ビール

2015年6月25日 日常
24日。水曜だが渋谷ではなく、研究室で過ごす。淡々と作業を進めていったつもりだったが、なかなか進まなかった。
服から好きじゃない匂いがして、ストレス。この匂いは撲滅したはずなのに。

25日。午前の会議は体力不足。午後はタスクをこなしていくも、思ったほど進まず、大変なことに。夕方に地元に戻り、旧交を温めるなど。帰宅は23時頃であった。

博愛について考えたような気もするが、あまり結論はなかった。いずれにせよ、とりあえずビールと体の相性が悪くなっていることは間違いない。

シフトチェンジ

2015年6月23日 日常
22日。エンジン始動が随分と遅れたが、最低限の仕事をこなし、さらに今年3年目となる仕事の、過去に蓄積されたミスの洗い出しの作業に取り掛かる。なかなか作業量が多い。4000程度の雑多なデータの照合を行うわけだから、まあそもそも無理があることは間違いないのだが。

23日。健康診断。採血はやはり嫌いである。どうしても慣れない。別に痛くもないのに。
そしてまた昨日の作業の続き。これでようやく、15%くらい終わったか。あと17時間かかる計算だが、ここから先は幾分大雑把にまとまっているエリアもあるので、作業量としては減ってくることを期待したい。まあ時間に余裕はあるし、暇を見つけて気分転換にやっていくとしよう。
その後は淡々と作業。なかなか進まなかったが、夜までかけてどうにか一つチェックポイントへ漕ぎ付ける。明日からは別な作業が待っているので、この作業は次に手がけるのは来週以降か。

ああ、もう上半期が終わる。新年度も25%が終わろうとしている。
そろそろシフトチェンジしていきたいところだが、どうも夏休みだとか、そういったリズムが、自分をダメにしているような気がしてならない。どこまで律するか、難しいところ。

ピットイン

2015年6月21日 日常
20日。先週の作業による粉塵過剰吸入による体調不良は、昨晩ほど酷くはなくなったものの、相変わらずの鼻声に喉の痛み。まあ仕方がないので、部屋の掃除を徹底して行い、洗濯して、買い物に出るなど。ここから21日までは、ピットイン。
料理したくても、一口コンロではやはり無理がある。こういうところの時間を節約できないと、どうしてもそもそものモチベーションが低下してしまう。とりあえず朝飯はもうルーティーンなので、何の苦にもならないのだが。
ただの卵焼きをいかに手っ取り早くいかに美味く作るかだけに日常の楽しみがあるのかもしれないw

とりあえず、土日はピットインか。とりあえず、久々に良いリセットにはなった気がする。

読点

2015年6月19日 日常
18日。先週とまったく同じパターンで、午前会議、午後池袋、夜にまた本郷。午前会議はさすがに疲労が抜けず少し落ちてしまうことに。まあ発表が悪いことにしておきたいw
午後は最後の現場。力仕事だったが、まあ何とか終わって、18時に解放されたので良かったか。パンをかじり、授業の最終回に出席し、謎のディスカッションを経て、夕飯は簡単におにぎりとサラダで済ます。
喉と鼻の調子が非常に悪い。おそらく現場でさんざん埃や漆喰を浴びたから、アレルギーが出ているのだろうと思うが。なかなか辛くなってきていて、少し倦怠感もある。

19日。やはり喉鼻がイカれている。早朝運用だが、7時に起床できたので良しとする。自転車で行きたかったのだが、完全に雨。まあ全てについて最低限のレベルをクリアし、また朝食もしっかり食べたので良し。午前中はほとんど寝てしまった。
11時頃に起床し、喉鼻の薬が欲しかったので学内の耳鼻科に行き、PLを貰う。頼むから効いてくれ、治ってくれ。
昼は電話対応などで少しばたつき、危うく今日も現場に呼ばれそうになったが、辛うじて逃げられた。流石にこの体調でもう一度あの埃だらけの現場に戻されるのは辛かったので、少しは神様に感謝である。
午後はゼミ。久々に後輩指導。まあ、少し道は開けてきそうな予感。自分としても興味があるので、楽しみである。その後はまた少し事務作業をこなして、夕飯を学食で済ませてから帰宅し今に至る。久々の当日更新、今日は早めに休むとしよう。

ああ、ドタバタの二週間であったが、ようやくここで「読点」である。
来週は自分のタスクを進めねば。
北海道行も検討したかったが、まあ仕方ない。くはね氏の写真に期待である。

池袋、渋谷

2015年6月17日 日常
16日。ふたたび現場。午後からかと思いきや、結局朝から出動。眠い、眠い。結局夜まで作業し、解放されたのは20時。途中で本郷と池袋を行き来するという、なかなか辛い一日であった。夜は日乃屋カレーを初めて訪れる。不思議なほど滑らかで、なかなかの美味であった。食休みをしていたらあっという間に閉店時間になっていた。それもそのはず、入店時間は20時半を過ぎていたのだった。

17日。ふたたび渋谷。早くも一週間が過ぎたのか。作業は先週の予告とは全く違う内容で、思ったよりも前半は手古摺り、後半は楽しくモデルを作成。あっという間に終了し、その足で本郷に戻って、先輩の誕生日祝いへ。予想外の出費となったが、まあ飲み会1回分と考えれば大したことはない。赤の微発泡ワイン、トリッパなど。いろいろ話も弾み、面白かったな。夜はその先輩の家で半分眠っているピアノを少し触るなど。早めに帰宅して眠る予定が、結局就寝は2時頃となった。

2015年6月15日 日常
14日。朝からいろいろと考えていたが、結局昼すぎまでは鉄道史をいろいろと学ぶw 午後は巨人ーロッテをTVで見ていた。最高のサヨナラであった。
夕方からは地元近くで草野球。半パンでスライディングした馬鹿者で、スネや足首にひどい擦過傷が。実に愚かであった。夜は小さな飲み会。初顔ばかり。内輪の盛り上がりとのバランスは、5〜6人くらいなら保たれるのだろうか。あるいは自分がとにかく個性を殺して、外側外側で対応していけばいいだけの話なのだろうか。おそらくどちらも真だが、後者の影響は限りなく大きそうだ。大人数の中では静かにしていたい。
しかし結局終わってみるとデフォルトのテンションに戻る。何だろう、この感じ。
夜は長電話など。
ラジオは、AS1422のノリがスマイレージ的で最高だった。

15日。現場行の予定がポシャったので、その他の最低限のタスクをこなしておこうと考えていたのだが、ほぼ何もできず。本郷に移動し買い物、そして夕方には神宮へ。終わってみればロッテの快勝。福浦2000試合、しっかり拝めたので良かった良かった。
次はロッテ側で見たいところ。

弾き散らす

2015年6月13日 日常
12日。突如決まった現場行、1日を過ごす。なかなか疲れが溜まった。武蔵野に帰宅し、久々にゆっくりと過ごす。しかしどうも空気の通りが良くないようで、鬱々としていた。そういえばニーナが復活したらしい。どこかで迎撃したいが、モチベーションが今ひとつ上がってこない。

13日。これまたゆっくりと過ごす。洗濯、掃除、あとはピアノを弾き散らかすなど。やはり即興演奏は楽しい。これがいかに気違いじみた遊びなのか、そろそろ自覚しておいたほうがいいかもしれない。通常の音楽からの逸脱と芸術性を兼ね備えた音楽を生み出すことを試みてきたが、だんだんと形になりつつあるというか、方式が固まりつつある。もっとも、進行などがパターン化されてきつつあることも事実。

カンガルの一件で世界が騒がしい。まあ、仕方のないことでしょう。静観。



10日。渋谷で終日仕事。19時半頃には退社し、松屋で牛めしを食し電話を受け、本郷へ帰宅。作業効率がなかなか悪く、午前中はこのまま日が暮れるのではないかと思うような勢いであったが、とにかくスピードアップできたのは良かったか。

本郷の家では新潟行で買った大洋盛のカップ酒を飲む。悲しいことに、思考を薄めて、夢を忘れるために飲んだかのような印象になってしまった。物としてはなかなかの逸品であったことは間違いない。


11日は疲労が抜けないまま突入。午前は会議に出席し、午後からは池袋の現場へ赴く。午前は思ったほどの収穫もなし。昼に後輩(学年として3つも下になるのだ、恐ろしい)と合流。午後は前半は見学、後半はひたすら手伝いである。差し入れも持って行って、とりあえず好感度はキープしておくw
こういう行動に関しては他人から学ぶところが大きいのだが、何というか「逃げている」ようにも思えるので、あまり好きではなかったりもする。まあ、いろいろな人から学ぶのみ、自分に合ったスタイルはその中できっと見出すことができるだろう。

夕方少し早めに抜けて、本郷に戻る。授業に出席し、帰宅。

いろいろと考えていると、結局自分の異質さをまた感じざるを得ず、また踏み抜いたような感覚。やれやれである。

眠りの質を上げたい。
8日。愛は堕落ですか。どこまで脳、本能に逆らえばいいのか、従えばいいのか。バランスは未だによく分からないが、とりあえず肯定してやるしかない。

搭乗している飛行機が墜落する夢を見る。実にリアルだったが、なぜか生きている。


9日。淡々と通常運転、といきたかったが、スタートは遅め。最低限をなんとかすることに。
疲労を抜かないことには始まらない。

しかしとにかく、5月からはデフォルトのテンションが低いな。

プレスタート

2015年6月7日 日常
土日で移行と買い物。夜にはようやく新生活への準備が整う。
何だか予想外の展開で飲むなど。アルコールに身体が順応できなくなってきた。
疲労ゆえか。

楽しさもありながらのプレスタート。

試運転的。

2015年6月5日 日常
4日。通常運転。移行期なので、試運転的に宿泊して迎える朝。朝は楽だな。
淡々と過ごす。

5日。 早朝運用だがおかげでだいぶ楽が出来る。淡々と過ごし、もろもろ終えて帰宅。
移行期なので、あまり思考も働かせず。


気を紛らしているだけな気がする。
2日。通常運転。荷物の移行と最低限の運用に就くのみ。
そうだった、昨晩から今朝にかけて、いろいろ考えていた。どうやら自分の興味のあることたちが、点でしかなかったのだが、どんどん繋がってきたのだ。日記には何日か前の記事に書いているのでもういいか。とりあえず勉強すべきことはわかった気がする。
見えない方が幸せだったか。知らない方が楽しかったか。
戦って負けたら死ぬのか。戦わず生きるのは幸せなのか。
生きることに恐怖を覚える。

愛した世界が壊れても、その向こうには素晴らしい世界があるのかな。
まさにTHE END OF THE WORLDの世界。

3日。渋谷から、夜に本郷。
僕みたいな人間はまだ仕事なんかしちゃいけないんだな、とも思う。いや、出来るけど、すべきてはないということ。

別に元気。

2015年6月1日 日常
1日。なんだったかもはや覚えていないw

抽象的なメモだけ。無い物を無いと証明することが何よりも難しいが、だからこそ生きていられるのかもしれない、とのこと。希望とか光とか、そういうものがこの先に無いということを証明できない限り、明日も光を求めて彷徨うのだということ。トータルでどこに収束するかはともかく、とりあえず自分くらいにロジカルな思考が備わった人間にはなかなか自殺は難しいんだろうなーとか考えていたりする。

別に、元気です。
30日。4時半起床。
ついに、485系T18編成、最後の晴れ舞台の一日の夜が明けた。

しかしまあモニコの音量がデカく、寝起きの悪いくはね氏も一発起床であったw
そそくさと準備を終え、出発。旅先での朝の立ち上がりの早さに関してはなかなか訓練されているなあと我ながら感心してしまうw

移動中は睡眠と食事。間島駅に到着し、パーイチ牽引の貨物列車を狙いに定番撮影地へ歩く。日の長い時期に来ると、こんなにも朝は明るいものか。海は青く穏やかで、吹き抜ける朝風が心地よい。唯一クマとの遭遇だけが怖かった。
定番撮影地はすでに10人強のヲタが陣取っていた。まだ入れなくはない、といった感じであったが、俯瞰ポイントにゆくことに決定。こちらもクマが怖かった。先客は1名。

列車はほぼ定時で通過。編成すべてに光は回らなかったが、十分絵になる一枚となった。要所要所に、季節や時間を感じさせるファクターが盛り込まれている構図であり、個人的にはかなり好きである。
「どうだ!」と言わんばかりのキメキメの構図は、どうも現実と隔離されているような、それこそ文字通り「お立ち台」的な印象である。それよりは、自分がそこに赴いた時の記憶を想起させてくれるような力を持っていて、それでいて絵として美しく成立している構図のほうが好みである。もっとも被写体を時代に奪われている今となっては、贅沢な話になりつつあるのだが。

さてパーイチのみ仕留めて撮影地を後にする。他のヲタからしてみたら我々の行動はなかなかクレイジーなのかもしれないw

間島からはあつみ温泉まで移動。50分程度の乗車である。やはりこの区間の移動はキハ40系列に限る。

あつみ温泉からは五十川方面へ歩く。思ったよりも撮影地は遠かった。1.5km程度歩いただろうか、立岩バックの撮影地に到着。本命の485系は後追いとなるが、時間的にどう立ち回っても逆光の撮影地ばかりになるので、ここでサイドがちに仕留めて順光にしようという作戦である。

撮影地までのアプローチは思ったよりややこしく、正解は暮坪トンネルの旧線を抜けるルートだった。短いとはいえ、旧線の隧道がオープンになっているケースもなかなか珍しい。


なかなかクマが怖い撮影地であったので、ラジオを鳴らしてみたら、あっという間に直射日光でスマホが高温になり、「高温注意」でしばらく機能停止した。初めて見る画面であった。
そして、練習列車がやって来なくて不審に思い調べてみたら、なんと線路内人立入とのこと。ヲタがやらかしたか!と思っていたが、しばらくしたら「人身事故」との情報が出てきた。これは本命まで響いてしまうかと思ったが、下りはそこそこ順調に走っているようであった。
鈍行を中心に練習列車は着実に仕留める。海は凪の間は空と同じような淡青色で、水平線近くを望遠構図で切り取るとどっちが上だかわからないような、まるで抽象画のような絵になって面白かった。時間が経ち、太陽が高く揚がり、風が吹き始めると、海はいつもの青さを取り戻していった。

そして「653史上最高の1枚」を撮り、ついに本番の通過予定時刻が近付いてきた。が、上りの普通がダイヤ乱れのせいでなかなか来ない。ここは複線区間なので、最悪の場合は被りもあり得る。まさかここまで遠路はるばるやってきて被られてはどうしようもない…が、今更どこに転戦することも出来ない。同業はなんとゼロ。最悪の場合「二人負け」になってしまう。
緻密に計算してみると、おそらく普通がわずかに早く通過してくれるという結果になり、それを信じるしかなかった。

11:14。普通列車が通過していった。安堵のあまり、撮影はほとんど頭も使わず集中もせず「処理」のようだった。

そして1分後。本命がやって来た。次に北上する時は一人、最期の旅になるのだろう。人を載せ、たくさんの人に見守られながらの、最後の「ハレ」の下り列車には、燦々と陽光が余すところなく降り注いでいた。この時期の太陽はかなり高度があるため、側面は計算上は順光なのだがあまり色が出ず、そこだけは想定外であったが、十分な絵を得ることができた。同業もなく、被られず、晴れ。最高の舞台で、最高の条件下で、見送ることができた。


さて、しばらく時間があるので、旧暮坪トンネルを撮影。12mmだとなかなか歪んでしまうが、それはそれで面白かったw
隧道内は涼しかったが、外はとにかく暑い!

コンビニでアイスを買い、柵越しに海を眺めながら食す。
駅前の矢口食堂が開いていたので、ここで昼食。チャーシューメン、実に美味。味自体はとにかくクラシックに徹していたが、肉屋も兼ねているだけあり、チャーシューの質が素晴らしかった。土曜の昼ということもあり、地元の客で店は非常に賑わっていた。


しばらく波打ち際で時間を潰し、列車移動。越後寒川へ。なかなか疲れてきているため、眠ってしまった。

脇川は3回目の訪問。練習の653通過時はとてもよく晴れていて、これまた「653史上最高の1枚」をまた撮ってしまったw しかし天気予報の通り、本命通過の20分ほど前から曇り始めて、世界の色はたちまち失せていった。そのかわり木々と海の質感は美しかったので、構図を大きく変える。思ったよりも本命は唐突に現れたので、セットしておいたビデオは回せなかったが、なんとか写真は収めた。蓬莱山の陰に消えゆくまで、ゆっくりと見送った。

さらば、T18編成。海原のむこう、白く霞む遠景の中を、気持ち良さそうに滑りゆく国鉄色の帯を、僕はきっと忘れないだろう。


その後は普通列車を2本、脇川大橋の上から構図を変えて撮影し、終了。


帰路は村上で時間があったので、コンビニで地酒の普通酒(カップ酒)を購入。新潟への道中は115系。朝は129とかいうバケモノだったので、実に落ち着く。

新潟からは新幹線。予定より1本早く、20:19発。駅弁は売り切れていたのでコンビニ弁当とつまみで打ち上げである。
しかし発車5分後、突如停電。車両トラブルかと思い不安になったが、なんと地震であった。この後20分ほど停車し、燕三条の駅の直前で10分ほど停車(謎の「先行列車」は一体何だったのか)、そのままの遅れで行くかと思いきや越後湯沢で2時間ほど停車し、東京駅に帰着したのは25時10分。いろいろと首都圏も乱れまくっていたようなので、幸い中央線もまだあった。帰宅は2時半前と、実に壮絶な帰路であった。


生きて帰って来られたことを幸せに思うことにしよう。


さらばT18編成。本当に、楽しかった。



31日は、ほぼ何もせず。またブルーモーメントがやってくる。5月の終わり。

運転練習

2015年5月29日 日常
28日。これまた通常の仕業で回る。淡々と過ごす一日。
昨日の夜のメモが残っていたが、どうやら長期的使用のせいで、理性というモーターの出力が低下してきているのだろう。本能と理性が、常に逆回転で回っているのだ。いずれにせよ、休むよりほかは無いのだろう。

最終的に、いろいろな絶望があっても、きっと美しい日本の自然が僕を抱きとめてくれるんじゃないだろうかと思うのだ。


29日。朝の仕事をこなし、出発。
東北本線・新幹線では爆睡。東新潟でレンタカー。新発田を経由し、赤谷線廃線に沿う。店の構えも味がある五十公野のふじくら食堂にて、もち豚を用いたカツ丼を食す。かなり美味。駅跡などを回り、東赤谷で左折し、連続隧道を目指す。

しかし、まさかの通行止めであった。
歯車は、こうも噛み合わないものか。思い出してもウンザリ来る。

新発田を通り越して、海へ。案外移動に時間がかかったが、紫雲寺記念公園内の藤塚浜海水浴場にまず到着。日没のおよそ2時間前であったが、斜光線が美しい。しかしなんと海水浴場は土木工事中。ここまで歯車がズレズレなのも、いい加減にしていただきたい。
もちろん閉店中の海の家の中にお姉さんの人影が見えて、ちょっと会話とかできないかと期待したが、何もなし。

海水浴場から少し西にいくと、キャンプ場の敷地があり、そこにも浜がある。こちらは工事はしていなかった。三脚を使って地鶏w しかしここも護岸工事がなされており、あまり美しくないので、早々に去る。

この西には次第浜、網代浜と海水浴場が続いているようであるが、ここをすっ飛ばし、豊栄の北にある島見浜海水浴場へ転戦。ここはなかなか広い砂浜が広がっていた。シーズンオフの海の家や倉庫が砂に埋もれ、まるで猿の惑星のような世界が展開されていた。砂浜には風が描いた文様が広がり、ごろごろと流木が転がっている。ただでさえ退廃的な風景を、晩春の斜光がドライに照らしている。釣り人の存在だけが、唯一ここが現実世界であることを教えてくれる。
刻々と変わる光線と風景は、なかなか美しかった。カメラとばかり対話していた気がする。釣り人の存在が気になり、なかなか心を解き放つことが出来なかったのかもしれない。
防波堤の右側と東側で、波の性状が全く異なるのが面白かった。夕陽の光線はとても強く、いざ角度が緩くなってくるとあっという間に雲に隠れてしまい、なかなか鮮烈な美しい絵にはならなかった。しかし薄い角度から照らされる細波の繊細な表情は、絵画のよう、いや絵画よりも繊細で味わいのあるものだった。ずっと見ていると気付きづらいが、数分の間でも色彩が変化してゆくのだ。

しかし音のイメージは思い浮かんでこなかった。何だか中途半端である。

あっという間に時は過ぎ、1時間半ほど過ごしていたのだろうか。日没時刻となり、マジックアワーの雲もそこまで衝撃的な表情とはならなさそうだったので、浜を後にし、車の返却。トワイライトのバイパスを走るのは、なかなか楽しかった。しかし降りるインターチェンジの判別が難しくてヒヤヒヤした。あー恐ろしかった。ドンピシャのインターで降り、最終返却先のGSに到着したにもかかわらず、場所が違うと思い込み一度出てしまったw

何だかよく分からない一日であった。運転練習だったとしか思えない。
新潟駅前の居酒屋でなぜか君乃井を飲み、いろいろ食す。九州にいる友人に隧道の愚痴をラインするなど。


東横インではついにポイントを使用。仕事終わりのくはね氏は23時半頃に到着。明日の計画を確認し、眠りに就く。
明日はついに、「最後の晴れ舞台」である。

学ぶこと。

2015年5月27日 日常
26日。通常モード。とはいえずいぶんスロースタート。必要最低限の仕業で帰る。ようやく決断し、レンズを購入。だいぶ広角で世界が変わるだろう。

物や体験を得ていっても、喪失感ばかりが積もってゆく。


27日。生きて夜を迎えた。考えさせられる一日。
しかし、本当に暗い気持ちになった。そこで僕はどうやら嗜好・趣味の先の、思想・主義に気付いてしまったのかもしれない。良いように言えば、興味関心のある事たちに軸が通りつつあるということなのだが、今の本当の「本業」とそれらの間にある乖離と、色々なことたちの現実性と、いろいろなものにぶつかりまくっているせいで、あちこちが痛む。挫折の数歩手前というか、これ自体が一つの大きな挫折の中なのかもしれない。とにかく、学ぶしかない。何かしない限り、何も変わらない。

3回は死ねないのだ。すでに2回のカードを切ってしまった僕は、今の自分で、最後まで生きなければならない。
荒野にて東の夕空を背にぽつんと項垂れる一輪の向日葵のように、絶望、喪失の傍らに在りながら、きっと「ほかの僕」が「僕」の写真を撮りに来てくれる日がくるのだろう。

華麗なる一族の鉄平のように夢が潰えた時、僕は一体どうなってしまうんだろう。夢追い人の人生は、宿命に弄ばれるようである。

歯車は

2015年5月25日 日常
まただいぶ溜め込んでしまった。

24日。ボートが転覆する夢を見て目覚める。どうも夢見が悪い日々。体は動かしているのに、睡眠の質があまり良くない。

そして昼前に出発し、横浜へ貨物撮影へ。くはね氏とは横浜駅で合流し、高島線で根岸線貨物を狙うも、まさかのウヤで撃沈。いろいろな歯車がズレっ放しである。どうにかならないもんか。
結局、横浜界隈の大人の社会科見学はまたの機会に。踊り子を横浜駅と川崎駅で撮り、終了w 一本釣りの難しさを思い知る。

街で買い物をして、夜は祝い事。

25日。運用離脱。午前中は久々によろしくないモードに突っ込んでしまったが、午後に持ち直し、レンズ吟味のために新宿にも赴く。久々にヒトカラも行く。幸いにして与えられている自由でさえ謳歌することを忘れていた。自分で言うのもなんだが歌が上手くなっているが、こんな歌は誰に聞かせることもないだろう。


何とも言えない日々。どこまで自分を騙し、どこまで自分に正直になるか。

ドロー。

2015年5月23日 日常
22日。早朝運用。昨日が六本木だったので、2~30分の仕事のためにいつもよりもさらに早く出発。軽く二日酔いだったが、朝は無事。飯を食べて、10時まで休息。そこから復活し、作業、打ち合わせ、作業。夜までかけ、22時頃にすべて片付く。

23日。午前は休み、午後はセミナー。終わり次第撮影にでも行こうかと思っていたのだが、隅田川でトラブルがあったらしく、計画は水泡に帰す。ヨドバシでレンズを試して帰宅。


やれやれ。これで一段落も、何ともすっきりしないエンディングである。負け越しこそしなかったが、ドロー、といった感。


そろそろ逆回転に持っていきたいんだが。何かひとつきっかけが欲しい。

流転

2015年5月21日 日常
20日。ひたすら作業。猛烈に追い上げるも、夜に「非常制動」の宣告。さすがに辛い。

21日。何も納得できないまま一日を終える。夜はひょこひょこついて行ったら六本木であったw 日本酒だけなら怖くはないが、だいぶ飲んだ気がする。御馳走様でした。


すべての可能性を考えるようにいつの間にか癖がついていたので、ちょっと近いところにあるとなかなか人間を信用しきれないところがある。これ、本当に良くないな。いや、信じ込むのも馬鹿だが、必要以上に疑ってはいけないとも思う。
まだまだ甘いなぁ。


いずれにせよ、いろいろまずいほうに転がりつつある。どこかでブレーキを掛けたいんだが、やり方が分からない。

脱輪事故

2015年5月19日 日常
18日。結局、最低限のみこなし、残りからは逃げ続ける。夜はなぜか潰れる。「脱輪」。最悪である。

19日。奇跡の復活。夜までひたすら作業したかったが、大事をとって帰宅。


焼酎は嫌いだ。ワインもそんなに好かない。

あともう一つ。いつの日かすべてがリンクする気がしなくもないのだが、それは我が国の土地と産業、人間の紡いできた歴史の概形となって現れるのだろう、ということ。それを俯瞰したいという願望があるのか。一体根源は何なのか。

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