24日。さて、週末の加速の勢いをそのままに突っ走る。夜までひたすら作業。
25日。週末のことを考えて、どうにも情緒不安定が続いている。そんなこと言っていられないので、すべての山を越えるために猛進。
いやーしかし後輩指導というのは責任が重いからなかなか怖いものがある。
25日。週末のことを考えて、どうにも情緒不安定が続いている。そんなこと言っていられないので、すべての山を越えるために猛進。
いやーしかし後輩指導というのは責任が重いからなかなか怖いものがある。
22日、23日とも作業に充てる。なかなか休まらない週末、三連休返上であった。
29日の券を入手した。少し出費がかさんだが、まあ良しとしよう。
あぁ。あと1週間、無事に山岳越えなるか。
29日の券を入手した。少し出費がかさんだが、まあ良しとしよう。
あぁ。あと1週間、無事に山岳越えなるか。
20日。スロースタート、帰宅は夕飯前。金曜なので釣りバカである。ははは。
21日。かなりのヤマなので、この3連休は返上して自宅作業に充てる。ここで風邪など貰っては話にならないので、最大限の防御とともに突っ走る。加速。
ああ、秋がどこかへ行ってしまう。
21日。かなりのヤマなので、この3連休は返上して自宅作業に充てる。ここで風邪など貰っては話にならないので、最大限の防御とともに突っ走る。加速。
ああ、秋がどこかへ行ってしまう。
18日。いろいろ自宅で作業。街に出て、古着の処分、さらに入れ替えで何点か購入。
そういえば、部屋用のディスプレイが昨日届いたのだった。研究室で使用しているのとは少し型が違うが、同じくPhilips製のもので、なかなか良かった。初期不良だけが怖かったのだが、無事であった。
19日。午前は会議。午後の打ち合わせで名簿が校了。ああ怖い。たぶん上手くいったハズだが。夕方から夜までさらに作業を継続し、帰宅は遅めであった。
校了はとりあえず大きなヤマを越えたという意味で大きいが、印刷物が配布されて2週間くらいは気が気でない日々が続くのだろう。怖い怖い。
そういえば、部屋用のディスプレイが昨日届いたのだった。研究室で使用しているのとは少し型が違うが、同じくPhilips製のもので、なかなか良かった。初期不良だけが怖かったのだが、無事であった。
19日。午前は会議。午後の打ち合わせで名簿が校了。ああ怖い。たぶん上手くいったハズだが。夕方から夜までさらに作業を継続し、帰宅は遅めであった。
校了はとりあえず大きなヤマを越えたという意味で大きいが、印刷物が配布されて2週間くらいは気が気でない日々が続くのだろう。怖い怖い。
フランジ音、ジョイント音
2015年11月17日 日常16日。少しゆっくり出発。ひたすら作業に充てるも、ToDoが多いので早速遅延。夕方は授業、夜は打ち上げに参加するもほぼ飲まずに過ごす。帰りは御茶ノ水から帰宅。お茶の水橋で聞いた、複数の列車が奏でるスローテンポのジョイント音とフランジ音が、実に不思議な懐かしさを掻き立ててくれた。鉄道の一つの要素には音がある。夜の闇がその「被写体」としての出来の悪さを隠してくれたおかげで、期せずしてE233から良い体験を得た気分。
17日。だいぶ飛ばしてしまったが、作業はそこそこ捗った…はず。
最近のハロ曲に苛立つ。BPMが早すぎる。日本の音楽にも苛立つ。あんな中二病バンドがデカい顔してるのが理解できない。やっぱ笑っちゃうよ。ロックしようぜ。
本物だけを追い求めたい。
17日。だいぶ飛ばしてしまったが、作業はそこそこ捗った…はず。
最近のハロ曲に苛立つ。BPMが早すぎる。日本の音楽にも苛立つ。あんな中二病バンドがデカい顔してるのが理解できない。やっぱ笑っちゃうよ。ロックしようぜ。
本物だけを追い求めたい。
14日、外出の予定をキャンセル。引き続き部屋の片付けなど。午後は少し街に出て買い物。たいして何も買わずに帰ってきた。
15日。また街に出て、いろいろ物色。シャツの類を高円寺で入手したり、吉祥寺でカーキのロングダウンとサブのリュックを入手。ポイントカードなどがだいぶ使えたのでかなり割引が効いた。休養日のはずが結構歩き回ってしまった。それでも心はだいぶ満たされたので良しとしよう。
休日らしい休日であった。
15日。また街に出て、いろいろ物色。シャツの類を高円寺で入手したり、吉祥寺でカーキのロングダウンとサブのリュックを入手。ポイントカードなどがだいぶ使えたのでかなり割引が効いた。休養日のはずが結構歩き回ってしまった。それでも心はだいぶ満たされたので良しとしよう。
休日らしい休日であった。
12日。朝から学部生の指導。午後は自分の作業、名簿関連の打ち合わせが途中で入ってきたかな。夜まで作業は継続。なかなか忙しくなってきた。
13日。ちょっと疲労がキツかったので午前休養、午後に作業。夜まで作業予定だったが、早めに切り上げて帰宅。釣りバカのドラマが面白い。これから金曜の楽しみが出来たのが嬉しい。花金は自宅で釣りバカ。いいじゃないか。
日常は下りサンライズのように猛スピードで進んでゆく。
13日。ちょっと疲労がキツかったので午前休養、午後に作業。夜まで作業予定だったが、早めに切り上げて帰宅。釣りバカのドラマが面白い。これから金曜の楽しみが出来たのが嬉しい。花金は自宅で釣りバカ。いいじゃないか。
日常は下りサンライズのように猛スピードで進んでゆく。
10日。記念すべき11周年w さてそれはともかく、今日は淡々と作業であった。出張後の処理などが一通りここで片付いて、いよいよ分析作業に取り掛かる。
「わたし」のMVフルが出ていたので見た。ガチハマリした。たいせーさん良曲をありがとう。
11日。根詰めるのもよくないので夕飯前に研究室から出たらしい。新宿に寄り道して、新譜を山野楽器で入手。ポストカード目当てである。まろかわいい。ポスターが良かったが、仕方ない。
マルイで某グループのR・YとM・Mを目撃するなど。ブログ記事を確認して確定。いやープライベートで見かけるなんてなかなか運が良い。初めてである。
マルイではダウンの試着など。ちょっと高いので即購入という訳にはいかないし、そもそも自宅にあるレザーダウンとカブる。しかしかっこよかった…ぐぬぬ。クリーニング費もバカにならないので、冬物は気安く手が出せない。
帰宅後はのんびりと過ごす。
「わたし」のMVフルが出ていたので見た。ガチハマリした。たいせーさん良曲をありがとう。
11日。根詰めるのもよくないので夕飯前に研究室から出たらしい。新宿に寄り道して、新譜を山野楽器で入手。ポストカード目当てである。まろかわいい。ポスターが良かったが、仕方ない。
マルイで某グループのR・YとM・Mを目撃するなど。ブログ記事を確認して確定。いやープライベートで見かけるなんてなかなか運が良い。初めてである。
マルイではダウンの試着など。ちょっと高いので即購入という訳にはいかないし、そもそも自宅にあるレザーダウンとカブる。しかしかっこよかった…ぐぬぬ。クリーニング費もバカにならないので、冬物は気安く手が出せない。
帰宅後はのんびりと過ごす。
8日。休息日。
9日。久々の日常。いろいろバタついた。単純作業の後、謝金など一切出ない代理出席が夜にあった。某研究室の助教の方と最寄駅がたまたま同じであったので一緒に帰ってきた。かなり遅めの夕食に松屋で牛丼を食し帰宅。リスタートにしてはなかなかタイトな一日であった。
このあたりからなかなかの繁忙期が始まる。月末にほぼすべてのヤマが重なっている。
9日。久々の日常。いろいろバタついた。単純作業の後、謝金など一切出ない代理出席が夜にあった。某研究室の助教の方と最寄駅がたまたま同じであったので一緒に帰ってきた。かなり遅めの夕食に松屋で牛丼を食し帰宅。リスタートにしてはなかなかタイトな一日であった。
このあたりからなかなかの繁忙期が始まる。月末にほぼすべてのヤマが重なっている。
6日。目が覚めると豊橋、焼津、熱海あたりであった。だいぶ疲れがたまっていたのでその後もぐっすりと寝ていたが、ふと慌てて車窓を見遣ればちょうど根府川早川の駅間であった。眼前に大きく広がる太平洋と空が美しく淡桃色に色付く朝焼けは、劇的に美しかった。写真を撮ろうかとも思ったのだがあまりにも眠気が強かったので撃沈。何度か意識を取り戻して、網膜から脳へ焼き付けるのが精いっぱいであった。
そして気付けば横浜を過ぎ、あっという間に東京に到着。慌てて支度をして車外へ。この朝7時の東京駅の空気へと突如放り出される感覚は、サンライズならではなのかもしれない。やはり客車列車とは異なり密閉性が高いので、ギャップも大きく感じるのかもしれない。
いつもの帰路で、帰宅。
もろもろ片付けて身体を休めていたら、あっという間に一日が過ぎていった。
7日。部屋のレイアウティング変更などに充てる。ちょうどラックの類が届いていたので、これらを一気に仕上げた記憶。ほぼイメージ通りだが、若干の圧迫感。すぐに慣れるだろう。
そして気付けば横浜を過ぎ、あっという間に東京に到着。慌てて支度をして車外へ。この朝7時の東京駅の空気へと突如放り出される感覚は、サンライズならではなのかもしれない。やはり客車列車とは異なり密閉性が高いので、ギャップも大きく感じるのかもしれない。
いつもの帰路で、帰宅。
もろもろ片付けて身体を休めていたら、あっという間に一日が過ぎていった。
7日。部屋のレイアウティング変更などに充てる。ちょうどラックの類が届いていたので、これらを一気に仕上げた記憶。ほぼイメージ通りだが、若干の圧迫感。すぐに慣れるだろう。
某街、玉島、水島、そして帰路へ
2015年11月5日 日常5日。出先にしては珍しいほどの朝寝坊。水島臨海鉄道の撮影なども考えてはいたのだが、再び今日も夜まで運転の予定だったので、疲労回復に努めることにした。のんびりとチェックアウトし、駐車場で一晩明かしたレンタカーに再び乗車。一路西へ向かう。
■某都市へ
今日はだいぶ運転にも慣れてきたし、カーオーディオを使ってみる。1年半前に室蘭で使う予定だったCDを持参していたのだ。あの時はクルマにオーディオが付いていないというガッカリな事が起きてしまって結局ただの荷物になってしまった訳だが、満を持して今日はいよいよ実用である。昼用ディスクはハロプロのテンション上がる系のセトリで組んであった。自分でも選曲を少し忘れかけていたが、「愛しく苦しいこの夜に」のトラックが非常に心地良い。プラチナ~カラフルを中心に℃曲も鏤めてあり、運転は5倍楽しくなった。いいもんだ。
バイパスを使って西進。30分程度で、某都市へ到着。日本屈指の宗教都市は果たしてどれだけの規模なのだろうと、一度この目で見ておきたかったのである。
さて早速駐車場から歩いてゆくと、物凄いサイズの建造物が見えてくる。うおお。祭場と会堂である。前者はSRC造だが何と竣工から56年も経過しているという。武道館よりも歴史が古いと思うと何だかすさまじい気がしてくる。とにかくスケール感が異常で、広角レンズ必須であった。そう頻繁に使われている訳ではないようだが、キャパ15,000人には驚いた。すげえ。
そして本部の周辺には街が広がっている。門前の商店街は短かったがその特殊性が際立っており、すぐ近くには教徒社など。それ以外にもタイル系建築やまるで楼閣のような木造3階建、映画のセットのような魚屋や八百屋など建ち並んでおり、何れもかなりの年代モノで強烈な印象。なかなかピクチュアレスクな街並みなのだが、あくまで外様の自分がちょこまかするには気が引けた。とはいえいろいろ見学。昼は門前の商店街の新しめのレストランで生姜焼き定食を頂き、その後もう一度本部の奥を見学し、酒店に寄って御神酒を入手した。これ以上の長居は明らかに迷惑になりはじめる気がしたので、ここで撤収。
■玉島・天満町へ
さて、予報通りだいぶ気温も高く、駐車場に停めておいたクルマはだいぶ高温に。窓を開けて換気し、再びオーディオ再生。相変わらず良いセトリで楽しい。
バイパスを再び通り、玉島へ。まずは旧遊郭がわずかに残存する天満町へ。
県道の一本脇を走るこの道には、明らかにそれとわかる建築群がずらりと並んでおり、これまたセットのような印象。しかし何より、スズメバチの大群に慄く。これは軽く100匹が視界に入っているのではなかろうかという瞬間もあった。出来る限り刺激せぬように歩いて、撮影を済ませる。午前、某街にいた際は程よい曇天であったのだが、ここにきてがっつりと晴れてきた。午後の斜光線が早くも色付き、旧色街を艶やかに照らす。ホワイトバランスの微調整に難航したが、楽しい撮影。最後に少しだけ逆走してみると、ほぼ民家だけなのだが、ずいぶんとヤレた地区があった。しかしとにかくスズメバチが…。。
日暮れに近付いてはいけないので次へ移動。
■玉島の商店街
さて、クルマで移動。駐車位置に迷うも、某商店街入口に共用駐車場があったのでここに停める。いきなり一つ、デカいシャッター街。なかなかレトロで、印象は十分にキョーレツである。ここを抜けて、嘗て有名な水門のあった場所を見て(今はなんだかインチキ臭いものが建っている)、川沿いの廃屋(下調べよりも1軒減っていた)を対岸から撮影して、T商店街。これがすごかった。いきなり入口付近のパチンコ屋が潰されていて、正面入口の構図が変わっていたが、新たな正面の建築も十分に味がある。内部は凄まじい。綺麗なものだが。鮮やかな万国旗が、古びたアーケードの下に掛っているが、天高が十分に高いため今一つ迫力が無い。レトロを売りにして観光スポットとして人を呼ぼうとしていた痕跡までもはや歴史の1ページになっているのが見ていて辛い。
途中からアーケードが無くなっているが、この先も道が随分続いている。と、ここで気付いたのだが、下調べよりもアーケードが短縮されているではないか。なんてこった。妙に開放的になり陽光を浴びるようになった建築群はそれでも写欲をそそられるものばかりで、あっという間に時間が経ってゆく。ほぼ商店街が終わるところにはX・Y方向に大開口(=シャッター)がある店があり、これを目印に引き返す。
下調べであった仏具店はどこにあるかと思ったら、どうやら閉店してしまって、看板のごく一部分のみ見えていた。残念だなあと思いながらその前をうろうろしていたら、元店主と思しき人に声を掛けられたので、しれーっと「この看板は何て書いてあるんですか?」などと尋ねるところからヒアリングを開始。するとどうやら3年ほど前に閉店してしまったらしい。そして何と、この方がアーケード撤去の言いだしっぺだったという。アーケードは半年ほど前に撤去されたとのことで、随分なタイミングで貴重なヒアリング、何という巡り合わせか。
やはり撤去理由はメンテナンスの問題だという。我々としても在ってくれたほうがよいのだが、やはりいつかは撤去しなければならないため、このあたりで外そうという話になったらしい。皆の「嫌われ者」になって大変だったという言葉に、納得感と同情と悔しさとが入り混じり、複雑な感情に。おじいさん、貴重なお話ありがとう。
その後もよくよく観察してみるとアーケードが外された痕跡があちこちに見える。そしてアーケードの残存する部分からレンズを付け替えて最後にバーっと撮ってゆく。正面入口付近をもう一度撮り、次へ。
次の商店街はほどなく到着できたが、これまたアーケードがない…。こんな悔しさはなかなか味わえないだろう。しかしそれでも十二分に美しい街並みなのだが。あまりにも閉店率が高い。寝装店、旧旅館などをしっかりと撮ってゆく。
最後に随分と変わった風貌の神社があったのだが、ここは外観のみでスルー。
クルマに戻るころには、もう太陽が沈もうとしていた。
■再び、水島へ
さて、玉島を去り、連日の水島へとクルマを走らせる。
と、渡りたかった橋の手前でまさかの車線変更忘れ。5分ほどロス。
その後は順調。淡々と移動してゆく。夕暮れ時になり再び雲が出てきたようで、工場夕景とはならなかった。「都会っ子 純情」を爆音で流しながらカーキのマンパに黒のキャスケットを被り夕暮れの工業地帯を軽自動車で下ってゆく男。なかなか怪しくてヤレててイイ感じであるな、などと自らを変に美化(醜化?)してみたりする。
最初のポイントは今日は国道沿い。一度曲がり損ねてロスしたが、2度目のトライで無事にアプローチ成功。急坂を上り、立ち入り可能地点の限界で駐車し(勾配角がきついので怖かった)、見遣ればプラントがいくつも眼下に広がっている。まだ空は灰色、間に合った。20分ほどであっという間に夜の帳が下り、本格的に撮影開始。ここの地点はフレアスタックがよく見えるのでとても雰囲気があって良い。そして何といっても工場が比較的近く、かつ視野角が広いので、お得感が強い。夢中に撮影していると時間がどんどん過ぎてゆく。今日はクルマの返却期限もあるので、のんびりはしていられない。
次の地点は再び国道沿いのポイント、北上する。ここで夜のCDに切り替える。踊る大捜査線のサントラから「Moon Light」を一曲目に入れてあったのだが、これを聞きながら夜の工業地帯のバイパスを走るのがかねてからの夢であった。ついに実現。こんなにも雰囲気がピッタリきて気持ちいいものか。最高である。
程なくして到着したのだが、なかなか視点の高さが稼げない。ちゃんと調べてみるとどうやら正しい撮影ポイントはこの上の墓地にあるという。ライトはあるし、アプローチもほぼ理解できてはいたのだが、流石に1人では心もとないし、時間も比較的厳しかったのでやめておいた。駐車地点からも何とか撮影は出来たので、ここで何アングルかトライして、一応の収穫を得る。あまりにも時間的に切羽詰まっていたので放○しながらセルフタイマーで撮影したww
そしてタイムリミット。レンタカー返却へ、最後のドライブ。夜用のCDには幼少期から好んでいるPS版のチョロQのBGMが複数チョイスしてあった。とくに3のシティの夜版BGMとか、ナイトジムカーナとか、1のトンネルロードとか、なかなか良くマッチしてくる。選曲センスが光っている。給油を終え、GTの曲を最後に聞いているタイミングでちょうど店に到着。なんと5分前であった。給油時間を見込んでいなかったので、かなりギリギリであったが、安全運転で間に合えば万事OKである。特に咎められることもなく、無事に手続きも終了。
ああ、無事に生きて帰ってこれた幸せ。しかし燃費は昨日の普通車よりも悪かった。。
西阿知へ歩き、ちょうどのタイミングで列車に乗る。岡山では庄やで夕飯。ようやく酒が飲める。旅だというのに3日ぶりである。疲れた体に沁みる。飯の順序が少々狂っていたがまあ良しとする。
■超レトロな銭湯
さていよいよ旅も終焉。最後は超レトロな銭湯「ときわ湯」へ。なかなかビジュアルからしていかついのだが、意を決して入ってみると、おじさまたちが集ってTVを見ていたがこちらには殆ど興味がないようである。靴箱のカギとロッカーのカギを交換し、猫にあいさつし(とりあえず動物臭いw)て脱衣場へ。デカいほうのカバンがロッカーに入らないのでそのまま傍らに置かざるを得ず、だいぶ心配ではあったが、入浴。そこそこ広いが、何も石鹸の類は置いていなかった。これも誤算。入念に体を洗い頭を洗っていると、若者5~6人が入ってきて(どうやら運動部の合宿か試合か何かのようだ)だいぶ騒がしくなった。プロジェクタで壁面に緑の景色が投影されているのがシュール。そんな中突如として女将のカラオケ映像がはじまり驚嘆。いや、上手いんだけど、唐突なんですよ。若者たちがいなければちゃんと聞き入れたのに、ノイズが大きかったのは残念。
若者たちは一向に出てゆく気配がないので、こちらも湯船へ。なかなか熱いが、旅疲れが癒される。そして風呂を出て、(すぐに若者たちも出てきた)新たな服へと着替えて銭湯を後にする。最後までおじさんたちは旅の若者には無愛想であった。なんとなく、僕のイメージ通りの岡山県民の姿であった。
■終焉
案外時間がギリギリであった。コンビニで缶ビール、水、アイス(ホームランバーw)を買い、駅のトイレで身支度を済ませてホームへと降りると既に285系が鎮座していた。ノビノビは階段からかなり遠い車両なので歩いていると、たちまち汗が噴出してくる。あつい。車内に入ったとき、既に発車の2分前であった。
何だか隣席の中高年の方が強烈な「おじいさんの匂い」を発している。この旅はとことん昭和を求める旅であったが、最後の最後にこんな負のオマケがついてくるとはw
ドロドロに溶けかけたホームランバーを食し、ビールを嗜み、ちょうど兵庫への県境あたりで眠りへ。姫路停車、吹田通過あたりで目が覚めたが、充足感と疲労と酒により、深い眠りの世界へと落ちて行った。
■某都市へ
今日はだいぶ運転にも慣れてきたし、カーオーディオを使ってみる。1年半前に室蘭で使う予定だったCDを持参していたのだ。あの時はクルマにオーディオが付いていないというガッカリな事が起きてしまって結局ただの荷物になってしまった訳だが、満を持して今日はいよいよ実用である。昼用ディスクはハロプロのテンション上がる系のセトリで組んであった。自分でも選曲を少し忘れかけていたが、「愛しく苦しいこの夜に」のトラックが非常に心地良い。プラチナ~カラフルを中心に℃曲も鏤めてあり、運転は5倍楽しくなった。いいもんだ。
バイパスを使って西進。30分程度で、某都市へ到着。日本屈指の宗教都市は果たしてどれだけの規模なのだろうと、一度この目で見ておきたかったのである。
さて早速駐車場から歩いてゆくと、物凄いサイズの建造物が見えてくる。うおお。祭場と会堂である。前者はSRC造だが何と竣工から56年も経過しているという。武道館よりも歴史が古いと思うと何だかすさまじい気がしてくる。とにかくスケール感が異常で、広角レンズ必須であった。そう頻繁に使われている訳ではないようだが、キャパ15,000人には驚いた。すげえ。
そして本部の周辺には街が広がっている。門前の商店街は短かったがその特殊性が際立っており、すぐ近くには教徒社など。それ以外にもタイル系建築やまるで楼閣のような木造3階建、映画のセットのような魚屋や八百屋など建ち並んでおり、何れもかなりの年代モノで強烈な印象。なかなかピクチュアレスクな街並みなのだが、あくまで外様の自分がちょこまかするには気が引けた。とはいえいろいろ見学。昼は門前の商店街の新しめのレストランで生姜焼き定食を頂き、その後もう一度本部の奥を見学し、酒店に寄って御神酒を入手した。これ以上の長居は明らかに迷惑になりはじめる気がしたので、ここで撤収。
■玉島・天満町へ
さて、予報通りだいぶ気温も高く、駐車場に停めておいたクルマはだいぶ高温に。窓を開けて換気し、再びオーディオ再生。相変わらず良いセトリで楽しい。
バイパスを再び通り、玉島へ。まずは旧遊郭がわずかに残存する天満町へ。
県道の一本脇を走るこの道には、明らかにそれとわかる建築群がずらりと並んでおり、これまたセットのような印象。しかし何より、スズメバチの大群に慄く。これは軽く100匹が視界に入っているのではなかろうかという瞬間もあった。出来る限り刺激せぬように歩いて、撮影を済ませる。午前、某街にいた際は程よい曇天であったのだが、ここにきてがっつりと晴れてきた。午後の斜光線が早くも色付き、旧色街を艶やかに照らす。ホワイトバランスの微調整に難航したが、楽しい撮影。最後に少しだけ逆走してみると、ほぼ民家だけなのだが、ずいぶんとヤレた地区があった。しかしとにかくスズメバチが…。。
日暮れに近付いてはいけないので次へ移動。
■玉島の商店街
さて、クルマで移動。駐車位置に迷うも、某商店街入口に共用駐車場があったのでここに停める。いきなり一つ、デカいシャッター街。なかなかレトロで、印象は十分にキョーレツである。ここを抜けて、嘗て有名な水門のあった場所を見て(今はなんだかインチキ臭いものが建っている)、川沿いの廃屋(下調べよりも1軒減っていた)を対岸から撮影して、T商店街。これがすごかった。いきなり入口付近のパチンコ屋が潰されていて、正面入口の構図が変わっていたが、新たな正面の建築も十分に味がある。内部は凄まじい。綺麗なものだが。鮮やかな万国旗が、古びたアーケードの下に掛っているが、天高が十分に高いため今一つ迫力が無い。レトロを売りにして観光スポットとして人を呼ぼうとしていた痕跡までもはや歴史の1ページになっているのが見ていて辛い。
途中からアーケードが無くなっているが、この先も道が随分続いている。と、ここで気付いたのだが、下調べよりもアーケードが短縮されているではないか。なんてこった。妙に開放的になり陽光を浴びるようになった建築群はそれでも写欲をそそられるものばかりで、あっという間に時間が経ってゆく。ほぼ商店街が終わるところにはX・Y方向に大開口(=シャッター)がある店があり、これを目印に引き返す。
下調べであった仏具店はどこにあるかと思ったら、どうやら閉店してしまって、看板のごく一部分のみ見えていた。残念だなあと思いながらその前をうろうろしていたら、元店主と思しき人に声を掛けられたので、しれーっと「この看板は何て書いてあるんですか?」などと尋ねるところからヒアリングを開始。するとどうやら3年ほど前に閉店してしまったらしい。そして何と、この方がアーケード撤去の言いだしっぺだったという。アーケードは半年ほど前に撤去されたとのことで、随分なタイミングで貴重なヒアリング、何という巡り合わせか。
やはり撤去理由はメンテナンスの問題だという。我々としても在ってくれたほうがよいのだが、やはりいつかは撤去しなければならないため、このあたりで外そうという話になったらしい。皆の「嫌われ者」になって大変だったという言葉に、納得感と同情と悔しさとが入り混じり、複雑な感情に。おじいさん、貴重なお話ありがとう。
その後もよくよく観察してみるとアーケードが外された痕跡があちこちに見える。そしてアーケードの残存する部分からレンズを付け替えて最後にバーっと撮ってゆく。正面入口付近をもう一度撮り、次へ。
次の商店街はほどなく到着できたが、これまたアーケードがない…。こんな悔しさはなかなか味わえないだろう。しかしそれでも十二分に美しい街並みなのだが。あまりにも閉店率が高い。寝装店、旧旅館などをしっかりと撮ってゆく。
最後に随分と変わった風貌の神社があったのだが、ここは外観のみでスルー。
クルマに戻るころには、もう太陽が沈もうとしていた。
■再び、水島へ
さて、玉島を去り、連日の水島へとクルマを走らせる。
と、渡りたかった橋の手前でまさかの車線変更忘れ。5分ほどロス。
その後は順調。淡々と移動してゆく。夕暮れ時になり再び雲が出てきたようで、工場夕景とはならなかった。「都会っ子 純情」を爆音で流しながらカーキのマンパに黒のキャスケットを被り夕暮れの工業地帯を軽自動車で下ってゆく男。なかなか怪しくてヤレててイイ感じであるな、などと自らを変に美化(醜化?)してみたりする。
最初のポイントは今日は国道沿い。一度曲がり損ねてロスしたが、2度目のトライで無事にアプローチ成功。急坂を上り、立ち入り可能地点の限界で駐車し(勾配角がきついので怖かった)、見遣ればプラントがいくつも眼下に広がっている。まだ空は灰色、間に合った。20分ほどであっという間に夜の帳が下り、本格的に撮影開始。ここの地点はフレアスタックがよく見えるのでとても雰囲気があって良い。そして何といっても工場が比較的近く、かつ視野角が広いので、お得感が強い。夢中に撮影していると時間がどんどん過ぎてゆく。今日はクルマの返却期限もあるので、のんびりはしていられない。
次の地点は再び国道沿いのポイント、北上する。ここで夜のCDに切り替える。踊る大捜査線のサントラから「Moon Light」を一曲目に入れてあったのだが、これを聞きながら夜の工業地帯のバイパスを走るのがかねてからの夢であった。ついに実現。こんなにも雰囲気がピッタリきて気持ちいいものか。最高である。
程なくして到着したのだが、なかなか視点の高さが稼げない。ちゃんと調べてみるとどうやら正しい撮影ポイントはこの上の墓地にあるという。ライトはあるし、アプローチもほぼ理解できてはいたのだが、流石に1人では心もとないし、時間も比較的厳しかったのでやめておいた。駐車地点からも何とか撮影は出来たので、ここで何アングルかトライして、一応の収穫を得る。あまりにも時間的に切羽詰まっていたので放○しながらセルフタイマーで撮影したww
そしてタイムリミット。レンタカー返却へ、最後のドライブ。夜用のCDには幼少期から好んでいるPS版のチョロQのBGMが複数チョイスしてあった。とくに3のシティの夜版BGMとか、ナイトジムカーナとか、1のトンネルロードとか、なかなか良くマッチしてくる。選曲センスが光っている。給油を終え、GTの曲を最後に聞いているタイミングでちょうど店に到着。なんと5分前であった。給油時間を見込んでいなかったので、かなりギリギリであったが、安全運転で間に合えば万事OKである。特に咎められることもなく、無事に手続きも終了。
ああ、無事に生きて帰ってこれた幸せ。しかし燃費は昨日の普通車よりも悪かった。。
西阿知へ歩き、ちょうどのタイミングで列車に乗る。岡山では庄やで夕飯。ようやく酒が飲める。旅だというのに3日ぶりである。疲れた体に沁みる。飯の順序が少々狂っていたがまあ良しとする。
■超レトロな銭湯
さていよいよ旅も終焉。最後は超レトロな銭湯「ときわ湯」へ。なかなかビジュアルからしていかついのだが、意を決して入ってみると、おじさまたちが集ってTVを見ていたがこちらには殆ど興味がないようである。靴箱のカギとロッカーのカギを交換し、猫にあいさつし(とりあえず動物臭いw)て脱衣場へ。デカいほうのカバンがロッカーに入らないのでそのまま傍らに置かざるを得ず、だいぶ心配ではあったが、入浴。そこそこ広いが、何も石鹸の類は置いていなかった。これも誤算。入念に体を洗い頭を洗っていると、若者5~6人が入ってきて(どうやら運動部の合宿か試合か何かのようだ)だいぶ騒がしくなった。プロジェクタで壁面に緑の景色が投影されているのがシュール。そんな中突如として女将のカラオケ映像がはじまり驚嘆。いや、上手いんだけど、唐突なんですよ。若者たちがいなければちゃんと聞き入れたのに、ノイズが大きかったのは残念。
若者たちは一向に出てゆく気配がないので、こちらも湯船へ。なかなか熱いが、旅疲れが癒される。そして風呂を出て、(すぐに若者たちも出てきた)新たな服へと着替えて銭湯を後にする。最後までおじさんたちは旅の若者には無愛想であった。なんとなく、僕のイメージ通りの岡山県民の姿であった。
■終焉
案外時間がギリギリであった。コンビニで缶ビール、水、アイス(ホームランバーw)を買い、駅のトイレで身支度を済ませてホームへと降りると既に285系が鎮座していた。ノビノビは階段からかなり遠い車両なので歩いていると、たちまち汗が噴出してくる。あつい。車内に入ったとき、既に発車の2分前であった。
何だか隣席の中高年の方が強烈な「おじいさんの匂い」を発している。この旅はとことん昭和を求める旅であったが、最後の最後にこんな負のオマケがついてくるとはw
ドロドロに溶けかけたホームランバーを食し、ビールを嗜み、ちょうど兵庫への県境あたりで眠りへ。姫路停車、吹田通過あたりで目が覚めたが、充足感と疲労と酒により、深い眠りの世界へと落ちて行った。
早朝に起床。昨晩はわりと遅かったのだが、蓄積疲労のせいかかなり深く眠れたらしく、案外すんなりと起きられた。連泊なので最小限の荷物とともに出発し、伯備線で北上。車中では爆睡、一気に新見へ北上。思えばこの一帯は4年半前の旅で立ち寄って以来である。
道中で日の出を迎え、車窓が明るくなってゆく。高梁川に沿う小さな街、そして渓谷。屏風のように聳える山々は黄葉が美しい。実に非日常的で幻想的な朝なのだが、それ以上に睡魔がきつかった。
井倉駅前、井倉峡の景色も、そして辿り着いた新見駅前も、記憶のそれとぴたりと一致してうれしかった。
予報では4℃と聞いていたが、本当に4℃だった。この時期にしてはかなりの厚着をしていたとはいえ、身体が若干ついていかない。
1時間ほど待合室で待機した後、駅レンタカーを調達。免許取得以来初めて軽自動車ではない車を運転することとなった。そして免許更新以来初の運転でもある。
出発すると、いきなり朝霧が深い。黄葉を背景とした霧はとても美しいのだが、若干怖い。
以下、中略。
新見を列車で去る。一路倉敷…を通り過ぎ、岡山の一駅隣の西阿知駅まで移動。道中はさすがに運転の疲労もあったので爆睡。
西阿知からは徒歩で移動し、格安のレンタカーを調達する。予定通りにすべてがうまくいった。古い軽自動車であった。一路水島の工場夜景撮影へ。鷲羽山スカイラインの展望台で地元の若者がたむろしている傍らで黙々と撮影。スカイラインの途中で何箇所か場所を変え、トータルで2時間ほど撮影して今日は終了。駅前の市営駐車場で人生初の立体駐車場運転を体験し(たのしい)、宿に戻り、一日の疲れを癒す。今日は運転距離も撮影枚数もかなりのものであった。
血の気が引いたり泣いたり笑ったり萌えたりと、心も忙しい一日であった。
充足感とともに眠りに就いた。
道中で日の出を迎え、車窓が明るくなってゆく。高梁川に沿う小さな街、そして渓谷。屏風のように聳える山々は黄葉が美しい。実に非日常的で幻想的な朝なのだが、それ以上に睡魔がきつかった。
井倉駅前、井倉峡の景色も、そして辿り着いた新見駅前も、記憶のそれとぴたりと一致してうれしかった。
予報では4℃と聞いていたが、本当に4℃だった。この時期にしてはかなりの厚着をしていたとはいえ、身体が若干ついていかない。
1時間ほど待合室で待機した後、駅レンタカーを調達。免許取得以来初めて軽自動車ではない車を運転することとなった。そして免許更新以来初の運転でもある。
出発すると、いきなり朝霧が深い。黄葉を背景とした霧はとても美しいのだが、若干怖い。
以下、中略。
新見を列車で去る。一路倉敷…を通り過ぎ、岡山の一駅隣の西阿知駅まで移動。道中はさすがに運転の疲労もあったので爆睡。
西阿知からは徒歩で移動し、格安のレンタカーを調達する。予定通りにすべてがうまくいった。古い軽自動車であった。一路水島の工場夜景撮影へ。鷲羽山スカイラインの展望台で地元の若者がたむろしている傍らで黙々と撮影。スカイラインの途中で何箇所か場所を変え、トータルで2時間ほど撮影して今日は終了。駅前の市営駐車場で人生初の立体駐車場運転を体験し(たのしい)、宿に戻り、一日の疲れを癒す。今日は運転距離も撮影枚数もかなりのものであった。
血の気が引いたり泣いたり笑ったり萌えたりと、心も忙しい一日であった。
充足感とともに眠りに就いた。
2日。朝は岡山あたりで目覚めるも、かなり眠いので高松まで寝ていた。そんなこんなで、恥ずかしながら初の四国。かなり眠かったが、丸亀まで鈍行で移動。コインロッカーに大荷物を預けて探索。
・某神社
バラックが境内に残存し、鳥居にまで食い込んでいる強烈なビジュアルの神社。下調べして行ったが、予想をかなり上回るものだった。撮影をしていたら80歳代の老婆に話しかけられた。ちょうど隣家に住む方で、ここにかれこれ60年ほど住まれているという。やはり駅前闇市の移動が発端で、転出する人が始末しなかったために現代まで残存してしまっているということだった。物凄いオーラの中に、あまりにも寂しい雰囲気が残る。「神様はなんも言わんけどな」という言葉が、とても印象的であった。
・街並
とにかく、状態は酷かった。撮影には事欠かないのだが、駅前近くでこの惨状はこれまた想像以上であった。遊郭跡も巡ってみたが、下調べで残存していた物件が撤去されていたり、少し物足りなさはあった。
しかし本当に…これでよいのか。
・商店街
これまたスケールが大きいのに寂れていて、虚しさばかり。絵的には面白いところが多かったが…。
雨あとの曇天という絵的に素晴らしいシチュエーションが、さらに舞台の雰囲気を引き立てていた面もあるとは思うのだが、それにしても…凄まじかった。
午後からは調査。思ったよりも時間が掛かった。
宴会ではまだ小さくなっていなければいけない立場であはるので難しい。
ホテルに着き、就寝。長い一日だった。
3日。終日調査。かなり大変であった。。。結局夜21時頃までお世話になってしまった。ヘトヘトであった。
その後は結局車で坂出まで送っていただき、後輩君と岡山まで一緒に移動し、最後は単独で倉敷へ。倉敷の東横インにチェックイン。
あっという間に四国におさらば。かなり疲れた2日間。
・某神社
バラックが境内に残存し、鳥居にまで食い込んでいる強烈なビジュアルの神社。下調べして行ったが、予想をかなり上回るものだった。撮影をしていたら80歳代の老婆に話しかけられた。ちょうど隣家に住む方で、ここにかれこれ60年ほど住まれているという。やはり駅前闇市の移動が発端で、転出する人が始末しなかったために現代まで残存してしまっているということだった。物凄いオーラの中に、あまりにも寂しい雰囲気が残る。「神様はなんも言わんけどな」という言葉が、とても印象的であった。
・街並
とにかく、状態は酷かった。撮影には事欠かないのだが、駅前近くでこの惨状はこれまた想像以上であった。遊郭跡も巡ってみたが、下調べで残存していた物件が撤去されていたり、少し物足りなさはあった。
しかし本当に…これでよいのか。
・商店街
これまたスケールが大きいのに寂れていて、虚しさばかり。絵的には面白いところが多かったが…。
雨あとの曇天という絵的に素晴らしいシチュエーションが、さらに舞台の雰囲気を引き立てていた面もあるとは思うのだが、それにしても…凄まじかった。
午後からは調査。思ったよりも時間が掛かった。
宴会ではまだ小さくなっていなければいけない立場であはるので難しい。
ホテルに着き、就寝。長い一日だった。
3日。終日調査。かなり大変であった。。。結局夜21時頃までお世話になってしまった。ヘトヘトであった。
その後は結局車で坂出まで送っていただき、後輩君と岡山まで一緒に移動し、最後は単独で倉敷へ。倉敷の東横インにチェックイン。
あっという間に四国におさらば。かなり疲れた2日間。
1日。しばらく遊んで、大学に寄って最終作業をしていたらかなりギリギリに。大荷物を抱えて東京駅へ。
そういえば、一昨日で国鉄色381の運用が終了したのだった。どこを探したところで、今日はもう国鉄色特急は無いのだと思うと、虚しさが拭えない。思えば、沿線にはいつも国鉄色183が走っていた。そういえば幼い頃に銚子へと家族で旅した時に当時3歳?の自分が記念撮影をしたのは183系しおさい号だった。その後も鉄道に魅了されてから、やはり花形といえば国鉄色の特急、485・381・183。これらが全て、定期運用から消え去ってしまったのだ。今まで幾度となく国鉄色特急の走る場面に立ち会ってきたが、どれも美しい情景ばかりであった。都市部はともかく、日本の風景は50年前のそれとあまり変わらない筈なのに、それに相応しい点景(まあ正しく言えば「線景」だが)が失われてしまった。あまりにも静かで悲しい、57年の歴史の幕切れであった。
さて話は戻り、東京駅には21:40頃に到着。ギリギリであった。慌ててNEWDAYSで買い物を済ませ、サンライズ瀬戸号に乗車。思えば1年ぶり、そう、ちょうど1年前、丹波の381を撮影しに行った時の往路、くはね氏と乗ったのだった。まさか1年で全編成が淘汰されるとは思っていなかった。
こうして公費の旅が9番線に始まった。いつも思うのだが、9番線と10番線の発車メロディーは変えるべきだと思う。
列車は丸の内を横目に軽快に出発。あっという間に鶴見川を越え、スカ線経由の251系の回送列車を追い越し、羽沢から来たカモレとすれ違う。そして横浜線の233を横目に、あっという間に横浜に到着。久々に飲むアサヒの缶が美味い。
381の事が頭にあるから、ふと客車に揺られた過去のことも思い出してしまった。ハイケンスのセレナーデが聴きたい。パブロフの犬の如く、涙が噴出しそう。
そして先日撮影で探訪した早川~根府川の撮影地を通過してゆく。ここの車窓はいつも好きである。突然視界が左に開け、漆黒の太平洋が眼下に広がる様はとても立体的で、鉄道ならでは。これを客車から見たかった…などと、やはり思ってしまう。
酒と疲労で、あっという間にうつらうつらしていた。熱海に停車しているのかと思ったら沼津だったw この後も、なかなか列車が力走していたようで、ちょくちょく目覚めはしたものの、ゆっくりとした夜であった。
そういえば、一昨日で国鉄色381の運用が終了したのだった。どこを探したところで、今日はもう国鉄色特急は無いのだと思うと、虚しさが拭えない。思えば、沿線にはいつも国鉄色183が走っていた。そういえば幼い頃に銚子へと家族で旅した時に当時3歳?の自分が記念撮影をしたのは183系しおさい号だった。その後も鉄道に魅了されてから、やはり花形といえば国鉄色の特急、485・381・183。これらが全て、定期運用から消え去ってしまったのだ。今まで幾度となく国鉄色特急の走る場面に立ち会ってきたが、どれも美しい情景ばかりであった。都市部はともかく、日本の風景は50年前のそれとあまり変わらない筈なのに、それに相応しい点景(まあ正しく言えば「線景」だが)が失われてしまった。あまりにも静かで悲しい、57年の歴史の幕切れであった。
さて話は戻り、東京駅には21:40頃に到着。ギリギリであった。慌ててNEWDAYSで買い物を済ませ、サンライズ瀬戸号に乗車。思えば1年ぶり、そう、ちょうど1年前、丹波の381を撮影しに行った時の往路、くはね氏と乗ったのだった。まさか1年で全編成が淘汰されるとは思っていなかった。
こうして公費の旅が9番線に始まった。いつも思うのだが、9番線と10番線の発車メロディーは変えるべきだと思う。
列車は丸の内を横目に軽快に出発。あっという間に鶴見川を越え、スカ線経由の251系の回送列車を追い越し、羽沢から来たカモレとすれ違う。そして横浜線の233を横目に、あっという間に横浜に到着。久々に飲むアサヒの缶が美味い。
381の事が頭にあるから、ふと客車に揺られた過去のことも思い出してしまった。ハイケンスのセレナーデが聴きたい。パブロフの犬の如く、涙が噴出しそう。
そして先日撮影で探訪した早川~根府川の撮影地を通過してゆく。ここの車窓はいつも好きである。突然視界が左に開け、漆黒の太平洋が眼下に広がる様はとても立体的で、鉄道ならでは。これを客車から見たかった…などと、やはり思ってしまう。
酒と疲労で、あっという間にうつらうつらしていた。熱海に停車しているのかと思ったら沼津だったw この後も、なかなか列車が力走していたようで、ちょくちょく目覚めはしたものの、ゆっくりとした夜であった。
30日。ふたたび自宅待機の一日。いろいろムラがありすぎる。出張も近いので、休養を取ってコンディションを整えるのも大切と言い聞かせる。
31日。研究室のOB会。午後から出勤という格好になった。まあ、そこまで実りはなかったが、滞りなく終了。講演会の裏で全く別の作業をせざるをえなかったのは少し心残りだがまあなんでも良いや。
気になっていたのは、懐古ではなく過去に夢を見て、それを未来への希望に変えているということ。ただ文脈構成・醸成のための下地がなくなってしまったら、それに対して自分が時間軸をシフトしたところで何も起こりやしないのではないかという不安である。
10月は何だか、まとまりもなく、バタバタと見苦しいまでにペースを乱しながら、好き勝手やって終わっていった印象。何か出来たのだろうか?怪しいところだが…こんなひと月を肯定できるようになるには時間が必要そうだ。
31日。研究室のOB会。午後から出勤という格好になった。まあ、そこまで実りはなかったが、滞りなく終了。講演会の裏で全く別の作業をせざるをえなかったのは少し心残りだがまあなんでも良いや。
気になっていたのは、懐古ではなく過去に夢を見て、それを未来への希望に変えているということ。ただ文脈構成・醸成のための下地がなくなってしまったら、それに対して自分が時間軸をシフトしたところで何も起こりやしないのではないかという不安である。
10月は何だか、まとまりもなく、バタバタと見苦しいまでにペースを乱しながら、好き勝手やって終わっていった印象。何か出来たのだろうか?怪しいところだが…こんなひと月を肯定できるようになるには時間が必要そうだ。
28日。淡々と作業。
29日、終日実験。かなり遅くなった。疲れた。
日本シリーズが終了。鞘師が卒業発表。ニーナが故障。なんだかいろんな事が起きたが、まともに反応できなかったくらいにはクタクタであった。
29日、終日実験。かなり遅くなった。疲れた。
日本シリーズが終了。鞘師が卒業発表。ニーナが故障。なんだかいろんな事が起きたが、まともに反応できなかったくらいにはクタクタであった。
26日。名簿の作業、翌週の出張の作業など、ずいぶんとハイテンションで飛ばしてしまった。夕方の授業は爆睡した記憶。
27日。やはり昨日飛ばしすぎたので反動が来た。午前は休養、午後も早めに切り上げてきた。翌週の準備作業はほぼ完了。
27日。やはり昨日飛ばしすぎたので反動が来た。午前は休養、午後も早めに切り上げてきた。翌週の準備作業はほぼ完了。
24日と25日は自宅療養。といっても疲労を抜いただけ。日本シリーズはさすがに勝てないかー、というところ。後は翌週の出張後の行程を模索。廃校を探すなど。少しずつ現実味を帯びてきた。
22日。午前会議、午後は作業?あれ、どこかに抜け出していたような気もするが、よく覚えていない。メモを見たら実験手伝いだった、そうだそうだ。有能なメモ。
夕方は新歓。殆ど飲まずに抜け出してきた。英語ばかりだった。
23日。渋谷。これまたがっつり残業、この日は22時までほぼ休みなしの午後であったが、なんとかなったか。どうもミスが蓄積されていってしまっていたのをリセットするのが大変だった。全部自分でやるほうが本当は楽なのだが、こちらに何の権限もないのである。お金もらえたからいいです。
夕方は新歓。殆ど飲まずに抜け出してきた。英語ばかりだった。
23日。渋谷。これまたがっつり残業、この日は22時までほぼ休みなしの午後であったが、なんとかなったか。どうもミスが蓄積されていってしまっていたのをリセットするのが大変だった。全部自分でやるほうが本当は楽なのだが、こちらに何の権限もないのである。お金もらえたからいいです。
ろくでもない日々と渋谷と
2015年10月21日 日常20日、作業。だいぶいらいらしていたらしい。エンターテイメントとムラ社会、行動規範、空気、排斥、農耕民族、反教養主義、いろんなキーワードでものを考えていたらしい。だいたいこういう日は何もできていない証拠。そうか、指導教員の誕生日祝いがあった。
21日。渋谷。そこそこがっつり残業して、夜に帰宅。へろへろになったが、とりあえず金になったからOKOK。
21日。渋谷。そこそこがっつり残業して、夜に帰宅。へろへろになったが、とりあえず金になったからOKOK。