことなのだろうか?誰もブレーキをかけることの出来ない大きなモーメンタムに、僕もまた呑み込まれている一員なのだろう。


■撮影リスト
・妙高4号(189系国鉄色)


20分ほど歩き、黒姫山が背景に来る跨線橋の定番撮影地に来た。案の定、視界には何もないw 線路がかろうじて見えているだけマシである。列車通過までの間も断続的な降雪が続き、どうにか通過時には止んでくれと願ったが、叶わなかった。列車は吹雪の中を突っ走っていった。スノープラウからV字に雪が蹴り飛ばされる様は本当は美しいのだが、それ以前に降雪量が多くて、写るものも写らない。

1日にまともに撮れるものが4本程度しかないと、1人では非常に辛い。とりあえずこの撮影の後は近くの物産館…という看板の立つ老人ホームのような所のエントランスで雪をしのぎ、しばらく座って休憩。


■撮影リスト
・妙高3号(189系国鉄色)


意を決して、黒姫の定番撮影地の奥側にあるというアウトカーブのスポットを訪れる。一度道を全く間違えて、完全な無駄足を踏んだ。疲れにより遂に地図まで読み違えたようである。気を取り直して歩いてアクセスを試みるも、アクセスとなる歩行者専用道と踏切は積雪に完全に閉ざされていた。
諦めて近場の踏切で顔の正面打ちでもしようと道を引き返していると、同世代の一人の撮影者が居た。「妙高ですか?」と声をかけると、そうだという。このあたりに精通しているようなオーラを感じたので、「奥のアウトカーブの所に行こうかと思ったんですが閉ざされてしまってて」と伝えると、「スノーシュー貸しましょうか?」と言うではないか。折角なのでありがたく貸していただいて、撮影後の合流も打ち合わせ、互いの健闘を祈って一度別れる。撮影先でこのような有難い同業に会うのはなかなかないので、驚きながらも、とにかく感謝するのみである。
スノーシューを装着し…たのだが、紐の結び方の勝手が正直よく分からなかったw 全く使ったことがなかったし、調べる余裕もない。とりあえず中途半端な結び方で、多少の使用には耐えられるであろう感じで挑んだのだが、雪質の問題か、スノーシューを使ってもずいぶんと沈み込むではないか。あれよあれよとひざ上まで雪に埋もれ、スノーシューの意味すらなくなった。さあどうする。もう直進するしかない。半ば四足歩行状態で、どうにか雪を踏み固めながら前へ進む。もともと何処に道があるのかも分からないので、とにかく踏み抜かないように細心の注意を払いながら進んだ。ただし空撮の情報ではこの辺りは特に何もない更地なようなので、割と大胆に進んでしまった(今考えると恐ろしい)。
本当に息が上がるほど体力を使ったが、なんとか踏切まで到達。警報機のランプのあたりまで雪が積もっているので、警報機の左右どちらが踏切なのかすら分からないw そして警報も冬の間は鳴らない仕様のようで、いつ列車が来るかも分からない。対岸にも身長を超すくらいの雪壁がせり立っている(この区間はラッセルによる除雪がなされるのでこのような形状になる)ので、単線とはいえ線路を渡るのも覚悟を要した。意を決して対岸の雪の擁壁にも四肢で挑み、そのまま法面を上がり撮影地に至った。雪にまみれながら、服の内側は汗が噴出していた。

さて何分列車が遅延するのかも分からないが、アングルを決めて準備していると、自分の作った道をヲタが一人、悠々とこちらへ歩いてくるではないか。こやつは到着して法面には上らず線路際で構えた。こちらの存在にも気付いているようだが、挨拶一つしない姿勢には少々ムッとする。インフラ整備って本当は偉大な事なんだぞ、鉄道撮影していてそんな事にも気付けないのかおまえは、など、悪態は付き出せばきりがないw
最近、ヲタの質が低下してやいないか?線区によりヲタの質も違うのはいつも感じているのだが、なんだか感じの悪い、いわゆる「コミュ障」的な人間が増えている気がする。まあ、なんでもいいのだが、トラブルだけは起こしたくない、そして起こしてほしくないものである。あいづライナーのタイフォンに接着剤を塗ったりしないでいただきたいものだw

程無くして全く別な方角から撮影者がやってきた。こちらは中年2人組で、挨拶もしてくれる。こういう、慣れた感じのヲタは、だいたいにおいて愛想がいいのは何故なのか。
(いまこの日記の執筆時に、ふと10年ほど前に都賀駅で変なヲタにからまれたのを思い出したw)

メイン機で広角のアングルを決め、折角なのでもう1台つかって望遠で切り抜こうかと考えていると遠くの踏切が鳴り、なんともう来たw 2人組のほうもあわてた様子で「やばい来た来た」と騒いでいた。そう、予定では上りの普通列車が行ってから下りの妙高が通過する予定だったのだ。遅延の影響で入れ替わったらしい。妙高は結局数分遅れで通過したことになった。セッティングしてあったメイン機で無事に撮影。普段から手持ち撮影だと、こういう時にも困らないのはメリットの一つでもある。


撮影が終わった後、作った道を再び引き返す。帰りのほうが遥かに楽である。ああ、帰りは楽だ…さあついた、と思った瞬間。思い切り左足で踏み抜いて、腰上まで雪に埋まった。思わず「わっ!!」と声を出してしまったので、撮影地に残っている人々に聞かれてしまったかもしれないw 幸い咄嗟に右膝に体重をかけ(こうすれば絶対に全身は埋もれない)ていたので、左足を引き上げると、なるほど道路と田畑の間の段差部分が空洞になっていた。勢いをつけて雪に食らい付き、残り2mを再び四足歩行で突破。アスファルトを踏む感覚の、安定感。ようやく安心である。

スノーシューを貸してくれた同業の方と再合流。コンビニまで行くというので同行することに決め、いろいろと談笑。思えばここ数日ほとんど人と話していないので、その分話も弾む。地元の人間かと思っていたが神奈川在住のようで、信越線に足しげく通っているという。なかなかの好青年で、話も弾む。一見すると鉄道好きには見えない感じの風貌(というと鉄ヲタ差別かもしれないがww)で、そういった意味では世代的にも似た者同士の雰囲気をお互い感じていたようである。話を聞くと1歳下、社会人1年目とのこと。
結局そのまま大宮まで一緒の行程で回ることとなるw


1456古間 クモハ115-1038

コンビニが黒姫と古間のちょうど中間付近にあるので、そのまま古間駅まで歩き通した。古間の駅の待合室の角に棒が1本立っており、「海抜633m+この棒1m=スカイツリー634m」的な事が書かれているwww なんというか、「この棒」という発想がまず凄いし、そもそもスカイツリーの海抜は無視していのかとか、ツッコミどころが多すぎて、しばらく爆笑。
乗車券は硬券風の切符で(これは正式名称は何というのだろう?)、いい記念になった。


■撮影リスト
・妙高6号(189系国鉄色)


普通列車で古間から妙高高原まで戻り、複線区間のアウトカーブの撮影地で最後の撮ることに。ここまで駅から徒歩13分ほど。
相変わらず雪壁が高くそびえたっていたが、切り崩して登るのはさっき嫌と言うほどやったので、お手の物w あっという間にお立ち台を作る。1mほど後ろに謎のケーブルが鉛直方向に走っており、よくよく見ると上端付近に碍子が付いている。もしやこれ、通電しているのか!?足元が見えないので何が起きているのか良く分からない。とにかくこれには絶対に触れないように気を付けながら、警報機のランプの高さから若干俯角を付けてアウトカーブで編成撮影。バッチリと決めた、会心の一撃。この長い撮影行の最後の本番、絶対に外せないというプレッシャーよりも、井の頭線で鍛えたアウトカーブ撮影への慣れのほうが勝ったようである。こうしてすべての撮影が終了。

妙高高原駅前の土産屋で、君の井・山廃 純米吟醸を購入。もう荷物が重くなっても苦しくはない。そもそも富山と直江津と黒姫のコンビニとでカップ酒を買い溜めていて、ここでも松尾を調達したので、カップ×6+4合瓶である。重いw
店では笹団子も食べる。疲れた体に、甘く温かいものが染みる。


1638妙高高原 115系 車番記録忘れ
1730長野 あさま542号 E2系(車番記録忘れ)

駅はスキー客と思しき団体でずいぶんと賑わっていた。3両編成は半ば満員状態で妙高高原駅を経つ。
その後も同業N氏といろいろな話をしたり、聞いたり。その中でも印象的だったのは、撮影はやはり写真自体とその体験の2つ揃って初めて良い物になるという話。全く同じような事を常日頃思っていたので、こういう話が出て来るのは嬉しい限りであった。
長野駅では新幹線試乗会が行われていて、E7系がホームに鎮座していた。要は「自民党支持者」みたいな集団であろうかw
新幹線の自由席はかなり満員に近かったが、3人掛けの席がかろうじて1つ空いていた。浅間山は雲に隠れて見えなかったが、日没間際の車窓には青空が広がり、長野の市街地の上で暮れなずんでいた。

その後も談笑。気付けばあっという間に大宮着。ここでN氏と別れる。思えば6時間ほど一緒に居たことになる。ここまで長い時間を共にした同業者はおそらく初である。いい思い出になった。


1859大宮 モハE230-3542
1934新宿 クハE233-3

湘南新宿ラインが良い時間にあった。最初は立っていたが、途中から座り、うつらうつらとする。列車とすれ違ってふと目覚め「何かな」と確認すると山手線のE231系。この瞬間、遂に東京に帰ってきてしまったことを痛感した。新宿で乗り換え、最寄りに到着。大戸屋で夕飯を食し、21時前に帰宅した。


一週間の旅程、ここに完結。
なかなか余裕もなく、頭も身体も使い続ける旅程だったので、何か心で感じたり考えたりする機会が少なかったのは残念である。特に日本海を殆ど見ることが無いまま終わってしまったのも心残りである。なのであまり締めに書く事が出て来ないが…
旅で立ち会った場面すべて、1ヶ月後には過去になってしまうと思うとやはり残念である。妙高の撮影ならばもう一度来ることも可能だろうか。3月の雪晴れとか、突貫旅程でトライしても良いのかもしれない。関山二本木へのリベンジ、果たせるなら果たすのも良いかもしれない。
とにかく、北陸本線金沢以東・信越本線直江津以南の最後の一ページに立ち会えた事を幸せに思う限りである。
基本的にもう未練は消せたと思うし、いよいよ鉄道趣味も終焉が近いようだ。無くなるばかり、残念な事ばかりである。めっきり旅行へのモチベーションも低下してしまいそうである。来年度はどうしようか…あまり案が浮かんでこない。
いずれにせよ、これからの事はゆっくりと考えてゆくとしよう。


5514文字
さて、北陸本線金沢以東も残り1ヶ月となった。今日が惜別撮影となる。気を引き締めて臨みたい。
水橋~東富山の定番撮影地の訪問を考えたが、体力的な問題、時間的な問題、それに万が一雪に閉ざされていたら…というリスク、さらには編成写真連発の単調さ、「叙情的」の裏テーマなどをもろもろ併せ考え、水橋もしくは東滑川の駅で本気のホーム撮りを試みることに決めた。


0634富山 クモハ413-5

スタートが駅撮りなので、移動時間の分だけ出発時間は少し遅め。水橋のホームは確か長くて、十分に望遠構図でホーム撮りが出来ると読んでいた。下車すると記憶の通り、ホームは東側に長々と続いており、舞台としては十分である。


■撮影リスト
・524M(A07)
・526M(A25+A10)
・427M(A26+A19)
・536M(A19+A26)
ほか、413系など


ホーム撮りにもやり方がいろいろとある。まず対面式ホームには4箇所の端部があり、上り・下り列車それぞれについて4箇所それぞれで全く異なる絵が得られる。すべてやれば8アングルな訳だ。何が何連で来るのか、厳密に計算しておく必要がある。どのような絵が撮りたいかを事前に考えた上で戦略を作るのは、今までの鉄道写真よりも複雑で、なかなか面白い。

まずは524M。はじめ6連と思い込んでいたが、到着10分前に今日が土曜日であることを知る。今日は3連じゃないか。そして来るのが青で、しかも魚津方がシールドビーム化されているA07編成の予定である。上りホームの滑川方の端部にて、正面打ちで仕留め、振り返り乗降客の模様を撮る。今思えば、上りホームの富山方でヘッドライトと乗降客の模様を撮ってもよかったが、停止位置がホームの富山方に著しく偏っているので、これでよかったか。3連と把握している乗客たちは跨線橋の中で列車を待っていて、そこから一斉に乗り込んでいった。

526Mは白の6連。これも同様の位置で撮影。6連なので524Mよりも最後尾の位置が60mほど手前に近付く。6連になり雰囲気が変わるので、これもまた面白い。急行型の四角の窓がダーーッと並ぶ様を望遠で切り取るのも面白い。雪が降りしきる中、ホームでは傘を差した客が並んでいた。いかにも北陸本線の朝である。

続く427Mは、下りホームの富山方から。まず白のA26を正面打ちし、振り返って国鉄色A19の側面と乗降客を狙う。下り列車であること、また土曜であることも相俟って、客の乗り降りは殆どなかった。なぜだか分からないが、今日は乗務員が3~4人ずつ乗車している。何かの研修なのだろうか。

そして427Mの折り返しは、やはり526Mと同じ所から撮影。国鉄色の正面打ちを、バシっと決めた。終わってみれば本命の列車では似通ったアングルが続いたが、これで良かっただろう。時間が昼に近付いているので、客数はまばらになり、年齢層も高くなるのが印象的である。じっと同じ場所で観察し続けていないと分からなかったことかもしれない。

トワイライトエクスプレスは何やら青森駅で抑止だとか。先日の矢立峠のトラブルといい、最近の秋田・青森支社は何をやってんだ。雪をナメてるのか。小牛田機関区があけぼのの陸羽東線迂回を担ったときは、特急であるあけぼのの前にラッセルを走らせるのが当たり前だったと聞くが。いくら難所の矢立峠とはいえ、除雪もろくにせずに立ち往生やら見合わせやら、それでは元も子もないだろうに。

ということで、水橋駅での撮影は終了。体力を温存できたのは大きい。


0953水橋 モハ412-9

3097レと北越3号を狙いに、移動。呉羽山で、9月訪問時とは少しアングルを変えて撮影するのが狙いである。計算ではちょうど間に合うはずなので、富山駅から山まで27分歩く事を選択した。田刈屋という、半世紀以上も昔に信号場があった場所を通過し、石坂、御廟前など9月に見た地名・バス停を見て、撮影地に着く。


■撮影リスト
・1052M・北越2号(R23)
・1053M・北越3号(K1)
・3097レ?(EF510-21牽引)


予定時刻ちょうどに到着したが、3097レが来ない。JR貨物のサイトに遅延情報は出ていないし、この列車に限ってウヤは有り得ない筈である。しかし一向に現れない。2.5km程度の徒歩の疲労も汗も引いた頃、R23編成の北越2号を後追い。その後は新幹線の試運転を眺めるなど。新幹線ヲタのデリカが在来線の後追い構図に若干入り込んでくる位置に駐車されているのが実に腹立たしいw
ふと、在来線撮影者と新幹線撮影者がわずか数メートルの近さで陣取っているのを見て、なんだか不思議な気分になる。前者が社会党、後者が自民党みたいな感じかw 呉羽山の攻防。
程なくして国鉄色・K1編成の北越3号がやって来た。他のヲタ全員が定番アングルから撮り、自分一人が正面がちのアングルにいる。「あいつら定番アングルかよ」とこっちは思い、「あの人なんであっちにいるんだろう」と向こうから思われているのだろうかw 定番アングルは9月のT13編成で十分なものを得たのでこれで良いのだ。それに、背景の法面にある木々の着雪は既に落ちているので、定番アングルではあまり絵的に美しくないと思う。先客がいるからといってその場所がベストアングルであると信用してはいけない、良い例である。ましてや閉幕1ヶ月前ということもあり、有象無象が紛れ込んでいることに間違いはないw

さて、国鉄色に太陽光は当たらず、通過3分後から晴れてきた。大半のヲタが嘆息をあげながら車で去って行った。「ここにいる皆の日頃の行いの総和がろくでもなかったからなんだよな、きっと」などと思う自分がいたw 
残った老齢の撮影者2人が「次いつごろ来ますかねぇ」と話し掛けてくる。あまりに突拍子だったので「…何がですか?」と訊くと、「あぁ、新幹線よ」と言う。なるほど、自民党議員に話し掛けられてしまったようだw「新幹線興味ないの?」「えぇ、あまり…」申し訳なさなどは微塵も感じないが、気まずさが漂う。
結局、次の主産物への移動まで時間があるのでしばらく待っていると、EF510に牽引された貨物列車がやって来た。誰も撮らないこの列車。コキはフル積載である。これが3097レなのだろうか?よくわからないが、ちょうど出発予定時刻になったので撮影地を後にし、今度は呉羽駅までの2.5kmを歩き通す。


1224呉羽 クハ520-8

呉羽駅の近くは道が複雑で、駅前の大通りに至るまでGPSと地図が手放せなかった。
この列車で石動駅まで移動し、石動~倶梨伽羅の定番撮影地などを訪れようという計画。


■撮影リスト
・1054M・北越4号(T18)
・1055M・北越5号(R23)
・1074レ(EF81 735牽引)
・8001レ
ほか、はくたか、鈍行列車など


途中吹雪になる場面もあったが、メインの列車たちは十分な条件下で撮影できた。やはり今日は気温が上がり降雪が少ないので、着雪ありの銀世界とは行かなかった。嵐の中、昨日来るべきだったのだろうか…しかし吹雪くと殆ど写らないというリスクもあるし、まあ最善であったと思おう。

途中で石動~福岡への転戦も考える。1054Mと1074レの間に、1時間半以上のブランクがあり、あまりにも暇で、吹雪も来るし、靴下は濡れて冷たいし、もう帰りたくなった。一人徒歩鉄の辛さである。しかし耐えて耐えて待った。貨物ちゃんねるいわく、1074レは81牽引でやって来ているという。高岡発なので、ほぼ定時という事だろう。予定時刻になり、遠くに見える列車接近警報機が点滅。程なくして、ローズピンクのEF81が姿を現した。高岡着発の貨物だが、なんと今日はコンテナがフルに載っていた!当然ながら長大編成とはいかなかったが、それでも十二分である。見送りながらガッツポーズが力強く3回、思わず出た。

さて、予定通りここから石動駅側へ移動し、アウトカーブの無名撮影地でトワイライトエクスプレスを仕留める計画。しかし移動中に、またも強い雷鳴。暗雲が見えてきていたので覚悟はしていたのだが、やはり峠近くなのでこの区間は怖い。南谷の集落にある家の空の駐車場に身を寄せ、避雷。しばらくは無事であるような空模様だったので、通過数分前に意を決して撮影地へ移動。幸い列車通過までの間、雷は来ず、そしてトワイライトエクスプレスは定時で力強く駆け抜けていった。
これが最後の対峙である。さらば、同世代のグリーン・トレイン。

このあと、1057MがT18でやってくる。石動~福岡で仕留めるというのが当初の計画であったが、気力体力も限界に近い。そしてついに嵐に追い付かれてしまった。小矢部自動車学校近くの跨道橋下、次いで後谷の地下横断歩道に避難。とにかく雷が怖すぎる。冬の嵐、恐るべし。その後も雨雲レーダーと睨めっこが続く。雲が切れるタイミングは本当に針の穴であったが、最適と思しきタイミングを狙い、ヘロヘロに疲れた身体に鞭打ち、命からがら何とか石動駅に滑り込んだ。


1655石動 クハ520-31

1057Mはまともな撮影は諦めることにした。ちょうどこの鈍行で行くと、高岡駅で1057Mを退避するので、ここで駅の入線とホーム撮りをすることに決めた。

列車は吹雪を連れてやって来た。列車の乗降客は予想通り殆ど居なかった。ドン臭い素人っぽい撮影者が右腕に傘をかけて列車近くで撮影するものだから、それを構図に入れぬように腐心し、少々苛立つ。後ろにも人おんねんで。しかしそんなことは言っていられない。列車に再び全意識を集中させ、最後の雄姿を見送る。日没近い夕刻、国鉄色485系は高岡駅の吹雪に悠然と消えていった。
さらば北越、さらばT18、さらば国鉄色485系。

再び同じ普通列車に乗り込み、富山まで移動。この区間も北陸本線として乗車するのは最後となる。すべての撮影地が脳裏に浮かんでくる。撮影地にさようなら。呉羽山を潜り神通川を渡る頃、ちょうど景色は青く闇に沈んでいこうとしていた。明るい車窓は、この駅間が最後となった。

富山駅では駅弁(たいのすし)やカップ酒などを購入。
待合室で待たずにホームに降りておけば、A19のホーム撮りが出来たのに、下調べに力が抜けてしまっていたので、すっかり忘れていた。馬鹿な事をしてしまったが…最後の姿を、申し訳なさ半分、感謝の気持ち半分で見送る。


1841富山 クモハ475-42

そして乗るは下り列車。475系糸魚川行、いよいよ惜別乗車。一昨日国鉄色に乗った時と同じ、471Mである。今日はホームでちょこまかするのはやめて、大人しくボックスでの旅を楽しむ事にした。

ひと駅ひと駅列車は行き過ぎてゆく。すべてにさようなら。特に幾度となく訪れた東滑川駅付近は名残惜しかった。
魚津に着き長停に入った所で、ボックスシートでの夕食。車窓の外では撮影者が動き回っている。撮りに行っても良いのだが、今日は余裕をもって車内の雰囲気を落ち着いて楽しむことに専念。たいのすし、美味。立山の特別醸造も美味。

入善駅。チューリップの街である。ここの撮影地はついぞ来なかった。この駅で475系と久々に再会してから、もう9ヶ月も経ったか。しみじみとしている間にも列車は淡々と東へひた走る。誕生から今年で丸50年となる475系。半世紀の重みなど、自分が半世紀生きてみないと分からないだろうが、その最後の一瞬だけでも時間を共に出来たこと、その半世紀を偲ぶに足る幾つもの場面に立ち会えたことを、ただただ嬉しく思うばかりである。車窓に霙が舞う中、列車は泊駅を出発。
かなりの高速走行をしているのだが、横揺れが小さい。重心が低い感じの安定感に、モーター音も心地良さを加えてくれる。安心して身を委ねられるのは、さすがは急行型といったところか。先日も思ったが、最近は特急ですらフワフワして頼りない。少しどうにかならないものか。いずれにせよ、音に関しては何をどうあがいても古いものの勝ちであろう。

列車はあっという間に越中越後の国境を越える。さらば富山。越中宮崎~市振。この撮影地も来なかった。糸魚川、直江津方まで475系がバンバン走っている時代に来られれば良かったのだが、たらればを言っても何も始まらない。
市振駅付近でいったんトイレに行き、その帰りに無人の2号車の様子をスマホで撮影。
親不知を発車。難所を思う。子不知の海岸をいつか歩きたいと思っているので、その際にまた再訪したいところである。いよいよ青海に到着、475系の旅もあと1駅。冷静な感想は、この車両は純粋に速いな、というところ。名残惜しさより、茶色のモケットを何度も指で撫でる。気付けば列車は糸魚川駅に滑り込んだ。あまりにあっさりとした、最後の駅間であった。

下車。鋼鉄の顔の横側をポンポンと2回触る。触れられるのもこれで最後。留置線への回送までの間、ホーム撮り。車内灯が落ち、列車はぬるぬると滑り出した。さよなら…
しばらく尾灯を眺めながら呆然と立ち尽くしていると、また寂しさが込み上げてきた。すると、パッと明りが2つ点り、糸魚川の駅の東側が明るく照らされた。留置線への入換で、475系の富山方のライトが点いたのだ。改めてみると、実に強力な光である。その眩しい明りはこちらに近付きながら左側へと逸れ、ふっと消えた。折角なのでホーム端まで行って、留置線で眠りに就いた475系(富山方は青のA07)を眺め、撮影し、最期の別れを告げた。


さらば、北陸路の名優。いつの日かまたその白熱灯の大きな瞳に、明りの煌々と点らんことを。


2032糸魚川 クハ412-10

普通列車は特急の遅延の影響を受け、8分ほど遅れて出発。北陸本線金沢以東の廃止はどうにもショックで、475系ももう見れないと思い、放心状態に陥ったようである。デッドセクションを通過。その後、一気に緊張が解けたのか、梶屋敷あたりからは眠ったり起きたりの繰り返しであった。

直江津に到着。駅中のNEWDAYSが目の前で閉まったw 2130閉店とは思わなんだ。駅前の寂れようにもただ驚く。新津より酷いかもしれない。コンビニまで5分ほど歩き、翌朝・昼の食糧等を調達。


2155直江津 モハ485-3056

高田まで2駅、快速くびき野6号新井行に乗車。R編成も惜別乗車だろうか。

ホテルは高田駅から徒歩3分ほどのシティホテル仲町。「シティホテルとしてリニューアルしました」というHPの文言が少し引っ掛かっていたが、5400円とこの界隈ではかなり安価だったので宿泊を決定。案の定、ラブホのリニューアルだったw 色々と突っ込みどころがあり、話のネタとしても充分面白かったが、部屋は基本的に問題なく快適であった。ダブルベッドの面積の3分の1くらいにおさまりながら、1時くらいに眠りに就いた。

後から思えば、悲しいバレンタインデーであったw


6486文字
6時頃に起床。カーテンを引くと一夜にして銀世界になっている。うおお…
これは石動倶梨伽羅は大変なことになっているかもしれないと思い、高岡~西高岡の再訪を決める。


0633富山 521系(車番記録忘れ)

高岡へ。時間も天気も厳しいので、往路はタクシーを使うことに決める。
高岡駅南口のタクシー乗り場には1台しか待機していなかった。危ない危ない。
跨線橋まで1350円なり。


■撮影リスト
・427M(A15+A07)
・426M(B11+A22)
・524M(A10+A25)
・526M(A19+A26)
・8002レ(45分遅延)
・530M(10分遅延、B02)
ほか、貨物(EF510牽引)など


とにかく編成写真を撮り続ける。同業者約10名。構図がマンネリ化した…。
426Mのサイド系のアングルは青白く一面が凍っている雰囲気が好み。
途中幾度となく暗雲とともに嵐が通過したが、幸い本命の撮影には重ならなかった。8002レは40分以上の遅延を生じていたが、もし定時で来ていたら嵐とドンピシャでぶつかっていたであろうタイミングであったので、不幸中の幸い。8002レを高岡で待避してとばっちりの遅延をもらった413系の530Mの「怒りの爆走」は印象的であったw
そして何より、A19をきっちりと捕えることができ、精神的余裕が出来たので大きい。

ここで3097レを待つにしても間が長いので、やってくる1052M(K1)を狙いに、越中大門への転戦を決定。以前調べた記憶を頼りに行く。西高岡まで、なんと2日連続で同じ道を3km歩く事に。


0956西高岡 クモハ521-12

■撮影リスト
・1052M・北越2号(K1)


2駅のみ乗車。越中大門駅前の工場に雪の降り積む様の美しさ。カメラを出す余裕が無かったので、これも記憶に焼き付ける。
駅から撮影地までは約20分程度であった。DE10の貨物、3097レと思しきEF81牽引の下り貨物を見送るしかなかったのは残念ではあったが、まあ仕方ない。
北越通過時には吹雪となった。どうにかレンズを守りながら撮影。まあ、計算通りに捕えられた。置きピンも成功。
以上、この後ここにいても何の産物もないので移動。1本のためだけに1撮影地に赴くの、辛いなw 成功しているから良いが、これで失敗していたらと思うと寒気がする。


1153越中大門 クモハ521-7

ここから富山駅に戻る。呉羽山の近辺で、1055M、8001レを狙うとする。
時間が空くので、一度ホテルに戻って小休憩w 濡れた靴下を交換し、不足する靴下を手洗い。なんだか不思議なひと時。荷物をさらに軽量化して、再出発。


■撮影リスト
・1055M・北越5号(K1)
・1084レ、1087レ(DE10 3511牽引)
・1074レ(EF81 404牽引)
・1056M・北越6号(T18)
・8001レ
ほか、貨物(EF81牽引)、413系(青)など


駅からバスを使い、富山大学の前まで移動。そこから800mほど歩き、9月に訪問したストレートに到着。予想通り、木々には着雪が見える。
すると、どうやら1056MにT18が入ったらしい。朝方にくびき野に入ったので、ローテが破れたかと思ったのだが、再び戻ってきたようである。最近このパターンが多いのは、事前調査で確認済。アウトカーブで北陸新幹線のコンクリート橋を背景にコンセプチュアルに撮ることを決断。
景色のみで鉄道車両を擬人的に撮っていくのも、一つの「叙情的」な撮り方なのかもしれない。自分らしさが滲み出すぎている感が否めないがw

北越5号は、2号の時と同じかそれ以上の吹雪を連れてやってきた。K1の周りに雪が降っているのだろうかw 北陸の冬の厳しさである。これだけ降られると、どこにいたってまともに撮れはしない。
2時間程度の滞在で、途中呉羽山上の撮影地への移動も考えたのだが、1056Mを捨てられないので、結局とどまることに。肝心の1056Mは向かって右のタイフォンが半開になっていて、気分的には撃沈。また、二塚からのDE10牽引コンテナ貨物の時間をメモしていなかったので、唐突にやってきて危うく撮り損ねるところであった。土壇場でどうにか仕留める。コンテナ貨物と8001レの通過時は雪も上がり、呉羽山の着雪が実に美しく、県庁所在地の駅まで徒歩圏内とは思えない背景となった。


ということで、今日の撮影は早々と終了w 最後にアトリのメスが近くに来たので撮る。
帰路は夕日が差し込んだ。高山本線の踏切の風景はとても綺麗であったが、写真には撮らず。少し疲れが度を超えていたのかもしれない。記憶に焼き付け、20分ほど歩いてホテルに戻る。しばらく休憩。

翌朝の事を考える。A19を優先して考えると、富山~黒部間が望ましい。そうすると残る撮影地は水橋~東富山である。ここは徒歩での訪問は非常に辛い。タクシーを使うことになる。その後、午後の転戦で石動付近などを訪れる際にも、疲労度からしてタクシー利用が必須になってくる。
そこでコストや効率の面からレンタカーの使用を考えたが、翌朝にかけて富山市内は零下に冷え込み、アイスバーンがすさまじい事になると予想されていた。一度クルマの予約までして、店舗まで行ったが、店員の方と相談し、やはりやめることにした。結果として徒歩のほうが効率が良いかもしれないし、何よりリスクだけは取りたくなかった。
レンタカーの店を出た直後、地元の車が赤信号の手前で時速15km程度からのブレーキングで大きくスリップした。やはり判断は正解だったようだ。とぼとぼと雪の中を滑りつつ歩き、地鉄に乗って富山に戻る。

夕飯は日本海庄や。ここは5年と少し前にくはね氏と訪れた店である。1階のカウンター席で夕餉。レンタカーをキャンセルしたので、使うと決めた金が浮いた気分で、太っ腹モードw 折角なのでとにかく海産物を注文。個人的に得意ではないはずのものまで頼み、いつの間にか「一人食わず嫌い」みたいになっていた。鯛茶漬けの量が少ない。この一品に関しては鳥良のほうが上であるw
日本酒は2合のみだったが、ずいぶんと酔った。

ホテルに帰り、翌朝のチェックアウトに備えて準備。不要な荷物の郵送も考えたが、大した量にならなかったので、すべて持ち歩くこととする。
日付が変わる頃、疲労と酒の力とで、自然と眠りに落ちていった。


2851文字
6時前に起床。そこそこ良く眠れたか。
今日から3日間、北陸本線の撮影に充てる。運用がどうなるかわからないので、サブプランとして氷見線、城端線も視野に入れていたが、昨晩の時点で何とK1・T18とも北越ローテに入っているという。それにこの3日間は8001・8002レも毎日運転なので、夕方にも主産物があることになる。まず初日は勝手知ったる東滑川付近で調査を兼ねて撮影しつつ、午後の作戦を立てる事にした。


0623富山 クハ412-5
0654越中中村 富山地鉄 車番記録忘れ

日の出が遅いので、春夏の訪問時よりも遅い列車でスタートする。
水橋付近の車窓には積雪も見られたが、常願寺川を渡ると積雪量が一気に減った印象である。微妙な気候の差がここにも垣間見れる。
東滑川で降りた後、距離を減らすために、越中中村駅から西魚津駅までの一駅、地鉄を使う。これも知恵の一つ。


■撮影リスト
・524M(A19+A26)
・1051M・北越1号(T18)
・526M(A21+A18)
・8002レ
・427M(A10+A25)
・536M(同上)
ほか、413系など


まずは昨年5月・9月に訪問した築堤区間。思ったほど積雪が無いのだが、これはこれでリアルな冬の姿なのかもしれない。
冒頭の524Mの時刻を直前まで数分勘違いしていて、危ういところだったが、とりあえず狙い通り仕留める。
その後も順当に撮影を重ね、築堤区間でもろもろを撮影。
その後、413系(新北陸色)の鈍行と北越2号(R編成)を早月川で撮影し、東滑川駅に戻る。


1130東滑川 モハ412-5
1219富山 521系(車番記録忘れ)

ここで一気に転戦。EF81牽引の1083レ、北越4号(K1)を、高岡西高岡で仕留める計画。しかしこの列車のみ16分も遅延してきて、移動時間がキツキツになる。タクシーを使うか否か、葛藤の車内。


■撮影リスト
・1085レ(EF81 735牽引)
・1054M・北越4号(K1)


結局、西高岡から歩くことにした。まず貨物は西高岡駅から1kmくらいのところで、どうにか編成を撮れる(あわよくば首カックン気味に)場所があるであろうことを空撮などから確認したので、ここで待つ。
列車は10分ほど遅れ、これ以上遅れると北越4号に間に合わなくなるので場所を去らなければならないという予定時刻・13:05ちょうどに通過した。EF81 735牽引。相変わらず高岡着発の貨物は牽引機の後ろがスカスカなので、望遠で切ってごまかすw

そしてここから徒歩鉄の艱難辛苦の真骨頂といった25分間。酷烈な冬の向かい風と冷雨、それでも時速5km以上で正しい道を歩き続けなければ1054Mに間に合わないというプレッシャー。何だか途中で泣き出しそうになった。「これ、つらすぎるっしょ」と自分の決断を恨む。そして完全防水の靴についに限界が来たのか、浸水してきた。泣きっ面になんちゃらである。それでも何とか足を運び、1054M通過の4分前に現地に到着。
画角の計算が充分に出来なかったこともあり、負けた。やってしまった。ひとまずどうにかジャスピンでは撮れているので大丈夫と自分に言い聞かせないと精神的にやっていられなかった。一人旅の徒歩撮影の辛きことよ。

そして次はどうするか。この区間は、思ったよりも美しくない。残る主産物は8001レと1057M(K1)、両方とも下り列車である。下りの撮影地というと、やはり津幡~倶利伽羅が頭に浮かんだ。決断。なんとも中途半端な1054Mの1枚を得たのみで、この道を再び3kmほど歩く。
帰りは幾分風雨も弱まり、助かった。しかし心身ともに傷だらけである。


1447高岡 521系(車番記録忘れ)

相変わらず521系の車番は記録する気が起きないw


■撮影リスト
・1074レ(EF81 715牽引)
・8001レ
・1057M(K1)


二駅移動し、倶利伽羅駅で初めて下車する。相変わらずの雨。まずは駅から1.5kmほどの定番ストレートで、まず逆を向いて1074レ、次いで正しい向きで8001レを仕留める。15時台とは思えない露出。とにかく暗かった。
ここで築堤の斜面の泥濘に足を取られた際、折り畳み傘の柄を折ってしまった。そこから折れるのか!という場所、持ち手側の先端から10cmくらいの所であった。
8001レを仕留めた後は、駅近くのアウトカーブの撮影地に移動。その道中、雷鳴。さらに撮影地に着いた直後に、稲光と雷鳴。どうやら3~4kmの範囲に落ちているようだ。流石にこれは危険なので、跨線橋の下に避難。大学1~2年生と思しき撮影者(あまりこの路線に慣れていなかったようなので、関東からの旅行者か)と少し話す。親切心?で、1057Mが国鉄色ですよ、1056MはR編成ですよと教える。何となくの思いつきで、関西弁風のイントネーション(普段関西人と多く接することもあり、もはやお手の物であるw)でしゃべって、「こっちの人」を演じてみたw ええ、バリバリの関東人ですとも。

そしてとにかく酷い露出の中、1057Mを撮影。大雨であった。駅まで数百メートルなのだが、また跨線橋で雨宿り・避雷。雨雲レーダーとにらめっこし、最適と思しきタイミングで駅舎に駆け込んだ。


1758倶梨伽羅 クハ455-60

息を落ち着け、もろもろを片付け、駅舎にて飼われている蘭鋳を眺める。毎日眺める水槽の景色は退屈なのか。魚の悲哀を題材に歌とか小説とかを創りたくなる気持ちが良く分かる。
そして倶利伽羅から魚津まで、A19編成惜別乗車。各駅の停車の風景を出来る限り絵にすることを目標とした。

今回の撮影行では「叙情的と叙景的」というある種の「裏テーマ」を設定してみた。点景として鉄道車両を自然の中に配置して切り取れば、それは基本的に叙景的な鉄道風景写真となる。昨日の高山本線は間違いなくそうである。鉄道写真はだいたいこうなってしまう(あるいはもっと記録写真的になってしまう)ので、そこで「叙情的」な絵を撮りたいと思うに至る。そうするとやはり乗客、乗務員などの人間と鉄道車両の日常の交錯とか、そういう部分により注力して狙っていくことになる。鉄道写真のある種の単調さに少々飽きが来つつある今、新しいことを取り入れる良いチャンスかとも思った次第である。

暗い駅が続いたが、高岡の1分停車、富山の3分停車、そして何より魚津の特急退避長停を中心に、越中大門・小杉・滑川でも撮影。時間が良かったからか、思ったよりも人の乗降が激しい。とにかくシャッターを切りまくった。
やはりこの色、窓の列、顔は、とにかく絵になる。

魚津では乗務員とのカットも納め、糸魚川行を見送る。ここからの区間は乗降客も少なく、駅も暗いだろうから、乗車区間として最終日に残しておこう。
「また明日」なのは分かっていながらも、走り去るA19の尾灯が闇に消えるまで、2番ホームに暫く立ち尽くしてしまった。


1933魚津 クモハ413-8

これで富山に戻る。


夕食は昨日の店の隣にて、ささやかに富山尽くし・パート2。
ホテルに戻り、洗濯。今回の旅程は長いのでここで選択しないと荷物過多になりそうで、結果この策に落ち着いた。
翌朝は気を取り直して高岡西高岡再挑戦と行こうか。石動倶利伽羅の峠・定番に行こうか。しかし後者は今日の嵐の印象が強くて、訪問が怖い。しかも明日は大雪の予報である。どうなるか…当日判断にすると決め、眠りに就いた。


3430文字
6時頃に起床。思ったよりも深く眠れた気がする。


0623下呂 キハ48 3809

行程の最初の部分は、1年半前の撮影行を踏襲する。敢えて同じ撮影地で、真夏と真冬に撮影するというのも、どちらもピクチュアレスクであるから面白くなりそうだ。1年半前は美濃太田が前泊地であったため朝が早かったが、今回は下呂なのでスタートも楽である。

渚駅にて下車。1年半も経っていると思うと恐ろしい。あの時は「夏の静かな朝」といった印象であったが、今回は「冬に閉じ込められた朝」である。特急との交換を終えると、キハ48は銀雪の谷へ向けてゆっくりと滑り出していった。


>■撮影:4710D、4705D@飛騨小坂~渚

撮影は、オリジナルアングルの橋梁サイドと、同じ橋を渡るさまを望遠で切り取る構図。どちらも2013年8月に撮った場所である。
思い通りの銀世界の絵に、思わずニヤリ。ついでに後者の撮影地でベニマシコも見る&撮ることが出来て、満足。なぜか一緒にルリビタキのメスがいたのだが、何だあれはw

2本の撮影を終えて、移動が待っているので足早に撤収。ちょうど計算通り、移動の列車発車の3分前に渚駅に戻る。


0834渚 キハ25-1002

今日は高山でレンタカーを借りる事になっている。これを決めたのは、実は東京を出てからである。キハ25が12月から運用開始し、当初ならこの区間でキハ40を1日に10本撮影出来たものが、6本しか撮れなくなってしまっていることがきっかけである。車を使って足掻けば6本をどうにか8本まで増やすことが出来るため、舞鶴にいる間に決断した。ニコニコレンタカーという格安レンタカーの利用は、少々不安ではあったが、当初の予定では飛騨小坂から飛騨細江、角川あたりまでの間で乗ると考えていたので、まあ良いかと判断した。
しかし昨晩の移動中にローテを確認すると、明日は国鉄色は高山方には来ず、下呂で南へ折り返す運用のようである。そこで急遽計画を組み直し、高山で借りた車で一気に下呂以南まで南下し、この列車を撮ろうという計画にした。これでも撮影本数は8本になるので、ロスは無い。

駅に着き、用を足してからレンタカー店へ。非常に好印象な対応であった。車は6万キロほど走行したホンダ・ライフ。傷の確認も一緒してくれるので、トラブルの予感もない。とにかくあとは安全運転を心掛けるのみ。道路は一本なので、カーナビも付けなかった。9時15分頃に出発。


>■撮影:4715C、4714C、4716C@飛騨金山~焼石~下呂

移動は案外あっけなかった。道が思ったよりもかなりしっかり整備されていたからである。相変わらずトラックに煽られストレスではあったが。キックダウンする時の挙動・間の感じから、少し車の古さを感じる。

4715Cは、焼石~下呂の定番撮影地で橋梁サイド。予測通り国鉄色を先頭にやってきた。同業が10人くらい来るのかと思い、不動橋の袂の林道入口のスペースに上手く寄せて駐車しておいたのだが、結局誰も来なかったw この絵画を独り占めしたと思うと気分も良い。しかしやはり気温が上昇しており、着雪が徐々に落ちてしまっていた。それでも国鉄色の差し色が美しく舞台に映えた。

4714Cの撮影までにはあまり時間が無い。車で南下し、焼石~飛騨金山の下原ダム手前、これもまた定番撮影地で仕留める。ここは駐車帯から撮れるので非常に楽である。白の2連が緑の舞台に映える。南下したことも、昼に近付いてきたこともあり、着雪が一気に無くなった。

4716Cは後ろに国鉄色が入る、4715Cの折り返し運用である。それまでに時間があるので、釣鐘トンネル付近の「つりがね園」で昼食。思ったよりも300円以上値段が高いw 店主夫婦の孫と思しき小学生がおしぼり・おひやを運んできた。そういえば世間は祝日である。カツ丼定食を食す。美味。
束の間の休息の後、当初から決めておいた、瀬戸発電所から1kmほと北にある2つの連続橋の通過を河原から撮影。北側の橋が水鏡っぽくなっており、また午後から差してきた薄日のせいで南側の橋はどう足掻いても逆光になるので、北側に狙い撃ち。関係の無い下りのキハ25が遅延したせいで若干時刻が狂い、予期せぬタイミングで来たので構図がギリギリになってしまった。何とかなったが。


>■撮影:4718D、4719D、4722D@飛騨小坂~渚

再び車を北に走らせ、飛騨小坂~渚の、これもまた夏に訪問した撮影地を訪れる。道が単調で少々眠気も混じるので、大声で歌って吹き飛ばす。

4718Dは午後の4連。サイドがちに撮ると何となく鬱陶しい印象になるので、無数原近くの橋梁小俯瞰で望遠気味に仕留める。ちょうど1年半前と同じ列車を同じ場所で仕留めることとなった。昼下がりの柔和な陽光に期待したのだが、太陽は列車通過の10分前に薄雲の向こうに消えてしまった。

4719Dは、小坂久々野バイパスのトンネル開通により「旧道」と化した益田街道から、飛騨川沿いの景色で仕留める。せっかく2台持ちしているので、本命は望遠で渓流と残雪の上の橋梁をゆくさまを、サブ機で引き付けてサイドがちに撮影。さらには後追いも撮れるというお得感。白の2連をきっちり仕留める。

最後の4722Dまでは少し時間があるのだが、アングルの候補があまり浮かんでこなかったので、朝の撮影と同様の橋梁を、逆側の国道から小俯瞰気味にサイドで仕留める事にした。しかし何とやってきたのはステンレスの侵略者。予習が足りなかったのか、それとも急遽差し替わったのか。かなり緻密に計算したアングルで待ち構えていただけに、そんなことを後から調べる気力も起きぬほどのショックであった。大トリで大コケとは笑い物である。

そして高山へライフの返却回送。途中で誤ってクラクションに親指をかけ、宮峠付近でみだりに長緩警笛を鳴らしてしまった。先行する地元の軽自動車を煽る謎の怪しい「わ」ナンバーの軽自動車になってしまった。何とも申し訳ない。
予定よりも少し早く到着し、返却・給油も問題なく済んだ(ニコニコレンタカーはガソリンスタンドと提携することで一気に店舗を増やしているのかな。)ので、計画よりも1本早い列車で高山を足早に去る。


1752高山 キハ40 5803

去る瞬間に思ったが、高山で何も買わず、何もせずw まあいいか。
一本後の列車はキハ25であると分かっていたので、こうして40に乗れたのは幸運である。計画では来るはずだった飛騨細江、角川などを過ぎ、気づけば猪谷手前で貸切列車になっていた。高山本線、大丈夫かw

猪谷では乗換時間が少ないため、撮影は出来ず。もしかするとこの線区ではキハ40とは最期の挨拶になるのかもしれないと思うと、無性に寂しくなった。数十メートル先にあるJR西日本のホームまで歩く間、幾度も振り返っては心の内で手を振った。冬に閉ざされる猪谷の駅に、客も無くただちょこんと佇んでいる国鉄型気動車の尾灯がふたつ、儚げに、名残惜しそうに光っていた。


1900猪谷 キハ120 347

40と連続で乗ると、「バスw」といきなり思わせられる。
楡原までの間にいきなり眠る。その後も運転の疲れが出たのか、寝たり起きたりで、速星の工場くらいしかろくに覚えていないw
あっという間に富山に到着。


夕食は、八尾の手打ちそば、白エビのから揚げ、寿司3貫、生地の地酒「幻の瀧」と富山尽くし。明日からの北陸線惜別撮影に向け、前祝いである。
東横イン(Jr.がなくなって統一されたらしい。新幹線開業前に宿泊施設減らしてどうすんだw)にチェックイン。3連泊は初かもしれない。安心の室内で、翌朝の計画を練り、眠りに就いたのはやはり日付を跨ぐ頃であった。


3438文字
朝6時に起床。カーテンの向こうは昨晩より十数cm分厚くなった積雪が広がるばかりで、降雪も昨晩から相変わらず続いているようである。絵になるものもすべて雪に埋まってしまっているであろうと判断し、漁港行きを断念。そして二度寝が深すぎて次に起床すると9時半、9時までのホテルの朝食を逃すw あわてて支度し、10時前の集合に間に合わせる。

今日も仕事。かなり順調に進む。昼食時には先方の学生とも談笑。コミュニケーションにおける「出し入れ」みたいなものは難しいが、こういう時には意外とアイドル趣味が生きたりするw むろん、類型から推定し、別なる事例に適用するための学習能力は必須だ。
午後も作業。一気に終わらせ、自分が大きく求められる部分をちょうど出発予定時刻前に完了。撤収の手伝いをし、おおかたケリがついた所で早くも皆々と別れる。つくづく自分は勝手な自由人であるw 元々北陸旅行が先に計画されていたので、こうなるのも御理解いただくとしよう。

現場を去る時には降雪も上がり、薄日が差してきた。気温が上がっており、歩道の積雪はみな一気に融解を始めている。それでも日陰はアイスバーン状になっているところもあり注意を要した。
出発からわずか30時間で復路の乗車券に入鋏(舞鶴・山陰・東海道・高山線・北陸・信越・長野新幹線経由であるw)。これより、下呂までおよそ5時間半の移動。

1627東舞鶴 まいづる12号 クモハ286-4
1833京都 ひかり532号 車番記録忘れ
1905米原 クハ312-19

B特急はとても安いので助かる。新幹線に乗り継ぎ、京都~米原のみ乗車し、この20分程度の駅間で駅弁を食すw 米原では特急の遅延にとばっちりを喰らい在来も少し延発したが、大垣の数分の停車をほぼゼロにしたため岐阜駅着はほぼ定時であった。

2010岐阜 キハ48 6813

高山本線に乗り換え。撮影していたら車内が満員になっていた。県庁所在地の平日の夜である。長森、那加、蘇原、各務ヶ原、鵜沼、坂祝、美濃太田と懐かしい駅名が並ぶ。1年半ぶりの乗車である。この向きでの乗車はこの区間は初めてであった。
鵜沼までに多くの客は下車し、ボックスを確保。ここからは落ち着いて旅路を楽しむ。
うつらうつらとしていたのだが、しかし美濃太田から居酒屋帰りのやたら声のでかいおっさん4人組がロングシートのほうでそれは大層迷惑な大騒ぎを始めた。やれやれ何だかなと思いつつ、体を青モケットに預ける。白川口で居なくなってくれて助かったw

下油井を過ぎると電波状況もいよいよ悪くなってきて、景色にも雪が見え始める。飛騨金山、焼石と進むと(駅間が長いのでそうポンポンとは進まないが)、気候が急変し、ぐいぐいと山岳線区に進んでいる事を実感する。ちょうど後閑・上牧のような。焼石からは車窓で翌日の撮影地を確認。木々への着雪もあるが、明日の日中の気温は3度ほどまで上昇してしまうらしい。せめて午前中は銀世界が拝めますようにと祈る。
程なくして閑寂の下呂駅に到着。貸切となっていた列車は無人となり、淡々と去っていった。「ぼく高山まで仕事があるんで。」といった感じでw

下呂温泉訪問は5年ぶりである。当時は八尾以北にキハ58がいた時代である。あの時わざわざネットで事前に調べて行った料理屋の人に、とてもよくしてもらった。駅近くの温泉まで車で送ってもらったのだった。今回は時間も遅いので再訪は叶わなかったが、またいつか行きたいものである。その頃にはキハ40はもう、この線区でも過去となってしまっているのか。

駅を出て跨道橋をくぐり、駅の西側に回ると、並木への着雪がナトリウムランプ風の街灯に照らされて美しく煌めいていた。今日誕生日の誰かさんにメールで写真でも送ってやろうかとも思ったが、何となくやめておいた。折角なのでホテルを一度通り過ぎ、温泉街の入口付近の風景も見て、写真に納める。5年前と基本的に変わらない景色。あの時は夕方に到着し、温泉寺から街を見下ろしたのだった。

ホテルは駅前の富喜屋。古さは感じるが、小奇麗な宿である。24時間入れる温泉というのはいかなるものかと思ったら、各階にユニットバスの風呂場が設けられ、その湯が温泉になっているというものであった。面白いw 温泉らしい温泉ではないのかもしれないが、その泉質に変わりはない。入湯で長い移動の疲れを癒し、ベッドとソファーのみの簡素な部屋(これがまた潔くて小気味いい)で日付の変わる頃に就寝。


1990文字

舞鶴へ

2015年2月9日 日常
9日、舞鶴へ。

関ヶ原付近での大雪の影響で、新幹線に30分程度の遅延が生じ、はしだて3号を逃す。いきなりの計画倒れで、381系乗車の機会を失ってしまった。
仕方ないので車中は眠り過ごす。名古屋を過ぎて眠り再び目覚めた時の中山道の雪景色たるや。美しきにゆかしさも恨めしさも浮かぶ間もなく次の眠りに落ちる。
そういう訳で京都駅に実に中途半端な時間に到着し、仕方なく奈良線の103系の撮影をして50分の暇を潰す。

そして来たるは287系。相変わらず西日本旅客鉄道様は特急の乗車時間が出発時刻の数分前であるため、一度並んでしまうとその後座席を確保して水や食料を調達しに出ることが出来ない。昨秋のサンダーバードでも同じ事が起こり、大阪駅のホームを走ったものである。
冷蔵庫の化物のような外観のこの特急は、制御方式の問題なのか加速時に断続的な振動があり、乗っていて心地良くない。現代の列車は重心が高くフラフラしている印象である。私鉄はなお酷い。京王1700系の新しいほう(何次車と云うのかは知らない)に初めて乗った時にも急行運転の車内で転がりそうになったものである。

綾部付近までは全く積雪も見えず、今年の山陰路はこんなものかと少々驚く。183系の惜別撮影からはや2年が経とうとしているとは驚きである。あの時は山家駅で下車したが、一面は銀世界であった。
方向変換して舞鶴線に入る。舞鶴に近付けば近付くほど、雪が深くなってゆく。日本海側の大嵐の予報の日であったとはいえ、地勢や気候に逆らうような向きの変化が少々面白い。東舞鶴駅に着くと酷い降雪と積雪であった。

昼前に現場に着き、仕事に合流。内容は略させていただく。まあ、基本的には順調に進んだ、といったところか。18時過ぎに撤収し、夜は居酒屋でささやかな打ち上げ。夜はホテルに泊まり、友人と翌朝に漁村でも見て回ろうかと計画する。一向に降雪は止む気配がない。

某所へ

2015年2月8日 日常
旅行準備を済ませ、午後は某所へ。
「現場」というのはどうも肌に合わないようである。
ツイートにちらっと書いたのでここでは略す。
まあ、一つ記念として、良い記憶にはなっただろう。

夕方に乗車券・特急券を購入し、帰宅。最後まで撮影準備に追われる。一人旅の撮影行は実に大変である。高山本線のキハ25が12月時点でデビューしてしまっていたこと、北陸本線の521系の運用が秋のダイヤ修正により大きく増えていたことを知り、これまで使っていた撮影資料の更新に追われ、出発前日というのに就寝が2時近くになってしまった。

工房へ

2015年2月7日 日常
6日:研究室でTシャツ関連の雑務から、夜はささやかなプライベートの打ち上げw
積もる話も多く、今後も面白そうな人間関係、になるかなぁ。
精神的に健常である時にはねw


7日:Tシャツ作成のため、7か月ぶりに某工房へ。
かなり疲れた。
思ったよりも時間を食ったので、白地のパターンは作れず。残念。
翌日の晴れ着である赤Tを作るのが主目的だったし、
普段着用も3着作れたので良しとしよう。ああ金が飛ぶw 

同期とこうやって遊ぶ時間というものも、自分にはそれなりに時間があったとしても、そうもいかなくなっていってしまう。日に日に実感が湧いてくる。

3月いっぱいはしっかり自分も、最後のつもりで楽しもうか。


さて執筆しているのは8日の夜25時近く。明朝が5時半起床なので寝るとしよう。
いよいよ出発。不安も多いが…安全第一。

忙しすぎた。

2015年2月5日 日常
ピリオド以降のほうが忙しいw

めまぐるしい日々。

3日:鳥良で打ち上げ。
4日:雑務+Tシャツデザイン作成。忙しすぎて、思わぬ時間まで。
5日:翌週の準備。研究室には行かず、街に出て帰宅。

レンズ(12-24)を試すも、思ったほどの写りではなかったので、とりあえず保留。
なかなか計画がまとまらない。頭の切り替えをする間もなく、さすがに忙しなさすぎたか。

ピリオド

2015年2月3日 日常
2月3日、終戦。
12年前もこの日が終戦でした。
報われる感じも、ゴールテープを切った感じも全くしないけれど、
チェイス進出を確かにした第26戦のヴィクトリーレーン、といった感じなのでしょう。
ひと駅乗り過ごしたのはご愛敬。
今日くらい少しは、いいじゃないか。

ここからが本当の勝負。勝ったかどうかは分かりませんが、兜の緒を締めつつ、
そうはいっても2月は「解放」へ。

***

去年はくはね氏と宇都宮でギョーザに舌鼓を打ち、2日間の徒歩鉄で疲れた体を癒したのでした。
早いね、あれからもう1年経ったのか。

***

あすは学割取得3枚、時刻表入手、メール返信、10日と14日の宿確保、調査の荷造り、Tシャツデザイン、信越本線撮影地リストアップ。
ここまでできれば問題なしか。
あさってに全行程を一気に組み上げる。スマホ等のリンクの下準備も含め、全部完成。レンズの試写も。場合によっては即決。
6日はバックアップ等を取りつつ、実際の旅行の荷造り等を済ませる。下旬の旅程、レンタカーと宿は確保しておこう。
7日は工房へ。
8日はまた本当の意味で「工房」へ。
9日、出発、と。
15日夜帰京し、
16・17で写真整理しつつ、旅程詰め、撮影地リストアップ、
18・19で旅程完成。
20で荷造り等、
21夜、出発。最後の1レ。
27夜には帰京か。

もはや2月はあってないようなものだな。
金も時間も使って、とにかく生きて2月を終えるのです。
とにかく、今しかないんだ。

音楽と写真。

2015年2月1日 日常
31日の次、1日も奇数日だったw

***

昨日は友人のライヴへ。
昨日の記事に書くの忘れてた。
まっすぐな音楽は好きです。
ほんの少しだけど、音楽的に役立てたのがまた嬉しい。

***

幼馴染みとはいえ、うむ。
ちょっと楽しかった。いや、結構楽しかった。
昨日初めて会った人が言っていた、
「幼馴染みは増えない」という言葉をもう一度思い返す。

***

久々に即興曲を弾く。
精神的に安定している時はどうも曲も安定してしまうので、
多少なりともギミックを詰め込めたとしても、
全体の構成があまりパッとしない。眠くなる。

本当にいいものなんて病的なんだから、
生み出す側もそうでないといけないと思うのよね。


しかしまぁ、良いものとは技術的?に、どこが良いのかというのを、
だんだん作っていくうちに分かっていく感覚。

写真でもそうだった。
自分よりも上手い人の制作物を見て、なるほどと思い、
そこから得た何か新しいことを試しながら自分の物にしていく。
バランスの取り方とか、「結局感性で決まっていく感じ」というのも、
ある程度理論的に、理性的に磨いていけるんだよな。
(学習能力で生きている人間なので。)

写真にも音楽にもチート的な美しさというのがあるだろう。
写真ならF値の低い撮り方をするとか、音楽なら反復進行・カノン進行で作るとか。

そうじゃないやつなんだよ。やりたいのも、ほしいのも。

切り取り構図みたいな「定型的要素」はもちろん見つけつつある。
でもそれは主たる要素ではない。
もっと低い次元の、人物をどう配するか、どこに消失点を置くかといった大きな構成原理を、
音楽でも冷静に分析していけば理解できる気がする。

まぁ、感性である程度のところまで持っていけるのだけれど、壁も感じるので、
その向こうに行きたい。

***

寝ようか。

1月、終わり。

2015年1月31日 日常
最終週は幾分気楽に過ごせはしたが、いやぁ、うむ。早いものです。

***

はやく音を紡ぎたい。
即興で飛び出したものを、しっかり形にしたい。

子不知の海岸線を歩きたい。
厳冬を音にしたい。
いつ何時何処に居ようとも、
目を閉じれば眼前に冬の荒海が広がるような音に。

***

発表2日前。
最後まで詰めを丁寧に。
どうも緊張してきた。

***

12年前は某中学の受験日でした。
今から12年前と、12年前から誕生までが、ほぼイコール。
そして今から6年前の大学・大学院時代と、6年前から12年前の中高生時代とも、ほぼイコール。
2乗に反比例するかのように、味が薄くなっているような感覚。

***

あの頃に聴いた、17時の鐘の寂寥感。
「また明日」と言わなくとも、明日また楽しい日常が待っていると知っている、
「じゃあな」だけの別れ。
24インチの赤い自転車での、公園からの帰り道。


…こんなものも、どうにかアウトプットしてみたいが、
言葉の力を借りずに出来たりしないものか。

***

それで言うと、デジタル一眼を使い始めてもう5年が経った。
3月からは「ベストアルバム」を作り始めようか。

***

脇に置いてある少し小さな手袋を見て、また回想のループに入りそうになる。
そろそろ終わり。

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