2日。穏やかな一日となる。しかし体調は全く万全ではないので、明日からの予定をキャンセルすることに。
3日。ということで、今日も安静。溜まっていたハロの動画を見るなど。
某先生から連絡が返ってこない。まずい。
3日。ということで、今日も安静。溜まっていたハロの動画を見るなど。
某先生から連絡が返ってこない。まずい。
1日。武蔵野に来客。午後から夜はゆっくりと過ごす。かなり勉強になった時間だった。
同じ過ちを繰り返してしまっているのではないかという恐怖に駆られる。こうした部分は、どうやって自己研鑽に努めればいいのだろうか。
体調はかなり安定してきたが、不安は残る。
同じ過ちを繰り返してしまっているのではないかという恐怖に駆られる。こうした部分は、どうやって自己研鑽に努めればいいのだろうか。
体調はかなり安定してきたが、不安は残る。
30日。予定をすべてキャンセルし、安静。
31日。計画通り、昼前からややこしい運用に就く。すべて最低限をこなし、某寺でのミッションをこなし、荷造りを済ませ、引き渡し。短い非日常であった。さらばである。勉強にはなった。
荷物が重すぎたのか、一日の労働が厳しすぎたのか、再び体調に不安。とにかく休息。
31日。計画通り、昼前からややこしい運用に就く。すべて最低限をこなし、某寺でのミッションをこなし、荷造りを済ませ、引き渡し。短い非日常であった。さらばである。勉強にはなった。
荷物が重すぎたのか、一日の労働が厳しすぎたのか、再び体調に不安。とにかく休息。
26日。ほぼ廃人として過ごした。夜に武蔵野に帰宅。
27日。運動する機会。無事に勝利は収めたものの、少し重すぎる代償。さすがに疲労が溜まりすぎていたのだろう。不安な日々の始まりである。
27日。運動する機会。無事に勝利は収めたものの、少し重すぎる代償。さすがに疲労が溜まりすぎていたのだろう。不安な日々の始まりである。
24日。今日は運転の予定だったが、睡眠不足が怖かったので、朝の市場見学はパスし睡眠に充てる。6時半頃起床し、橿原神宮へ移動。レンタカーを調達し、出発。ひたすら南下し、吉野方面へ。一日楽しむ。
■吉野
メジャーどころを散策。金峯山寺、吉水神社と書院など。ここは8年ぶりの訪問になる。この何年かでさまざまな建築を見てきたが、金峯山寺はやはり巨大で、その威容にただ圧倒される。
のらりくらりと一日を過ごしていたら、案外いい時間になっていた。体力的にもそろそろ辛くなってくるので、帰途に就く。無事にレンタカーは返却し、奈良に戻る。
■再び、奈良
計画通り友人と合流。ホテルに荷物を置き一休み。夕食はあらかじめ調べておいてくれた所へ。金曜ということもあって混雑は不安だったが、問題なかった。立地的にも味的にも申し分なし。肉体・精神とも疲れ果てた旅程であるから、こういうのが染みる。
25日。順当に奈良を回る。
■某市場
昨朝行きそびれていたので、折角だからリベンジである。8時半を回っていたのと、土曜日ということもあってか、手前側の店は多くが開店の準備に追われていた。やはり裏側から失礼すると、屋根を透過して黄色くなった朝の光が、有機的な世界を有機的に照らしていて、一昨晩とは全く異なる質感の世界が展開されていた。正面側は基本的に閉鎖的というか、明かり取りが無いので、朝でも蛍光灯頼み。ちょっと寄るだけのつもりが、30分ほど滞在していた。夫婦饅頭が気になったw
■元興寺
1年半ぶり。完全に快晴。以前は真冬の晴れた朝だったが、夏にくると質感が少し違う。
■新薬師寺
なにげに初訪問。かの有名な十二神将。建築的に全く下調べしていなかったので、後から調べる必要あり。
近くに「頭塔」なるものがあることを初めて知ったが、見学は要予約であった。残念。というか、見えているのだがアプローチすら良く分からなかったw
■昼食
蕎麦屋。東大寺付近はさすがに人が多かった。とにかく暑いので、涼しさが染みる。
食後は氷室神社を軽く覗いて(ここは8年ぶり。8年前はネコとじゃれた。)、バスで移動し、サイドチェンジ。
■唐招提寺
12年半ぶり2度目。前回は金堂の修理中だったので、完全な姿を見るのは初めてであった。また空の雲が吹き飛んで、青空が嘘のように高々と澄み渡っていた。境内はそこそこの人出。流石は国宝、じっくりと時間を使ってしまった。
移動の道すがらにある喫茶店「さかもと」でかき氷を食す。氷室神社で見つけた「かき氷マップ」を見て下調べしてあったのだ。イチゴと、甘酒。どちらもとても美味であった。
■薬師寺
程なくして薬師寺に到着。ここもまた12年半ぶりであるが、前回は南側から入ったように思う。もちろん分かっていはいたのだが、東塔が無いと少し悲しい。しかしこの壮麗な九間堂を前にすると、また自分がどこの国にいるのか分からなくなる。朱の色が空の青と相俟って眩しい。
あまり展示物は無いので、さらっと抜ける。
■郡山
夕方の光線下、最後に訪れたのは郡山。残存する遊郭建築を一目見ておきたかったので、強引に計画に捻じ込んでみた。東岡町という場所は、駅から徒歩10分もかからないところにあるのだが、想像以上にディープな世界であった。木造の3階建てというものがこうも違和感を生み出せるものかと、逆に感動してしまった。人の往来が思ったよりも多かったこと、さらにこの町が現在に至る経緯などを中途半端に知っていることも相俟って、かなりの緊張感。斜陽とはいえ真夏なので光線が容赦なく、撮影には難儀したが、最低限のものを撮るだけ撮って撤収。思ったよりも物件数が多かったことも予想外。いまだに看板を掲げている所に、ヒアリングとかしてみたいものだが。せめてこっちが大人数の時にしようか。
もうひとつ洞泉寺町も見てみたかったが、気力体力の限界。ここで行程は終了。
大和西大寺駅の駅中で簡単に自宅用の酒を購入し、京都へ。
のぞみは強気の自由席狙いだったが、さすがに京都時点で満席だった。デッキにへばりつく。車両のドアの感度が高すぎて、いちいち開いてしまうのが逆にイラつく。なんとか扉側に身を寄せて時間をつぶす。岐阜のあたりで遠くに花火が見えた。名古屋で何とか連席を確保し、夕食にありつく。静岡では線路間近で花火が上がっていて、これまた車内が一瞬盛り上がる。
こうして無事に帰京。何だか下水のような匂いがする。少しだけ買い物を済ませた後、本郷に帰宅し、ぐったりと就寝。
3日の調査と3日の旅、ここに完結。
■吉野
メジャーどころを散策。金峯山寺、吉水神社と書院など。ここは8年ぶりの訪問になる。この何年かでさまざまな建築を見てきたが、金峯山寺はやはり巨大で、その威容にただ圧倒される。
のらりくらりと一日を過ごしていたら、案外いい時間になっていた。体力的にもそろそろ辛くなってくるので、帰途に就く。無事にレンタカーは返却し、奈良に戻る。
■再び、奈良
計画通り友人と合流。ホテルに荷物を置き一休み。夕食はあらかじめ調べておいてくれた所へ。金曜ということもあって混雑は不安だったが、問題なかった。立地的にも味的にも申し分なし。肉体・精神とも疲れ果てた旅程であるから、こういうのが染みる。
25日。順当に奈良を回る。
■某市場
昨朝行きそびれていたので、折角だからリベンジである。8時半を回っていたのと、土曜日ということもあってか、手前側の店は多くが開店の準備に追われていた。やはり裏側から失礼すると、屋根を透過して黄色くなった朝の光が、有機的な世界を有機的に照らしていて、一昨晩とは全く異なる質感の世界が展開されていた。正面側は基本的に閉鎖的というか、明かり取りが無いので、朝でも蛍光灯頼み。ちょっと寄るだけのつもりが、30分ほど滞在していた。夫婦饅頭が気になったw
■元興寺
1年半ぶり。完全に快晴。以前は真冬の晴れた朝だったが、夏にくると質感が少し違う。
■新薬師寺
なにげに初訪問。かの有名な十二神将。建築的に全く下調べしていなかったので、後から調べる必要あり。
近くに「頭塔」なるものがあることを初めて知ったが、見学は要予約であった。残念。というか、見えているのだがアプローチすら良く分からなかったw
■昼食
蕎麦屋。東大寺付近はさすがに人が多かった。とにかく暑いので、涼しさが染みる。
食後は氷室神社を軽く覗いて(ここは8年ぶり。8年前はネコとじゃれた。)、バスで移動し、サイドチェンジ。
■唐招提寺
12年半ぶり2度目。前回は金堂の修理中だったので、完全な姿を見るのは初めてであった。また空の雲が吹き飛んで、青空が嘘のように高々と澄み渡っていた。境内はそこそこの人出。流石は国宝、じっくりと時間を使ってしまった。
移動の道すがらにある喫茶店「さかもと」でかき氷を食す。氷室神社で見つけた「かき氷マップ」を見て下調べしてあったのだ。イチゴと、甘酒。どちらもとても美味であった。
■薬師寺
程なくして薬師寺に到着。ここもまた12年半ぶりであるが、前回は南側から入ったように思う。もちろん分かっていはいたのだが、東塔が無いと少し悲しい。しかしこの壮麗な九間堂を前にすると、また自分がどこの国にいるのか分からなくなる。朱の色が空の青と相俟って眩しい。
あまり展示物は無いので、さらっと抜ける。
■郡山
夕方の光線下、最後に訪れたのは郡山。残存する遊郭建築を一目見ておきたかったので、強引に計画に捻じ込んでみた。東岡町という場所は、駅から徒歩10分もかからないところにあるのだが、想像以上にディープな世界であった。木造の3階建てというものがこうも違和感を生み出せるものかと、逆に感動してしまった。人の往来が思ったよりも多かったこと、さらにこの町が現在に至る経緯などを中途半端に知っていることも相俟って、かなりの緊張感。斜陽とはいえ真夏なので光線が容赦なく、撮影には難儀したが、最低限のものを撮るだけ撮って撤収。思ったよりも物件数が多かったことも予想外。いまだに看板を掲げている所に、ヒアリングとかしてみたいものだが。せめてこっちが大人数の時にしようか。
もうひとつ洞泉寺町も見てみたかったが、気力体力の限界。ここで行程は終了。
大和西大寺駅の駅中で簡単に自宅用の酒を購入し、京都へ。
のぞみは強気の自由席狙いだったが、さすがに京都時点で満席だった。デッキにへばりつく。車両のドアの感度が高すぎて、いちいち開いてしまうのが逆にイラつく。なんとか扉側に身を寄せて時間をつぶす。岐阜のあたりで遠くに花火が見えた。名古屋で何とか連席を確保し、夕食にありつく。静岡では線路間近で花火が上がっていて、これまた車内が一瞬盛り上がる。
こうして無事に帰京。何だか下水のような匂いがする。少しだけ買い物を済ませた後、本郷に帰宅し、ぐったりと就寝。
3日の調査と3日の旅、ここに完結。
舞鶴、綾部、黄檗、奈良
2015年7月23日 日常22日。午前は調査小休止で、博物館に行ってみるなど。午後に調査し、無事に終了。夜は打ち上げ。だいぶ遅くまで外にいた。この日は終日曇っていて比較的涼しかったので、だいぶ助かった。
23日。午前中に先輩に某施設に連れて行ってもらう。なかなか絵的には面白いところだったのだが、時間があまり取れなかったので、記録写真的になってしまったのが残念ではあった。わずかに降っていた雨で、雰囲気はとても良かった。
昼前に先輩と別れ、綾部で後輩とも別れ、ここから一人旅。
■綾部
大本(大本教といわれることが多いが、正しくは「教」は付かないはず)の本部があるので、特急を1時間後のものにずらし、見学へ。みろく殿はなかなかのスケール感で、内部に立ち入るのは少しためらわれたが、外から見たところ恐ろしいほどの大空間が広がっているようだ。破風の構成が何とも面白い。予想通り半地下があった。いっぽう新しく建設された長生殿は近寄りがたい雰囲気で、平面構成の複雑さを楽しむほどまで踏み込むことは出来なかった。怖がらずに行ってみてもよかったのか…
その後、大正昭和の雰囲気が丸々残っている現役の薬局「遠坂薬局」が街並みに突如現れ、少し撮影して、そそくさと駅に戻る。今回はグンゼはお預け。一路京都へ上る。
京都ではすぐさま奈良線各駅停車に乗り換え。
■黄檗
萬福寺へ。思ったよりも境内が広く、じっくり見て撮影していたら1時間以上掛かった。回廊とそれぞれの建物の屋根の高さ・形が異なる部分の繋ぎ目が面白い。やはり中国的というか大陸的に見えるのだが、それでいて回廊部分の褪せ具合は日本的なのも不思議である。
バスガイドが一人で足を組んで座ってスマホをいじっていたのが面白かったw
その後、そのすぐそばにある某市場を見る。勿論、予習していたとおり殆どの店のシャッターが下りていた。中央付近は想像していたよりもかなり暗かった。くじら加工品の店など、現代ではなかなか成立しないであろう店もその看板を残しているが、すべての店の看板が青色で統一されているのが不思議。かすかに道がカーブしているところに味がある。ここで市場建築は私有地扱いであることを初めて知った。1本裏の通りから外観を一部だけ垣間見ることが出来るのだが、これがまた思ったよりもヤレていた。中はやはり人の往来を想定して作られているので、たとえすべてミセが土間であっても綺麗(とはいえほぼ全てシャッターが下りているので土埃はかなりある)なのだが、裏は完全な住居スペースであり、バラック感が強い。
調べてみると、線路側の部分は2年前に火事に遭ったのだとか。どうりで不自然な形となっていた訳だ。
いろいろ見ていたら時間が過ぎ去っていった。天理の街を見に行くのはまたの機会とし、奈良へ直接向かう。
いつもお世話になるビジホに荷物を置き、お好み焼きを食し、夜の撮影。
■奈良
これもまた某市場へ。ここは横綱級の物件である。褐色というか鼠色というか、凄まじい雰囲気。戦後そのままといっても良いのではないだろうか。百聞は一見にしかず。想像よりもはるかに凄い世界だった。有機的な構成物を、蛍光灯が無機質に照らしてゆくこの雰囲気が、1950年代・60年代のイメージを掻き立ててくれる。思ったよりも道幅が狭いので、絵的には切り取りやすいが、何せ暗い。
裏から入って行ったが、もちろん予習の通り正面入口側に近い中華料理屋が開店していて、客の往来はもちろん、大いに盛り上がっている声も響いている。裏側の静まり返った雰囲気と、表の喧騒。不思議な構図だが、何よりも外様である自分には緊張ばかりが走る。時折トイレに来る人とすれ違うのもまたスリルがある。月明かりが眩しい。
1時間ほどで何とか見学を終えてホテルに戻る。その後は洗濯など。
翌朝に早起きして再び市場へ、今度は朝の絵を撮る計画。何とか0時には就寝。
23日。午前中に先輩に某施設に連れて行ってもらう。なかなか絵的には面白いところだったのだが、時間があまり取れなかったので、記録写真的になってしまったのが残念ではあった。わずかに降っていた雨で、雰囲気はとても良かった。
昼前に先輩と別れ、綾部で後輩とも別れ、ここから一人旅。
■綾部
大本(大本教といわれることが多いが、正しくは「教」は付かないはず)の本部があるので、特急を1時間後のものにずらし、見学へ。みろく殿はなかなかのスケール感で、内部に立ち入るのは少しためらわれたが、外から見たところ恐ろしいほどの大空間が広がっているようだ。破風の構成が何とも面白い。予想通り半地下があった。いっぽう新しく建設された長生殿は近寄りがたい雰囲気で、平面構成の複雑さを楽しむほどまで踏み込むことは出来なかった。怖がらずに行ってみてもよかったのか…
その後、大正昭和の雰囲気が丸々残っている現役の薬局「遠坂薬局」が街並みに突如現れ、少し撮影して、そそくさと駅に戻る。今回はグンゼはお預け。一路京都へ上る。
京都ではすぐさま奈良線各駅停車に乗り換え。
■黄檗
萬福寺へ。思ったよりも境内が広く、じっくり見て撮影していたら1時間以上掛かった。回廊とそれぞれの建物の屋根の高さ・形が異なる部分の繋ぎ目が面白い。やはり中国的というか大陸的に見えるのだが、それでいて回廊部分の褪せ具合は日本的なのも不思議である。
バスガイドが一人で足を組んで座ってスマホをいじっていたのが面白かったw
その後、そのすぐそばにある某市場を見る。勿論、予習していたとおり殆どの店のシャッターが下りていた。中央付近は想像していたよりもかなり暗かった。くじら加工品の店など、現代ではなかなか成立しないであろう店もその看板を残しているが、すべての店の看板が青色で統一されているのが不思議。かすかに道がカーブしているところに味がある。ここで市場建築は私有地扱いであることを初めて知った。1本裏の通りから外観を一部だけ垣間見ることが出来るのだが、これがまた思ったよりもヤレていた。中はやはり人の往来を想定して作られているので、たとえすべてミセが土間であっても綺麗(とはいえほぼ全てシャッターが下りているので土埃はかなりある)なのだが、裏は完全な住居スペースであり、バラック感が強い。
調べてみると、線路側の部分は2年前に火事に遭ったのだとか。どうりで不自然な形となっていた訳だ。
いろいろ見ていたら時間が過ぎ去っていった。天理の街を見に行くのはまたの機会とし、奈良へ直接向かう。
いつもお世話になるビジホに荷物を置き、お好み焼きを食し、夜の撮影。
■奈良
これもまた某市場へ。ここは横綱級の物件である。褐色というか鼠色というか、凄まじい雰囲気。戦後そのままといっても良いのではないだろうか。百聞は一見にしかず。想像よりもはるかに凄い世界だった。有機的な構成物を、蛍光灯が無機質に照らしてゆくこの雰囲気が、1950年代・60年代のイメージを掻き立ててくれる。思ったよりも道幅が狭いので、絵的には切り取りやすいが、何せ暗い。
裏から入って行ったが、もちろん予習の通り正面入口側に近い中華料理屋が開店していて、客の往来はもちろん、大いに盛り上がっている声も響いている。裏側の静まり返った雰囲気と、表の喧騒。不思議な構図だが、何よりも外様である自分には緊張ばかりが走る。時折トイレに来る人とすれ違うのもまたスリルがある。月明かりが眩しい。
1時間ほどで何とか見学を終えてホテルに戻る。その後は洗濯など。
翌朝に早起きして再び市場へ、今度は朝の絵を撮る計画。何とか0時には就寝。
20日。出張スタート。朝が早いが、冷蔵庫の中身を空にすることも目的だったので、しっかり朝食を作って、食べて、新幹線に乗車。祝日なのだが、土休日にあるはずの臨時便が抜けていて、のぞみの間隔が広すぎるため、どうも混んでいた。京都からは特急はしだて。しっかり狙って381系に乗車する。思えば2月は関ヶ原の大雪の影響で遅延し、やむを得ず287系に身を委ねたのだった。滑らかなボディで、滑らかな乗り心地。天井部分の造形は、ホームでまじまじと見てみるとやはり183や485と異なり面白い。
昼前に到着し、調査開始。ここからは淡々と。夕方はスーパー銭湯的温泉に連れて行ってもらい、夜は飲み会。なかなか楽しかった。ホテルに戻ってから、気になったので商店街(シャッター街)の夜景を三脚を使って撮影。なかなか怖かったが、面白い。
21日。淡々と調査。昨日はそこそこてこずったが、今日はだいぶ勢いに乗ってきた感。だいぶはかどった。夜は打ち上げ。早めに切り上げ、その後は地元側の学生にドライブに連れて行ってもらう。クレインブリッジと、スカイタワー展望台へ。夜景こそそこまで鮮やかなものは拝めなかったが、久々にゼロの数が2つ違うのではないかと思うほどの星を見た気がする。展望台で野郎5人であおむけに寝転がって夏の大三角はどれだとか、あれが「や座」だとか、流れ星見えただとか、なんだか面白かった。しかし振り返ってみると、自分があの中で最も年上だったのか、などと考えてしまう。いよいよまずいな…本当に年ばかりくっている。
思ったよりも順調に進む2日間。
昼前に到着し、調査開始。ここからは淡々と。夕方はスーパー銭湯的温泉に連れて行ってもらい、夜は飲み会。なかなか楽しかった。ホテルに戻ってから、気になったので商店街(シャッター街)の夜景を三脚を使って撮影。なかなか怖かったが、面白い。
21日。淡々と調査。昨日はそこそこてこずったが、今日はだいぶ勢いに乗ってきた感。だいぶはかどった。夜は打ち上げ。早めに切り上げ、その後は地元側の学生にドライブに連れて行ってもらう。クレインブリッジと、スカイタワー展望台へ。夜景こそそこまで鮮やかなものは拝めなかったが、久々にゼロの数が2つ違うのではないかと思うほどの星を見た気がする。展望台で野郎5人であおむけに寝転がって夏の大三角はどれだとか、あれが「や座」だとか、流れ星見えただとか、なんだか面白かった。しかし振り返ってみると、自分があの中で最も年上だったのか、などと考えてしまう。いよいよまずいな…本当に年ばかりくっている。
思ったよりも順調に進む2日間。
18日。午前中に荷造りを終え、出発。地元と北千住を経由していろいろ買い物をし、本郷に戻り、お祝い事。気がつけば19日までずっと過ごしていた。楽しい時間はあっという間に流れていくものだ。
出張の荷造りを最終的に終え、明日からはほぼ一週間の関西行である。
出張の荷造りを最終的に終え、明日からはほぼ一週間の関西行である。
16日。午前は会議、午後は作業を少しして、久しぶりに身体を動かす。本番に向けて、仕上がりは上々であろう。夜は先輩2人と飲む。気付いたら26時。
17日。4時間睡眠で朝の仕業。これで今学期の朝仕業はすべて終了。昼手前まで細かい作業を進め、昼飯を買っていったん引き上げ、昼寝、片付けと済ませ、夕方からの打ち合わせに復帰。夜は大人たちと軽く飲むことに。ご馳走になるという展開に、未だになかなか慣れない。まあ、自分が上の立場になった時に、そのサイクルを続けていけばよいのだろうけど、それでもなかなかあまりしっくりこないのである。
夜は武蔵野に帰宅。舞鶴出張準備して、翌朝にはとんぼ返りの予定である。
17日。4時間睡眠で朝の仕業。これで今学期の朝仕業はすべて終了。昼手前まで細かい作業を進め、昼飯を買っていったん引き上げ、昼寝、片付けと済ませ、夕方からの打ち合わせに復帰。夜は大人たちと軽く飲むことに。ご馳走になるという展開に、未だになかなか慣れない。まあ、自分が上の立場になった時に、そのサイクルを続けていけばよいのだろうけど、それでもなかなかあまりしっくりこないのである。
夜は武蔵野に帰宅。舞鶴出張準備して、翌朝にはとんぼ返りの予定である。
14日。淡々と作業。
15日。淡々と作業。
なんだっけ。もはや忘れてしまったくらい。
7月中旬はいろいろと忙しくて、淡々と流れていってしまう。それだけに下旬が辛くなるのだろう。揺り戻しが来ないように下旬を、、と思うが、まあ今年のスケジュールを考えると社会人的なので、お盆休みまではいろいろと詰まっている。これはこれで良いのかもしれない。
15日。淡々と作業。
なんだっけ。もはや忘れてしまったくらい。
7月中旬はいろいろと忙しくて、淡々と流れていってしまう。それだけに下旬が辛くなるのだろう。揺り戻しが来ないように下旬を、、と思うが、まあ今年のスケジュールを考えると社会人的なので、お盆休みまではいろいろと詰まっている。これはこれで良いのかもしれない。
12日。何だったか。そうだ、逃げてたんだった。散髪、相撲、野球、ツールドフランス。TTTだけどめちゃめちゃ面白かった。
基本的にのんびりとした1日。
13日。暑すぎる。午後にいろいろと作業。
ちょっと淡々と過ぎている。このモードに入ると、揺り戻しも強くなってくる。
ギアが噛んではいないのに、順回転を続けているような感じ。あまりよくない。
もうすぐ大の苦手の7月後半を迎えることに。
基本的にのんびりとした1日。
13日。暑すぎる。午後にいろいろと作業。
ちょっと淡々と過ぎている。このモードに入ると、揺り戻しも強くなってくる。
ギアが噛んではいないのに、順回転を続けているような感じ。あまりよくない。
もうすぐ大の苦手の7月後半を迎えることに。
10日。金曜、早朝運用。一仕事終えた瞬間にくたばり、11時頃に再開。作業は淡々と進むかと思ったが、なかなかいろいろ雑多なことをやっていたら、あっという間に時間だけが過ぎて行ってしまった。概ね片付いて、夜はささやかな飲み会。
11日。午前中はグダグダと過ごしてしまった。午後に武蔵野に帰り、出張後の行程の模索など。あまり中身のない1日。久々にオンタイムで見たツールドフランスは、特に何事も起きずに決着がついた。
11日。午前中はグダグダと過ごしてしまった。午後に武蔵野に帰り、出張後の行程の模索など。あまり中身のない1日。久々にオンタイムで見たツールドフランスは、特に何事も起きずに決着がついた。
8日。淡々と作業。だいぶ進んだが、肝心の解析は少し行き詰まり、若干逃げが必要。しかし複雑化してしまうので、どうにかして楽をしたいところ。
また夜は飲んでしまった。
9日。会議のあと、作業。淡々と作業をして、夜は某トークイベント。実に楽しかったし、まさかの最前列を引き当てるわ、質問は読まれるわと、運をかなり使ってしまった。腹を抱えて笑う面白さもありながら、最終的にはやっぱり自分は基本的には在宅なのだと改めて思うに至る。ただこの手のイベントは、現場に来ないとやはり生の情報を仕入れられないし、ニュアンスだとか、小ネタだとかはレポだけでは拾いきれないから、出動せざるをえないというところだ。また次があるなら参加しよう。
わずかではあるがまた飲んでいる。これで7夜連続である。明日も確定しているし、ちょっとまずいか。
また夜は飲んでしまった。
9日。会議のあと、作業。淡々と作業をして、夜は某トークイベント。実に楽しかったし、まさかの最前列を引き当てるわ、質問は読まれるわと、運をかなり使ってしまった。腹を抱えて笑う面白さもありながら、最終的にはやっぱり自分は基本的には在宅なのだと改めて思うに至る。ただこの手のイベントは、現場に来ないとやはり生の情報を仕入れられないし、ニュアンスだとか、小ネタだとかはレポだけでは拾いきれないから、出動せざるをえないというところだ。また次があるなら参加しよう。
わずかではあるがまた飲んでいる。これで7夜連続である。明日も確定しているし、ちょっとまずいか。
6日。少し遅めのスタートで、基本的には雑務などを進めて終わった気がする。
少し精神状態が不安定になりかけた夜。4年前の、壊れた自分をもう誰も覚えていないのかと思うと、恐ろしくなって、一周回って逆に怖くなる。
7日。淡々と作業。昨夜の夢はスプラッター系の夢だった。作業はよく進んだ。
えりぽん生誕祭。連日酒を飲んでいる。。
今週は淡々と過ごすのみ。
少し精神状態が不安定になりかけた夜。4年前の、壊れた自分をもう誰も覚えていないのかと思うと、恐ろしくなって、一周回って逆に怖くなる。
7日。淡々と作業。昨夜の夢はスプラッター系の夢だった。作業はよく進んだ。
えりぽん生誕祭。連日酒を飲んでいる。。
今週は淡々と過ごすのみ。
4日。無償で働かされる一日。大人数の親世代を前に喋るのは、まあ比較的得意であるとはいえ、緊張感というか、圧を感じる。それが4回だから、まあ気持ちのいい一日ではなかった。一度着替えてから、夜は新宿御苑。完全なる非日常が、思いもよらない形で面白い結果を生んだ。久々にちゃんと笑ったし、「こんなに笑ってるのすりは久々に見た」と言われたり。ホームはここで、あそこではなかった。まぁ、当たり前だよな。
5日。運用ローテから離脱し入庫。小休止。朽ちて過ごす。髪を切ろうかとも思ったのだが、まあもう1週間くらいはいいや。
軽い揺り戻し。ピアノを弾いても、あまりなにも吐き出せず。調律がとんでもない勢いで狂っていて、自分で直したいレベルである。
あっという間に週末の終わり。とりあえずは木曜に照準を当てて生きていこう。
5日。運用ローテから離脱し入庫。小休止。朽ちて過ごす。髪を切ろうかとも思ったのだが、まあもう1週間くらいはいいや。
軽い揺り戻し。ピアノを弾いても、あまりなにも吐き出せず。調律がとんでもない勢いで狂っていて、自分で直したいレベルである。
あっという間に週末の終わり。とりあえずは木曜に照準を当てて生きていこう。
2日。また午前中は体力が持たない。どうもこのサイクルに陥ってしまっているようだ。午後は…何をしていたんだったか。淡々と作業した覚えはあるのだが、もはや何をしていたのかよく覚えていない。ああ、そうだ。土曜の準備などなど。その後はこまごました作業を進めていたような記憶。
3日。渋谷。淡々と計算を進める。思わぬタイミングで本気を出してしまった。普段はエネルギーセーブして、ロングランで生きているので、この感覚は珍しい。夜は先輩の打ち上げに合流。
夏に勉強するための下準備を少しだけ進めた。といっても、本のリスト化を少し始めただけであるが。とりあえず、はぁ。まだ捨てきれないから、齧るだけ齧るんだ。
3日。渋谷。淡々と計算を進める。思わぬタイミングで本気を出してしまった。普段はエネルギーセーブして、ロングランで生きているので、この感覚は珍しい。夜は先輩の打ち上げに合流。
夏に勉強するための下準備を少しだけ進めた。といっても、本のリスト化を少し始めただけであるが。とりあえず、はぁ。まだ捨てきれないから、齧るだけ齧るんだ。
30日。午前は某寺を訪問、いつもお世話になっております。幸か不幸か、記録は無さそうである。その頃ちょうど上越新幹線の車中に居た訳だが、あれがもう1ヶ月も前である。あまりにも早く月日が流れて行っている。
午後は淡々と作業。とはいえ、細々したものに時間を取られてしまう。諸雑務は上半期に終わらせることに成功。
1日。あまりにも疲れが溜まっていたらしく、午前中はすっ飛ばしてしまった。午後、作業を進めてから、某ショップを訪れ、某イベントの券を手にする。在宅だから敷居は高いのだが、せっかくのチャンスなのでいってみようと思う。ついでに散財し、研究室に戻ってからは先輩の作業をひたすら手伝う。まあ、今日が最後だろうか。明日は自分の作業に充てないと、詰みの一歩手前まで気がついたらきている。余裕がない。
とりあえず4日の夕方を無事に迎えられればよい。来週のことは、来週に考えよう。
思ったよりギリギリの日々。早いところ仕切り直して、自分の軌道に乗せたいのだが、この分だと7月は作業ばかりで、勉強は8月以降になるだろうか。
舞鶴出張の件、週明けにも詰めていかないと。
午後は淡々と作業。とはいえ、細々したものに時間を取られてしまう。諸雑務は上半期に終わらせることに成功。
1日。あまりにも疲れが溜まっていたらしく、午前中はすっ飛ばしてしまった。午後、作業を進めてから、某ショップを訪れ、某イベントの券を手にする。在宅だから敷居は高いのだが、せっかくのチャンスなのでいってみようと思う。ついでに散財し、研究室に戻ってからは先輩の作業をひたすら手伝う。まあ、今日が最後だろうか。明日は自分の作業に充てないと、詰みの一歩手前まで気がついたらきている。余裕がない。
とりあえず4日の夕方を無事に迎えられればよい。来週のことは、来週に考えよう。
思ったよりギリギリの日々。早いところ仕切り直して、自分の軌道に乗せたいのだが、この分だと7月は作業ばかりで、勉強は8月以降になるだろうか。
舞鶴出張の件、週明けにも詰めていかないと。
28日。睡眠不足で千葉へ。観戦。いい試合だった。夜は学ぶことが多かったというか、自分の思考が明晰になってきたため、いろいろ真実を言葉に落とし込む事ができたような気がする。
場に出されたトピック、それが笑いにせよ何にせよ、それをその場で調理せずに自陣に持ち帰る事は、とても排他的で、卑怯で、愚かな事だと思うのだが。それは広義のコミュニケーションブレークで、陰湿な空気があってこそのものに他ならない。
僕の2011年の傷をより深くした要因もまた見えたような気がした。まあ悪いけど、僕の方が遥かに全景を俯瞰して見ていると思う。
29日。間に合わないかと思ったら、予定のほうが遠くに逃げていった。勝った。淡々と作業をこなし、ついにバグ取りも完了。ここからは淡々と続けていけるだろう。最低限はクリア。
場に出されたトピック、それが笑いにせよ何にせよ、それをその場で調理せずに自陣に持ち帰る事は、とても排他的で、卑怯で、愚かな事だと思うのだが。それは広義のコミュニケーションブレークで、陰湿な空気があってこそのものに他ならない。
僕の2011年の傷をより深くした要因もまた見えたような気がした。まあ悪いけど、僕の方が遥かに全景を俯瞰して見ていると思う。
29日。間に合わないかと思ったら、予定のほうが遠くに逃げていった。勝った。淡々と作業をこなし、ついにバグ取りも完了。ここからは淡々と続けていけるだろう。最低限はクリア。
26日。昨夜コンタクトレンズがまさかの破断、今日はメガネで渋谷へ。3年前につるっと授業で触れた計算を、実務としてやり直す。夜は白金台の事務所でパーティ。まあ、さほど多くの人と交わった訳ではないのだが、とりあえず良かったか。コンタクトレンズの問題があるので、地元に戻る。
27日。午前中は比較的ゆっくりと過ごし、午後に眼科とコンタクト交換、飯を食べ軽く夏服を購入、夕方から研究室で作業し、その先は大変な作業。先輩の論文構成に関するいろいろな議論。これに6時間も使ったようだ。ヘロヘロになりながらも、とりあえずオチはしっかり見えてきた気がするので、実りある時間であった。
いすみ鉄道の新車が、完全に外見のみ国鉄型車両のように仕上がっているらしい。夢は夢へと消えてゆくものだが、これは一つの新たな希望である。この種の取り組みが他の主体においても現実味を帯びてきてくれれば、それに越したことはないのだが。
自分の生き方ともずいぶん深くリンクしてくる部分である。しっかりと見据えたい。
24日にも思ったのだが、どうやら今はしっかりと考えたいフェーズのようである。酒があまり入りにくいのも、そのためかもしれない。タスクを終えて、しっかり考え、見据えたいところ。
27日。午前中は比較的ゆっくりと過ごし、午後に眼科とコンタクト交換、飯を食べ軽く夏服を購入、夕方から研究室で作業し、その先は大変な作業。先輩の論文構成に関するいろいろな議論。これに6時間も使ったようだ。ヘロヘロになりながらも、とりあえずオチはしっかり見えてきた気がするので、実りある時間であった。
いすみ鉄道の新車が、完全に外見のみ国鉄型車両のように仕上がっているらしい。夢は夢へと消えてゆくものだが、これは一つの新たな希望である。この種の取り組みが他の主体においても現実味を帯びてきてくれれば、それに越したことはないのだが。
自分の生き方ともずいぶん深くリンクしてくる部分である。しっかりと見据えたい。
24日にも思ったのだが、どうやら今はしっかりと考えたいフェーズのようである。酒があまり入りにくいのも、そのためかもしれない。タスクを終えて、しっかり考え、見据えたいところ。